ナタリー PowerPush - 石川さゆり with 奥田民生
モータウン&サーフィン! キュートな作品「Baby Baby」完成
モータウンの基本をなぞっておきたかった
──コーラスでLeyonaさんとうつみようこさんが参加されています。これは石川さんの歌の後に録音したんですか?
奥田 そうです。ごついねーちゃんたちに歌っていただきました(笑)。
──女性コーラスで色を付けたかった?
奥田 モータウンの基本をなぞっておきたい気持ちになりまして(笑)。
──石川さゆりさんにモータウンという発想はどこから?
奥田 えーと、その前に僕がたまたま、シカゴのチェス・スタジオに見学に行ったもので(笑)、勝手にそうしただけで。でも合うと思った。バラード的なものよりは、ソウルのリズムのある曲のほうが面白いかなと思ったんですね。
──それを石川さんが受け止めて歌ってくださって。
奥田 そうですね。当然、細かいことは何も言ってないんですけど、曲の感じを理解していただいて。
──石川さん、今「モータウン」というレーベル名が出ましたが、そういう曲もお聴きになるんですか?
石川 私は、そういうのも好きなんです。演歌も好きなんですけど、元々はそこからスタートしてないんで、音楽的には違和感はないですね。ステキなものは好き、カッコいいものは好き。
レコーディングで譜面がないことに驚きました
──レコーディング中に印象的なことはありました?
石川 奥田さんが音を作ってらっしゃるときに、譜面がないことに驚きました(笑)。だって、私たちがいつも作るときって、スタジオにストリングスからブラスから、いろんなミュージシャンがワーっていて、そこに譜面がワーっとあって。そういう状態で1回歌って、「ちょっとここの音変えません?」って譜面を見ながら進めていくんですけど、奥田さんは全然やり方が違う。全部自分で作ってらして。スタジオ作業が終わってからも、「今日はまだ何とかと何とかを足します」ってひとりで残って、楽器を足したり。だから新鮮な作業でしたね。
奥田 でもあれですよ、スカパラの人たちに頼まなきゃいけないから、一応書いたんですよ譜面。
石川 えー、書いたの?
奥田 ええ、でもオタマジャクシは書いてないです(笑)。ここからBメロで、とかそれぐらい。僕が作業してるときは、頭の中で全体像がわかってるから、譜面はいらないんですよ。でも実はスカパラに頼むと北原さんが書いてくるから、やっぱりいらない(笑)。
石川 そういう意味で、いっぱいレコーディングをやってきたけれど、こういうレコーディングは初めて。楽しかったです。
奥田 僕もね、普段はバンドでやるときもあるわけですから、全部ああやってるわけじゃないですよ。今年は、たまたまひとりで作業することが多いんですけど、元々はバンドでやってましたし。現場であれこれやるほうが多いんですよ。
石川 譜面のない音楽作りというのが、私にはすごく新鮮でしたね。
──よりどころがないようで不安になりませんでしたか?
石川 最初は不安でした(笑)。どうなるんだろうって(笑)。音楽は本来、耳で聴くものなんだけれども、何かこう、作るときに音が目で見えないと落ち着かない、変な癖がついてたなって。
──すると今回のシングルは、民生さんの歌を聴いて、音を自分で耳で取って歌ったということですね。
石川 はい。私、あるところはいい加減なんですけど、あるところは几帳面で。これは昔のおケイコごとのクセなのか、レコーディングが終わった日は、「何スタジオ何月何日パス!」って譜面に書いて全部残してあるのね。でも、今回は譜面がないんですよ(笑)。だから歌詞だけの紙に、何スタジオ何月何日って書いてある(笑)。
奥田 ははは。
石川 実にこれが新鮮(笑)。
奥田 一応あったんですけどねえ。
──コード譜でしょう?
奥田 そうです。オタマジャクシは書けないし読めないし。余計なことしても混乱するだけだし。
──春のレコーディングツアー「ひとりカンタビレ」と同じように、ひとりで音を作って、それを聴いていただいて、手直ししながら進めていったというわけですね。石川さんは、スタジオで音のチェックなどはされたんですか?
石川 いえ、私はチェックじゃなくて、へー、ほおーって感心してました。
奥田 最初の楽器を録ったのは、スタジオっていっても家のスタジオだったり。ブラスや歌を録るときだけ、ちゃんとしたスタジオで作業したんです。だから、気付いたら勝手に作っていやがる、みたいなことになった(笑)。
石川さゆり(いしかわさゆり)
1958年生まれ、熊本県出身の日本を代表する女性歌手のひとり。1973年3月にシングル「かくれんぼ」でデビュー。1977年にリリースしたシングル「津軽海峡冬景色」が大ヒットを記録し、その年数々の音楽賞を受賞。主な代表曲は「能登半島」「暖流」「天城越え」「夫婦善哉」「風の盆恋歌」など。年末恒例番組「NHK紅白歌合戦」の常連歌手であり、通算出場回数32回を誇る。また、1990年に「サントリークレスト12年」CMソングとして制作した楽曲「ウイスキーが、お好きでしょ」が人気を集め、シングルとして発売。さらに2010年には、「ルーツ アロマインパクト」のCMのための音楽ユニット「コーラスジャパン」に参加するなど、演歌の枠にとどまらない多岐にわたる活動を展開している。
奥田民生(おくだたみお)
1965年生まれ、広島出身の男性シンガーソングライター。1987年にロックバンド、ユニコーンのボーカルとしてデビュー。1993年のバンド解散まで、数々の名曲・名作を発表した。解散後はソロアーティストとして再始動。1994年にシングル「愛のために」でソロデビューを果たし、現在までマイペースに濃厚な作品を発表し続けている。また、井上陽水奥田民生、O.P.KING、THE BAND HAS NO NAMEなどのコラボユニットへの参加や、PUFFYのプロデュースといった課外活動も盛ん。2010年には1曲をレコーディングする過程をライブで見せる“レコーディングライブツアー”「ひとりカンタビレ」を敢行し、多くの音楽ファンから注目を集めた。なお、2009年にはユニコーンが復活。バンド活動も並行して行っている。