新東京の1stフルアルバム「NEO TOKYO METRO」がリリースされた。
2021年のデビューからこれまでシングル18作、EP4作をリリースしてきた新東京だが、フルアルバムをリリースするのはこれが初めて。本作はアルバムのために作られた新曲のみで構成されており、全編を通して彼らの美学と野心を堪能できるような1枚となっている。本作のリリースを機に音楽ナタリーはメンバー4人にインタビュー。「NEO TOKYO METRO」の制作背景を聞きながら、彼らの創作へのストイックな姿勢を浮き彫りにしていった。
取材・文 / 蜂須賀ちなみ撮影 / 坂本陽
「ああ、4人でここまで来られたんだ」
──ナタリーでのインタビューは約10カ月ぶりですが、新東京はその間にもさまざまな活動を行っていました。ライブ活動で言うと、まず2023年7月に「FUJI ROCK FESTIVAL '23」に出演。8月に韓国のフェス「2023 US EARTH FESTIVAL ESG BUSAN」に出演。9月にはワンマンライブ「NEOGRAPH」を東京・WWWで開催し、2024年1月には台湾のフェス「NEON OASIS FEST. '24」に出演しました。フジロック出演と海外でのライブは初めてだったと思いますが、経験してみてどんなことを感じましたか?
保田優真(Dr) フジロック、最高でしたね。僕は3日間いたんですけど、自分たちのライブも楽しかったし、いろいろなアーティストを観られたのも最高でした。
田中利幸(Key) ずっと出たいと思っていたフェスだし、結成当時から「出てほしい」という声を周りからたくさんいただいていて。だから出演が決まったときはすごくうれしかったです。
杉田春音(Vo) 結成したときに「このメンバーでフジロックとか出れたら超おもろくね?」みたいな冗談をけっこう言っていたんですよ。最初は4人とも普通の大学生で、俺はほかのメンバーのことをすごいと思っていたけど、バンドがここまで大きくなるとは思っていなかったから、「フジロックに出られたら一人前」という漠然としたイメージでよくそう言っていて。ほかのフェスももちろん好きだけど、ずっと言っていたことが現実になった瞬間だったので、感慨深かったですね。「ああ、4人でここまで来られたんだ」って。
大蔵倫太郎(B) 「ROOKIE A GO-GO」っていう入口の目の前にある無料のステージで、たぶん新東京を初めて観る人も多かったと思うんですけど、けっこう盛り上がって。あの日のライブは印象に残ってますね。
──韓国と台湾でのライブはいかがでしたか?
杉田 正直、実際に行くまでは全然自信がなくて。韓国や台湾の方々に日頃から新東京の曲を聴いてもらえている実感があまりなかったし、日本語が通じない相手に音楽だけでアプローチするということがそもそも初めてだったので。だけどライブをやってみたら、すごく歓迎してもらえて、人が通じ合う手段としての音楽の価値みたいなものを感じました。普段応援している人たちならまだしも、お客さんにとって僕らは初めて観るバンドじゃないですか。なのに、大きな声を出して反応してくれて。日本ではあんまり見たことがないくらいアクティブだったというか。
田中 どっちがいいとかそういう話ではないんですけど、声も出すし、体も動かすし、全体で音楽にノリながら精一杯感情を表現してくれていたのが印象的でした。
保田 「この人たちだったら、何をやっても楽しんでくれそうだな」と思えるくらいの盛り上がりようで。だからすごくやりやすかったし、楽しかったです。
大蔵 そういう部分って数字を見ているだけじゃわからないことなので。実際にライブをしに行って、ほかの国の人たちがどうやって盛り上がるのかを見られたのは価値がありました。
田中 地域ごとに今後の戦略やライブのやり方も、変えていかなきゃいけないなと気付かされましたね。
1つしかない正解を選んでる感覚
──オリジナル曲のリリースは2023年7月の配信シングル「#Vaporwave」以降しばらくありませんでしたが、このたび1stフルアルバム「NEO TOKYO METRO」が完成しました。今までは「曲ができたら配信シングルとしてリリースする→4曲溜まったらEPとしてまとめる」という流れでしたが、このタイミングでアルバムを作ろうと思った経緯を教えていただけますか?
田中 今までずっと「できたらすぐ出す」方式だったから、アルバムをリリースするタイミングがなかったんです。だけど「アルバム作りたいな」という気持ちはずっとあったので、今回はできたらすぐ出すのを我慢してみようかなと思って。とはいえ、曲を作り始めたのはけっこう最近なんですけどね。2カ月で10曲を完成させたんですよ。
──かなりタイトですね。2カ月ではなく、もっと時間をかけて完成させようとは思わなかったんですか?
杉田 制作前にそういう話をしたよね?
田中 うん。完パケの日を1年後に設定していたとしても、どうせ俺たちは2カ月前まで取りかからないから(笑)。だったら2カ月後に設定して、みんなで「よし、がんばるぞ!」って取りかかろうと。その結果、2カ月で完成させることができました。
保田 最初、トシ(田中)が10曲分のデモを同時に作ってきたじゃん?
田中 うん。10曲というよりは、でっかい1曲を作ってるイメージだったけどね。しかも、なんか今までとは違う感覚で作れたんですよ。
──というと?
田中 メロディラインやコードを考えるとき、今までは「どっちになったらみんなが喜ぶのかな」「実際俺はどっちのほうが好きなんだろう?」というふうに悩みながら作っていたんですけど、今回はたった1つしかない正解をただ選んでいるだけという感覚で。自分でイチから生み出しているというよりは、それまでの連続に従って選んでいるような。だから曲が生まれるのが早かったのかもしれないです。ただ、アレンジに関しては正解がなかなか見つからないときもあって。しかも、数ある選択肢の中からどれがいいか迷っているわけじゃなくて、選択肢が1つも見つからない状態。だから、優真に100個ぐらいアイデアを持ってきてもらったのに、全部はねたりとかもして。
保田 そんなこともあったな(笑)。しかも結局最初に出したアイデアが採用されたよね。
田中 あれは本当に申し訳なかった。優真ってめげないんですよ。俺が「これじゃダメ」「もっとこうしたほうがいい」と言うのに対して、全力で何も言わずに応えてくれるから本当にすごいなと思っていて。
保田 なんだそれ(笑)。でも、ある曲の制作中に考えていたことを生かしながら、別の曲のフレーズを作ってみたりすることもできたから、そういう点が新鮮だったし、効率的だったというか。同時進行だったからこそ生まれたアイデアもあったと思います。
──大蔵さんは今作の制作を振り返ってみていかがですか?
大蔵 やっぱり大変でしたよ。2カ月で10曲作ったので、7日間で5時間くらいしか寝てない週があって。だからアルバムを聴くと、そのときのことが思い出されますね……。
杉田 嫌な思い出じゃん(笑)。
大蔵 パソコンで制作をしているときに、寝落ちしちゃったときがあったんですよ。それで「あ、寝ちゃった!」と思いながら急いで起きたら、なんか知らないけど作業が進んでいて。
杉田 あ、前にそう言ってたの、マジなんだ?
大蔵 マジ。3曲ぐらいは寝ながら作った可能性があります。
田中 この流れで言うのもあれなんですけど、実はリード曲の「NTM」のサビのメロディやアレンジは寝てるときに思いついたんですよ。
杉田 何かが誕生するとき、みんな寝てるのはなんなの?
田中 (笑)。サビが生まれるまでは焦っていたんですよ。「このアルバム、うまくいかないかも」って。だけど寝てるときに浮かんできたサビがすごくよくて。「来た、逆転だ!」「めちゃくちゃいいのできた」って、みんなにメールしました。
保田 でもさ、「ヤバいのできたかも」って送ってきたあとに「やっぱなんでもない」とか言ってなかった?(笑)
大蔵 言ってたよね。俺、聴きながら「うんうん、いいじゃん」と思ってたから、「やっぱなんでもない」と言われて「え、これもボツか……」ってなったんだけど。
田中 自分はそのときすごく興奮してたからつい「めちゃくちゃいいのできた」と言っちゃったけど、ちょっとハードル上げすぎたかなと思って(笑)。一旦下げておきました。
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アルバムのために作った曲しか入れたくなかった