熱気あふれるアジア公演、初心に戻れる「いちばん好きな場所」
──これまで数多くのライブをされていますが、その中でも特に印象深いステージは?
明希 場所問わず多くの思い出があるんですけど、僕は海外公演かな。日本以外の場所で自分たちのことを待ってくれているファンの方がいるというのが、現実に起きていることなのかわからないぐらいびっくりしました。しかも、次の日に現地の新聞に載ったこともあって、なんかすごいなって(笑)。うれしさと驚きと、いろんな感情がありましたね。
──シドはわりと早いタイミングで海外ライブも行ってますよね。
明希 うん、早いうちからアジアでライブをさせてもらいましたね。「アジア圏はみんな本当に熱かった」って言い方をすると簡単ですけど、すごく熱気があるんですよ。みんなの“待ってました感”が、空港に着いたときからすごかったです。
マオ インディーズ時代から「いちばん好きな場所」というツアーをライブハウス限定でやっているんですけど、そのツアーは大きいホールとかアリーナライブをやったあとに開催するので、そのギャップが楽しかったですね。近いところにお客さんがいてくれて、目が合う距離で声援を送ってくれる。そういうライブをやらずに、大きな会場だけに立つ選択もできたんですけど、そこであえて初心に戻るというか。そういう意味ではシドにとってすごく意義のあるものだったと思います。
Shinji 僕は2021年に河口湖ステラシアターでやった「SID LIVE 2021 -Star Forest-」ですね。2020年からコロナ禍でライブができなくなった中、このときひさしぶりにライブを開催できたんです。お客さんの存在やライブができることのありがたみを感じましたね。ステージで涙が出てしまいそうになることはなかなかないんですけど、あの日は感極まったのを覚えています。
──満を持してのライブでしたもんね。
Shinji そうですね。お客さんはマスクをしてるけど、それでもうれしそうな顔をしてるのが伝わってきて、本当に楽しかったですね。
ゆうや じゃあ僕は「こんなこともあったな」と思い出したことがあるので、それをお話ししようかな。2010年12月に東京ドームでワンマンライブ「SID YEAR END CLIMAX 2010 ~全てのシドへ~」を開催したんです。そのライブの直前に「シドがシドじゃなかったとしたら、何人のお客さんを集められるのか」という企画を「dead stock」(2011年2月リリースのアルバム)の特典映像用に収録したんですけど、変装をした4人が、1人ずつ街に出てビラを配って、後日キャパ200人のライブハウスでフリーライブをするという内容だったんです。で、ライブ当日、幕がバーッと開いたらお客さんが5人ぐらいしかいなくて。それがものすごく衝撃的でした(笑)。
四者四様のターニングポイント
──これまでリリースされたアルバムの中で、活動のターニングポイントになった作品を教えてください。
ゆうや 僕は2017年にリリースした9枚目のアルバム「NOMAD」ですね。リリース前の2016年はそれぞれが個人活動をするために1年間の充電期間を設けたんです。結成から猛スピードで駆け抜けてきたからこそ、一旦立ち止まって見つめ直そうということになって。そのあとに作った「NOMAD」はそれまでとは違う種類の情熱が込められていて、バンドとしてのレベルも上がった作品だと思うんです。
明希 ゆうやと被るんですけど、僕も「NOMAD」がターニングポイントだった気がします。いろんなエンジニアの方を迎えてミックスやマスタリングをしたし、使用する楽器やアレンジも含めてかなり冒険をして作ったんですよ。デモの段階からかなりの時間をかけて、いろんな意見を交わしながら作ったアルバムだったので、そういう意味で新しいシドが始まったという位置付けの1枚かなと思います。
──中でも明希さんの作曲された「螺旋のユメ」は、これまでになかったようなきれいでアップテンポの楽曲で、曲の構成も斬新でしたね(参照:シド「螺旋のユメ」特集 マオ×明希×村瀬歩 鼎談)。
明希 それまでのシドの曲を客観視したときに、イントロの構成から全部変えて作りたいなと思ったんです。そうじゃないと新しく聞こえないなって。だからど頭にBメロがあって、そのあとCメロっぽいものがあって、サビ、Aメロへ行くみたいな、構成だけを見ると珍しい作りになってるんですよね。そんなチャレンジがほかの曲にもふんだんに入っていますし、「NOMAD」は自分にとってのターニングポイントになりましたね。
Shinji 僕は7枚目のアルバム「M&W」がターニングポイントになりました。このアルバムに収録されている「いつか」は、アレンジャーさんに入ってもらって、自分のやりたいことを存分に盛り込んだ楽曲なんです。
──Shinjiさんが影響を受けたギターロックの要素を感じました。
Shinji そうですね。自分が少年時代に聴いてきた90年代の要素もあって。ある意味、僕の中でひと区切りをつけられた曲だったからこそ、「いつか」以降の曲作りが大変になったというか。もちろん曲作りっていつも大変なんですけど、より試行錯誤するようになりましたね。
マオ 僕は3枚目のアルバムの「play」です。それまではあくまで僕らのことを好きな人たちに向けて活動していたんですけど、このあたりからもっといろんな人たちにシドを知ってほしいという気持ちに舵を切った気がします。「play」から曲調や作詞の幅を広げていったのを覚えてます。
──男女の恋愛をつづってきたマオさんでしたけど、「play」に収録されている「live」で新しいフェーズに行った気がしました。
マオ それまではどちらかというと攻撃的な曲とか、結成当初のコンセプトだった哀愁のある曲の縛りで作曲していたのが、「live」では殻を破って純粋に悩んでる人に歌を届けたいと思ったんです。たくさんいただくファンレターを読んでいく中で、1通1通に返事はしてあげられないけど、自分なりの形で気持ちを伝えたくなって。
──2011年の東日本大震災のとき、マオさんが「live」の歌詞をブログに載せていて。それが心の励みになった方も多かったと思います。
マオ そうだったらうれしいです。先ほど結成時は目の前が真っ暗だったとお答えしたんですけど、10人でも1人でもいいから、誰かの人生に関わっていけるような、そんな活動をミュージシャンとしてやれたらいいなとは思っていましたね。その夢をファンの方に叶えていただいたので、すごく感謝しています。