スカートが12月15日にニューシングル「海岸線再訪」をリリースした。
シングルにはJBL「Tour Pro+ TWS」のWeb CMソングとして書き下ろされた表題曲や、TBS系ドラマ「日曜劇場『日本沈没―希望のひと―』」のParaviオリジナルストーリー「最愛のひと~The other side of 日本沈没~」のイメージソング「背を撃つ風」、ファッション専門店「大きいサイズの店フォーエル」のテレビCMソング「この夜に向け」の3曲を収録。いずれも澤部渡(Vo, G)の持ち前のソングライティングセンスが発揮された、珠玉のポップソングぞろいの1枚だ。
しかし、澤部は本作のリリース日決定のタイミングで「創作とコロナ禍の相性は、私の場合は最悪」と、思うような活動ができない日々についてコメントを発表していた。音楽ナタリーでは澤部と、彼を古くから知るサポートメンバー・佐久間裕太(Dr)にインタビュー。作り手とサポートメンバーという立場から、昨年から続くコロナ禍のスカートの活動について振り返ってもらった。
取材・文 / 下原研二撮影 / 草野庸子
澤部渡はバンドに向いてない
──お二人でこういう取材に登場するのは初めてですか?
澤部渡(Vo, G) たぶん初めてだよね?
佐久間裕太(Dr) うん。サポートドラマーのインタビューってなかなかないから。
──せっかくなのでスカートの活動形態について改めて聞かせてください。もともとは澤部さんのソロプロジェクトとしてスタートして今の編成になっていくわけですけど、佐久間さんとは昆虫キッズ(佐久間が所属した4ピースバンドで2015年1月に活動終了。澤部はサポートメンバーとして参加していた)の頃からの付き合いなんですよね?
澤部 そうです。スカートがyes, mama ok?の企画に出ることになったとき、バンド編成でやりたくて佐久間さんに頼んだのが最初だったと思います。
佐久間 その前にスカートの3ピースバンド時代というのもあるんですよ。ドラムがライブ中に「辞めます」とか言って本当に辞めちゃったんだけど(笑)。
澤部 それで「もうバンドは嫌だ」となったんですよ(笑)。もとを正せばずっと1人でデモを作ってたわけだから、この先はソロでいこうと。
──とはいえその後のスカートは、ライブバンドとしてのイメージも強いですよね。最近スカートの音楽を聴き始めたファンだと、もともとはソロプロジェクトだということを知らない人も多そうです。
澤部 そうですね。自分でも現体制になってからのスカートはバンド感が強いと思います。当時なんでソロにしたかというと、その頃はメンバーそれぞれにメインのバンドがほかにあったんですよ。その状況で「スカートにメンバーとして入ってくれ」と言うのが申し訳なくて。
佐久間 バンドってめんどくさいんですよ。例えばメンバーが4人だと、基本的にはその人数じゃないと動けない。あと意思決定が特に面倒で、だいたいは協議制だから誰かしら意見が合わない人間も出てくるじゃないですか。昆虫キッズはそこまでじゃなかったけど、やっぱりどのバンドも少なからずあると思うんですよね。曲を作っても「これは好きじゃないからやりたくない」とか、そういうの本当にめんどくさいんですよ(笑)。
──佐久間さんとしては、スカートの今の形態がベストですか?
佐久間 うーん、ベストではないです(笑)。ただ、単純に澤部くんはバンドに向いてないと思うんですよね。
澤部 ははは。
佐久間 彼は自分のやりたいことが明確にあるんですよ。価値観の違う人間が集まってガチャガチャやるというか、「なんだよ、こいつ」と思っている状態がバンドで。それがバンドのよさでもあるし、面白い部分なんだけど、非常にめんどくさい部分でもある。たぶんスカートがバンドだったら、こんなに長く続いてないと思いますよ。
──「バンドに向いてない」と言われてますけど、澤部さんはどうですか?
澤部 それは佐久間さんの言う通りだと思いますね。
佐久間 例えばさ、メンバーがダサいシンセのフレーズを弾いたりしたら嫌でしょ?
澤部 うん。ギリギリまで音下げると思う。
佐久間 その攻防がずっと続くのよ、バンドって。
澤部 嫌だねー(笑)。
佐久間 でしょ? スカートの場合、今回のシングルもレコーディングの1週間くらい前に「曲ができました」と連絡が来て、「じゃあ、いついつに録りましょう」って感じだから(笑)。
澤部 まあ、僕の気持ちとしてはスカートはバンドなんですけどね。
佐久間 新しい概念だ。
澤部 そうそう、スカートはまだ名前がない概念(笑)。
スカートのコロナ禍
──シングルの内容に触れる前に、コロナ禍の活動について話をお聞きしたくて。去年、Technicsの特集(参照:「カクバリズムのレコ話 supported by Technics」第2回 角張渉×澤部渡)に出演していただいた際に、1回目の緊急事態宣言中の期間を「空っぽ」とおっしゃっていたのが印象に残っているんです。当時の感覚を今、言葉で説明できますか?
澤部 うーん……今思い返してみても「空っぽ」としか言いようがない期間だったかもしれないです。
佐久間 でもさ、わりとすぐに仕事が入ったんだよね。藤原さくらさんのやつとかさ。
澤部 そうそうそう! あれがあって本当に助かったよ。藤原さんのアルバムに「ゆめのなか」という曲でアレンジと演奏で参加したんですけど(参照:藤原さくらアルバムにスカート澤部やVaVa参加、全曲ダイジェスト公開)、その制作があったおかげで心が折れなくて済んだというか。「ゆめのなか」のデモを繰り返し聴いて、「よし、まだ大丈夫だ」と自分に言い聞かせてました。
佐久間 そのレコーディングに向けてリハーサルスタジオに入ったら、どついたるねんもいたんですよ。ガラガラのスタジオにスカートとどつしかいなくて、「こんなときくらいやめろよ」と思ったのを覚えてます(笑)。
──(笑)。澤部さんがコロナ禍で精神的に追い込まれたのには何か理由があったんですか?
澤部 いくつか要因はあるんですけど、「駆ける」(昨年3月リリースのシングル「駆ける / 標識の影・鉄塔の影」)がまったく売れなかったのは大きかったかもしれないです。いや、まったくってことはないか……でも自信作だったわりに世間の反応は凪だったというか。そのことが心のどこかに残っていたのかな。
佐久間 でもさ、売れるって具体的に何を指してんのよ(笑)。どういう状況だったら満足できたわけ?
澤部 なんだろうなあ。チャートでもそんなに上位に行ってないんだよ。
──自信があったからこその失意だったんですね。ちなみにスカートは作品をフィジカルで残すということを、かなり意識的にやっているバンドですよね。サブスクが主流の今の時代に、基本的には毎回CDとレコードをリリースしているし、アートワークもすごく凝っている。それは澤部さんなりのこだわりなんですか?
澤部 そうですね、やっぱりフィジカルに対しての思いみたいなものは強いです。でも逆に「こんなに売れてないバンドがCDを作っていいのか?」という気持ちもあって。そこはIRORI Recordsがグッとこらえて「リリースしよう」と言ってくれているので、本当に感謝しかないです。で、なんでレコードやCDを出すのかっていうと、音楽って音楽だけじゃどうにもならないと思うんですよ。補助輪がいろいろ付いて動く自転車になっていくというか、アートワークを含めた総合面でのポップアートだと思うんです。しかも音楽って聴覚だけだから、そこに視覚的、触覚的な要素を加えると単純に強度が上がる。でも、若い子たちはそんなこと重要視してないのかなあ。
歌でも歌ってないと気が狂いそうだった
──昨年4月はスカートのデビュー10周年記念ワンマンライブ「スカート10周年記念公演 “真説・月光密造の夜”」がコロナ禍の影響で延期となり、開催予定日には澤部さんの自宅から「在宅・月光密造の夜」と題した弾き語りでの配信ライブが行われました。これはどういったアイデアから生まれたものなんですか?
澤部 狙いとかはなくて、とにかくワンマンをやれなかったのが悔しかったんですよ。幸い僕の家は楽器を鳴らしても大丈夫だったので、カクバリズムのスタッフに知恵を借りながら自宅で1人で配信できるシステムを教えてもらって。まあ、歌でも歌ってないと気が狂いそうだったというのはありますね。自宅からの配信ライブは計6回やったんですけど、今思うと最初の頃は1人でやるのきつかったなあ。当たり前ですけど、ライブが終わったらもう家にいるんですよ。
──気持ちの切り替えが難しそうですね。
澤部 そうそう。それもコロナ禍に戸惑う1つの要因になってくるんですよ。ライブしてる最中は楽しいんですけど、その前後の情緒がざっくりとない。今までは「今日は何時入りだ」とか「何時までに機材を詰め込もう」とか、そういう過程を踏んでだんだんと体がライブに近付いていったわけですよ。でも、自宅からの配信だと直前までテレビを観てたりして。
佐久間 準備すりゃいいじゃん(笑)。
澤部 してはいるのよ(笑)。でもね、やっぱり何かが違うんですよね。気持ちをどう持っていけばいいのかわからなくて戸惑ってたのかな。
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朝方6時までゲーム