音楽ナタリー PowerPush - 柴田淳
苦しみの果てにつかんだ“大人の私”
柴田淳が10枚目となるオリジナルアルバム「バビルサの牙」をリリースする。
精神的、肉体的にかなり過酷な状況の中で制作されたという本作は、これまで以上に生々しい、人間臭い柴田淳のリアルが詰め込まれた作品に仕上がった。彼女を苦しめていたものとはいったいなんだったのか? そして、その苦しみを乗り越えた先に見つけたものとは? たっぷりと話を聞いた。
取材・文 / もりひでゆき 撮影 / 小坂茂雄
精神もカラダもめちゃくちゃ、ドロドロのまま
──10枚目のアルバム「バビルサの牙」がついに完成しましたね。
なんとか制作が終わりました(笑)。終わると思わなかったですけどね、今回は正直。
──Twitterやブログなどを拝見していると、なかなかしんどそうな雰囲気が漂っていましたもんね。
あははは(笑)。すみません。でもこうやって形になって、リリースできることが今はすごくうれしいなって思えてます。
──前作「あなたと見た夢 君のいない朝」から約1年9カ月。その間に柴田さんの中にはどんな気持ちの揺れ動きがあったんでしょうか?
流れとしてはまず、カバーアルバム(2012年10月リリースの「COVER 70's」)が思いのほか受け入れてもらえて……ややヒット(笑)したという状況の中、すぐに「あなたと見た夢 君のいない朝」を作り始めたんですね。で、それがリリースされたのが2013年3月。CDショップでは、カバーアルバムと一緒に並べていただき、いつも以上に大々的に展開をしていただくこともできたんです。
──うん。いい状況でしたよね。
すごく幸せでした。私もやっとメジャーになれたのかなって(笑)。「あなたと見た夢~」というアルバムは、柴田淳史上最高にありのままの自分をさらけ出した内容でもあったので、ある種の手応えを自分でも感じていましたからね。ただ、アルバムの内容的には全部の曲が大失恋を歌ったものであり、それはプライベートの私自身そのものだったんですよ。だから作品としては納得できたけど、気持ちとしてはかなりつらい部分もあったんです。で、そういう感情に浸りたくはなかったから、ただでさえ怒涛のスケジュールだったにも関わらず、全国ツアーのほかにビルボードライブなんかを自分で提案して詰め込んでいったり、そのあとにはライブDVDのリリース、今年の頭にはライブCDまで作ってしまうというノンストップな状態で走り続けていったんですよ。要は、自分自身の気持ちから1年以上にもわたって逃げ回っていたわけです。で、すべての仕事がひと段落した瞬間、今年に入ってから倒れちゃったんですよね。
──張り詰めていた気持ちが一気に緩んだんでしょうね。
そうだと思います。肉体的な疲労と、消化されないままだった大失恋への痛みが一気にどかんと襲ってきて、約1年半分のデトックスが始まったんですよね。思春期のとき以上にひどいニキビがすごくできましたし、今はだいぶ治りましたけど、髪の毛もかなり抜けてけっこう大変なことになって。精神もカラダもめちゃくちゃ、ドロドロになってしまったんです。でも、仕事は待ってくれないわけなので、そんな状態の中、今回のアルバムの制作がスタートしたという状況で。
私は牙が折れてモテなくなったバビルサと同じ
──出だしからかなり過酷でしたね。そこからはどう抜け出したんですか?
はい。私は思春期の頃から誰かを常に想っている人生を歩んできていたから、想い人がいない自分がどう生きていけばいいのかがまったくわからなかったんですよね。1人での立ち方がわからなかったというか。しかも肉体的にもひどい状態だったので、ほんとにつらかったんです。でも、時間が解決してくれるという言い方はあまり好きではないけど、徐々にそこから抜け出していくことはできていったんですよ。パートナーがいないことに対して“足りない”という気持ちでいたからつらかったわけですけど、そもそもパートナーがいないことが“普通”なんだって、だんだん思えるようになってきた。その普通の上に、パートナーという存在が加われば人生がさらに喜びのあるものになるんだっていう認識になってきた。まあ、そこに至るまでには1年以上かかったんですけど(笑)。
──でもそう思えるようになったのは大きな一歩ですよね。
うん。で、しかもその間に私は誕生日を迎え、アラフォーの仲間入りを果たしたわけですよ(笑)。そうしたら、なんかもうやっと大人の女になれたのかなと思えてうれしくなったし、1人でも大丈夫かもしれないという気付きと合わせて、これからの人生がすごく楽しみになってきちゃったんですよ。あははは(笑)。そういう意味では。自分がちょっと生まれ変われたような気持ちになれたんですよね。まあ、これはアルバムの制作にはあまり関係ない部分ではあるんですけど(笑)。
──関係ないんですか!(笑) 今そうやって健やかな気持ちになれているのは本当によかったと思いますが、でも一度深い闇をさまようまでになっていた柴田さんの心の動きは、今回の「バビルサの牙」というタイトルにも反映されているんじゃないかなと思うんですけど。
このタイトルは、アルバムが完成する前に決めていたんですよ。バビルサっていう動物は牙が長いほどモテて、子孫を残して、たくさん繁栄できるんですね。でも、自らの牙が刺さって死んでしまうという危険と常に隣りあわせだったりもするんですよ。
──“死を見つめる動物”と言われていますもんね。そう。だからこそ、柴田さんはかなり深いところまで気持ちが行ってしまったんじゃないかとちょっと心配になったりもしたわけですよ。
ってライターの皆さんは深読みしてくださるんですけどね(笑)。今年に入って倒れたとさっき言いましたけど、そのあとに私の心は本当に空っぽになってしまっていて。で、そういう状態のまま、ある日散歩をしていたら転んで前歯を折ってしまったんです。
──ええ! 前歯ですか?
そう、前歯。まあすぐ歯医者さんに行ってくっつけてもらうことはできたんですけどね。でも、そのときに私は、牙が折れてモテなくなったバビルサと同じかもしれないなって思ったんですよ(笑)。
──あははは(笑)。自分に重ね合わせたわけですね。
牙が折れたバビルサは命の危険はなくなるけど、モテることもなく長い人生を歩んでいかなければいけない。それってきっと相当寂しい思いをしていると思うんですよね。なんだかそういうところが、気持ち的に落ち込んでいた自分に重なっちゃったんです。だからこのタイトルにしたっていう……そんな理由で申し訳ないんですけど(笑)。
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- ニューアルバム「バビルサの牙」2014年12月17日発売 / Victor Entertainment
- 初回限定盤 [SHM-CD] 3888円 / VICL-78001 / Amazon.co.jp
- 通常盤 [CD] 3240円 / VICL-64265 / Amazon.co.jp
- レコチョク
収録曲
- 王妃の微笑み
- 反面教師
- 白い鎖
- 牙が折れても ~ instrumental ~
- 車窓
- 哀れな女たち
- ピュア
- 愛のかたち
- 横顔
- 記憶
柴田淳(シバタジュン)
1976年生まれ、東京都出身の女性シンガーソングライター。幼少期からピアノを習い、音楽に親しみながら育つ。2001年10月にシングル「ぼくの味方」でメジャーデビュー。2002年3月に1stアルバム「オールトの雲」を発表する。以降もコンスタントに作品を発表し続け、2005年9月には初のシングルコレクションアルバム「Single Collection」をリリース。2008年9月には映画「おろち」のテーマソング「愛をする人」を書き下ろし、音楽ファン以外の注目も集めた。透明感のあるボーカルと、女性の情念を繊細に描いた詞世界が支持されている。CHEMISTRYや中島美嘉らへ楽曲提供を行うなど、作曲家としても活躍中。デビュー10周年を迎えた2012年10月に、初のカバーアルバム「COVER 70's」を発表し、ボーカリストとしても高い評価を得る。2013年3月に9枚目となるオリジナルアルバム「あなたと見た夢 君のいない朝」、2014年12月に10作目となるアルバム「バビルサの牙」を発表。