2003年にマオ(Vo)と明希(B)を中心に結成され、今年20周年のアニバーサリーイヤーを迎えるシド。その節目を彩るボックスセット「SID 20th Anniversary BOX」が3月29日にリリースされた。
「SID 20th Anniversary BOX」には過去に発表されたオリジナルアルバムとミニアルバム全作、アルバムには未収録だったシングル曲を収録した「Side A complete collection」、カップリング曲を集めた「Side B complete collection」、全40曲分のミュージックビデオを収めたBlu-ray「Music Video Collection」をコンパイル。バンドの歴史を網羅したファン必携のアイテムだ。
本作のリリースを記念して音楽ナタリーではメンバー4人にインタビュー。結成時の目標、メジャーデビュー時の心境、ターニングポイントとなった作品、そして自分たちを支えているファンへの思いなど、20年間にわたる活動についてじっくり聞いた。
取材・文 / 真貝聡
結成時は「まずはバンドでメシを食えるように」
──今回シドの軌跡を網羅した作品をリリースされるということで、インタビューもバンドの歩みにフォーカスしてお話を聞きたいと思います。そもそも、シドはどのようなコンセプトで始まったのでしょうか?
マオ(Vo) ヴィジュアル系でありながら、ちゃんとメロディや歌が届くような昭和歌謡を意識したバンドをコンセプトに掲げていました。というのも、結成当時のヴィジュアル系シーンにはハードなサウンドのバンドが多かったんですよ。音が大きくてテンポが速い曲をやっていて、ルックスも強烈なバンドが多かった。一方でポップなバンドもちらほらいて、それぞれ「◯◯系」とジャンル分けされていたんですね。でも僕らはどこにも属したくない気持ちがあったので「自分たちが新しいジャンルを作る」ぐらいの気持ちでシドを始めました。
明希(B) 結成当初はひたすらライブに夢中でしたね。それまではステージに立って演奏するところで意識が止まっていたんですけど、シドになってから「対バン相手の客を取る」ということに特化してライブをやっていました。
Shinji(G) 僕は前のバンドをけっこう長いことやっていたんですけど、どうにも芽が出なくて。解散したときはもう年齢も年齢だったので、バンドは辞めようと思っていたんです。そんな中でマオくんに誘ってもらって。それまでは1人のお客さんを呼ぶのも大変だったのに、シドは始まって間もない頃から、お客さんがライブをするたびに増えていって。そのスピード感にびっくりして、最初は感情が追いつかなかったですね。
──これまでのバンドと何が違ったんでしょう?
Shinji メンバー1人ひとりのパワーが強いバンドなんだなって、入ってみてから思いました。「すごい力が集まると、こうも倍々でお客さんが増えていくんだ」と。
ゆうや(Dr) 僕がいた前のバンドや、前の前のバンドの集客数をシドは結成当初からすでに超えていて。始めた頃からどこか浮き足立っていた感覚がありましたね。
──最初の段階から手応えがあったと思うんですが、その頃皆さんが夢見ていたことや目標にしていたことはなんですか?
マオ 「音楽だけでごはんを食べたいな」ぐらいでしたね。上京した頃は武道館でワンマンをやってみたいとか、CDが売れるバンドなりたいとか、いろいろ夢を持っていたんですけど、シドを始める頃にはたくさんの挫折を経験していたので、目の前が真っ暗だったんです。だからこそ「まずはバンドでメシを食えるように」という目標に向かって活動していました。
ゆうや 僕もシドを始める前に一度バンドマンとしての夢に破れていたので、対バンライブがあったとして「絶対にこいつらよりもお客さんを集めたい」とか、そういう目先の目標しか持てなかったですね。それこそ「武道館公演をやりたい」なんて夢すぎちゃって、逆にアホくさいというか遠すぎる目標に思えました。例えば、若い頃って自分の好きなミュージシャンを呼び捨てするじゃないですか? むしろ“さん付け”しているほうがイキってるというか。
──そんな近い間柄だっけ?っていう(笑)。
ゆうや そうそう。「知り合いなの?」みたいな。それと近い感覚で「武道館でライブしたい」って言えなかったんです。「お前、だいぶイキってるな」とか「冗談だろ?」って感じになりますから。
Shinji 僕は最初サポートメンバーだったのが、途中から自分の書いた曲をメンバーに聴いてもらうようになって。「いいじゃん」って褒めてもらえるとうれしくて、そこから「自分の曲もまだまだいけるのかな」と自信を持てるようになりました。それが活力になったというか、またいい曲を作っていこうと思えたんです。でもみんなが言うようにやっぱり目先のことばかり見ていましたね。
アルバイトから正社員になった感覚
──2008年にメジャーデビューをしたときの心境はどうでしたか?
ゆうや その前から多くのお客さんがついてくれたので「メジャーに行ったから大きいところでライブできるぞ」とか、そういう感じではなかったとは思うんです。言うなればアルバイトから正社員になった、みたいな空気感ですかね。身が固まったという感覚でした。
Shinji 僕らがメジャーデビューをした頃は、ちょうど音楽業界の中でメジャーとインディーズの境目がなくなってきている状況ではあったんです。でも、僕としてはやっぱりメジャーデビューは1つの大きな夢だったし、決まったときはとてもうれしかったです。ある種の肩書きみたいなものが付いたことで、ようやく親が認めてくれたのも大きな変化でしたね。
ゆうや 僕も親族が喜んでくれたのが大きいかな。メジャーデビューをして、テレビの露出が多くなってきて、いろんなところから声をかけてもらえるようになった。「知名度が上がると知らない友達が増える」ってよく言いますけど、その現象を身をもって感じましたね(笑)。
Shinji 大きな会場(2008年5月1日開催の国立代々木競技場第一体育館公演)で、マオくんがファンのみんなに「メジャーデビューします」と報告したのもカッコよかったんですよね。
マオ そうそう。ステージ上でみんなに発表したいとずっと思ってたので、それが叶ったときはうれしかったですね。
明希 代々木体育館って武道館と並ぶぐらいメジャー級の会場だと思うんです。あそこで発表をすることも含めて、当時の自分たちの勢いを肌で感じていましたね。そこからチームのスタッフが増えて、今のレコード会社さんと一緒にやるようになって。そんな中で1曲に対するハードルの高さだったり、いろんな視点からシングル曲が選ばれていくのを目の当たりにして「これがメジャーの世界であり、プロのやり方なんだな」というのを体感しました。シビアだなと思いながらも、楽曲がより多くの人に伝わったときの喜びは何ものにも代え難いものがありました。例えば「モノクロのキス」で初めてアニメ(「黒執事」)のタイアップをもらったりとか、そういうメジャーならではのプロモーションは明らかにインディーズとは規模の違うやり方で。そういう大きな仕事ができるようになったのはうれしかったですね。