ナタリー PowerPush - 石川さゆり with 奥田民生
モータウン&サーフィン! キュートな作品「Baby Baby」完成
「天城越え」など数多くのヒット曲を持つ石川さゆりと、マイペースながらも多忙を極める奥田民生が、思いがけず出会ったことから生まれた「Baby Baby」。このコラボが実現したのは、くるり主催の「京都音楽博覧会2009」に2人が出演し、そこで意気投合して「何か一緒に」と話が進んだことがきっかけ。このたび、奥田が提供する曲を石川が歌うシングルのリリースに至った。
初めて揃って取材に応じた2人に、今だから明かす出会いの裏話からレコーディング秘話まで、たっぷり語ってもらった。
取材・文/今井智子 撮影/中西求
本当のこと言うと、開催場所のSL広場にひかれたんです(笑)
──お2人が知り合ったのは昨年のくるり主催「京都音楽博覧会」(以下音博)でとのことですが、くるりと石川さんは同じ「電車」という趣味をお持ちとか。
石川 たまたま話をしていたらわかったんですよ。私はSLが好きなんですけど、くるりは電車が好きだって。
──そういうつながりがあるとは知らなかったので、石川さんが「音博」に出演されたのは意外でした。
石川 電車つながりという程のこともないんですけど。くるりのお2人が、博多でやってた私の公演まで来てくださって「『音博』に出てくださいませんか」と言ってくださったのが始まりなんです。最初は、昼間に着物着て出てって「昼間のお化けどうしたの?」みたいに思われたら嫌だなと考えたんです。でも本当のこと言っちゃうと、開催場所のSL広場にひかれたんです(笑)。梅小路機関区ってすごいところでね。
奥田 わはははっ、だからか~(笑)。
石川 大好きなところなんです。昔「ゆく年くる年」で、梅小路機関区のSLが汽笛の音で「蛍の光」を鳴らしたことがあって。私はそれをその場で見てたので、とても感動深く覚えているんです。だから、梅小路機関区に行けば汽笛の音が聴けるんだと思って。しかもそこの前にステージを組んであるっていうから「行かなきゃ、そこで歌わなきゃ」って(笑)。
──なるほど。
奥田 ウチの親父はSL乗ってたんですよ。釜焚きだった。
石川 ステキー。
奥田 子供の頃は広島の機関区で遊んでた。僕はSL好きじゃないんですけどね。
石川 私は子供の頃、実家の近くを走ってる鹿児島本線の白川という川に鉄橋があって、そこを渡ったところにある土手によく行ったなぁ。親に見つかると叱られるんだけど、線路に耳を当てて、ガタンゴトン、ガタンゴトン、て汽車が近づいてくる音を聴いてたんです。それで近くまで来たら走って逃げるの。
奥田 なるほど、だから参加したんだ。確かに「音博」では昼間のうちは演奏してる最中も「ピーッ」て鳴ってたもんね。
「音博」で、音楽って、歌っていいものだなって感じた
──そのステージで歌った感想は?
石川 実際、あそこに立つと機関区は見えないんですけど(笑)、ステージに向かって夕日が沈んでいくんですね。本番のときは夕焼けが見られなかったんですけど、前日のサウンドチェックのときにちょうど夕日が見えて。「こんな気持ちのいいところで風を受けながら歌えるなんて」って思ったんです。私たちのステージは普通、ホールの中で暗いでしょう? これは病み付きになりそうと思うぐらい気持ち良かった。それに、いつものステージだと、お客様がじっくりと聴いてくださるんですね。そうすると、エネルギーを放出していく感じがするの。でも、ロックフェスだと、お客さんが「うわー」って盛り上がってるから、若いエネルギーみんな吸っちゃえみたいな(笑)感じがありましたね。
──その石川さんをご覧になってた民生さんは、どんな印象でした?
奥田 お客さんの反応がすごかったよね。得した感があったんじゃないかな。
石川 何も特別なことはしてないんですよ、ホントに。いつものステージ。
奥田 そうですよね。でも相当インパクトありましたよ。「ラッキーだなあ、お客さん」と思った。俺らもですけど。
石川 そのとき感じたのは、音楽はホントは年代もジャンルも全く関係なくって、気持ちのいいものは気持ちいいし、楽しいものは楽しいし、染みるものは染みる、ってこと。ふふふ。私は、自分の出番以外はお客さんのいるエリアに行って他の人の演奏を聴いてたのね。すごく楽しかった。自分のステージは、完全に構成されたステージが多いんですけど、「音博」は何があるかわからない自然なユルさっていうのかな。自然の流れの中で歌われる音楽と、それを楽しむお客さんと。この感じっていいなと感じました。すごくいい空気を吸った感じがして、あまり外からはわからないかもしれないけど、私の中では、何かが芽生えたの。
──そうでしたか。そこで民生さんとお会いになって。
石川 奥田さんって、結構シャイな方なんですね。それにあんまり社交的じゃないのね。
奥田 すみません(笑)。
石川 フレンドリーでもないのね。そこで「面白そうな人だけどどうやってコミュニケーションしたらいいのかな、でもお話してみたいなー」って思ったんです。その後の打ち上げでは、結構お酒を召し上がったからか、楽しい方だなって感じで。
──なるほど。
石川 でもホントに、音楽って、歌っていいものだなって感じたのが、その日私が持った感想でしたね。そして、音楽を楽しんでる人、好きな人って、やっぱり素敵って。私たちは、仕事として歌を歌ったり音楽をやってきたりしたけれども、もっとその枠を外して楽しみたいなと感じられる、いい時間だったの。「音博」を作るのに、きっといろんな方が苦労してると思うんだけど、それが見えない自由さって言うのかな。本来、音楽ってこれなのよねって。どこかで、自分もいろんな活動をしてもいいかなと思いました。
──これまでにもステージや楽曲でいろいろなコラボをされてきたと思いますが、今回のはさらに新しいチャレンジという感じですね。
石川 チャレンジっていうか、あまり無理はないのね。奥田民生さんという人と、友達になりたかったの。友達になるということはどういうことかというと、この方と一緒に、何かできたら面白いな、うれしいなって。私ね、嫌な日が少ないほうがいいなと思える年齢になってきたんですよ(笑)。変な言い方ですけど、だから楽しそうだなって思うことは「お仕事でこれやっちゃいけないわ」なんて考えは置いといて、触れてみたいわって。だから「たみちゃん、あそぼ」って(笑)。で奥田さんが「しょうがねえなあ、1回だけだぞ、遊ぶのは」って言うのか「面白そうだからまたやろう」って言うのかは、これからかな。
石川さゆり(いしかわさゆり)
1958年生まれ、熊本県出身の日本を代表する女性歌手のひとり。1973年3月にシングル「かくれんぼ」でデビュー。1977年にリリースしたシングル「津軽海峡冬景色」が大ヒットを記録し、その年数々の音楽賞を受賞。主な代表曲は「能登半島」「暖流」「天城越え」「夫婦善哉」「風の盆恋歌」など。年末恒例番組「NHK紅白歌合戦」の常連歌手であり、通算出場回数32回を誇る。また、1990年に「サントリークレスト12年」CMソングとして制作した楽曲「ウイスキーが、お好きでしょ」が人気を集め、シングルとして発売。さらに2010年には、「ルーツ アロマインパクト」のCMのための音楽ユニット「コーラスジャパン」に参加するなど、演歌の枠にとどまらない多岐にわたる活動を展開している。
奥田民生(おくだたみお)
1965年生まれ、広島出身の男性シンガーソングライター。1987年にロックバンド、ユニコーンのボーカルとしてデビュー。1993年のバンド解散まで、数々の名曲・名作を発表した。解散後はソロアーティストとして再始動。1994年にシングル「愛のために」でソロデビューを果たし、現在までマイペースに濃厚な作品を発表し続けている。また、井上陽水奥田民生、O.P.KING、THE BAND HAS NO NAMEなどのコラボユニットへの参加や、PUFFYのプロデュースといった課外活動も盛ん。2010年には1曲をレコーディングする過程をライブで見せる“レコーディングライブツアー”「ひとりカンタビレ」を敢行し、多くの音楽ファンから注目を集めた。なお、2009年にはユニコーンが復活。バンド活動も並行して行っている。