Sano ibuki|自分自身が息づく私小説的アルバム ポップミュージックをまっすぐ見つめて ゆかりのある著名人7名から寄せられたメッセージも

リスナーの想像をかき立てる“私小説”

──5曲目の「lavender」は、アコースティックな手触りのミディアムチューンです。この曲はSanoさん自身の実体験に紐づいているそうですね。

はい。友人との別れの経験に基づいているんですが、曲を書くときは、そのことを匂わせる必要はないなと思いました。その結果、友人だけではなくて、好きな人や家族、大切な人のことを聴く人がそれぞれ思い浮かべられる曲になったかなと。「またね」という言葉にしっかり意味を持たせられたのもよかったです。

Sano ibuki

──自分の経験をそのまま描写しなくても、そのとき実際に味わった感情を投影することで、楽曲に説得力や強さが生まれているのかもしれないですね。

そうですね。それはアルバム全体に言えることでもあるし、振り返るとこれまでの作品もすべてそうでした。例えば「STORY TELLER」に収録されている「沙旅商(キャラバン)」は砂漠を思い浮かべて書いた曲なんですが、曲を作りながら実際に砂を触ったり、塩を舐めたりしてました(笑)。自分が実際に体験したことは自然に曲に反映されていると思うし、そうすることで曲により立体感が出るのかなと。

──なるほど。トオミヨウさんの抑制の効いたアレンジも素晴らしいですね。

僕は活動を始めたばかりの頃からトオミさんにお世話になっていて。トオミさんには今までいろんなタイプの楽曲をアレンジしていただきましたし、「lavender」も「トオミさんにお願いしたら絶対にカッコよくなる!」という絶対的な信頼感がありましたね。

──続く「あのね」は、レーベルメイトであるTENDREさんが編曲を担当されています。

この曲のアレンジは、当初から鍵盤とボーカルを中心にして、空間が感じられるような音にしたいと思っていて。だから「そういうイメージでお願いしたいです」と、かなり自由度の低いお願いをしてしまったんですけど、TENDREさんならではのサウンドに仕上げてもらえてうれしかったです。音から景色が浮かび上がってくるようなアレンジだなって。冒頭にレコードのノイズ音も入っているんですが、そのパートから「あのね」と話しかけるように歌い出すストーリー性も含めて、素敵な化学反応が生まれたと思います。

──「あなたの声が聞きたくなったから そばにいてもいいかな」など、切ないフレーズも印象的でした。リスナーはたぶん、「Sanoさんは実際にこういう経験をしたんだろうな」と想像するかもしれないですね。

そうですね(笑)。今回のアルバムは“私小説”ということも謳っているので。とはいえ、実体験をそっくりそのまま歌にしている曲は1つもないんですけどね。

──「おまじない」「スピリット(BREATH ver.)」はアニメ映画「ぼくらの7日間戦争」の主題歌として書き下ろされた曲ですね。この2曲については、Sanoさん自身の実体験とは違うところから生まれているのでは?

確かに2曲とも「ぼくらの7日間戦争」のために書いた曲ではあるんですが、自分の思い出を映画の主人公たちの気持ちに重ねたり、映画を観ながら昔の知り合いのことを思い出す瞬間があったんです。そういう意味では今作のコンセプトに通じる曲だし、ここに入れるべきだなと思いました。

タバコと下北沢にフィクションを混ぜて

──骨太なロックチューン「伽藍堂」は、小説「人間失格」をモチーフにした楽曲ということですが、太宰治は私小説を代表する作家ですよね。

この曲はディレクターに「『人間失格』をもとに曲を書いてみたら?」と言われたのがきっかけで書き始めて。太宰と同じように、自分はどこまで堕ちていけるだろう?と考えながら、自分の心の中に潜り込む作業をやってみました。心の奥の深いところまで潜って、底にタッチして戻ってくることをひたすら繰り返して、そのたびに気持ちが沈んで。この曲を作ってから、歌詞を書くときは気分的にかなり落ちるようになりました(笑)。

──10曲目は、「SYMBOL」に収録されていた「emerald city」のリアレンジバージョンですが、今回この曲をアルバムに入れようと思ったのはどうしてですか?

先ほどお話した通り「STORY TELLER」と「SYMBOL」は想像上のストーリーをもとに制作した作品だったから、その頃に自分が考えていたことが作品にも顕著に表れているなと感じて。特に「emerald city」は、ファンタジーでありつつも僕自身の思想を投影できている曲なので、今回のアルバムにも自然に馴染んでいると思います。

──続く「紙飛行機」は、映画「滑走路」の主題歌として書き下ろされた曲ですね。

「BREATH」の制作に入って、最初に作ったのがこの「紙飛行機」で。「ぼくらの7日間戦争」に書いた「おまじない」「スピリット」と同じように、映画の主題歌であることを意識しつつ、自分自身の思いや実際に見た景色を織り交ぜて完成させました。歌詞にも僕の実体験が色濃く出ているし、「BREATH」というアルバムはこの曲から始まったような感じがします。

──なるほど。アルバムの起点になった曲なんですね。エモーショナルなメロディラインも素晴らしいと思いました。

それはうれしいです! いろんなメロディを書いたんですけど、どれも納得できなくて、ギリギリまで待っていただいたんです。監督からは「希望を感じられる曲をお願いします」というリクエストをいただいたんですけど、ただ明るく前向きなメロディではダメだなと。希望を胸にしているからこそ感じている悔しさ、つらさもにじませたかったというか。僕は普段あまりメロディで悩むことがないので、試行錯誤したのも貴重な体験でした。

──そしてアルバムのラストナンバーは、ギターの弾き語りによる「マルボロ」。この曲で描かれている街は、下北沢がモデルになっているとか。

はい。これは5年ほど前に作った曲なんですが、その当時は曲作りの方法をいろいろと試していた時期で。自分でふくらませた想像上のストーリーをもとにして作ったり、人から聞いた話をモチーフにしてみたり。で、この曲は実体験をフィクションに落とし込むようにして書きました。タイトルは「マルボロ」だし曲の主人公は喫煙者ですけど、僕自身はタバコも吸わないし、街のモデルにした下北沢にも当時は1、2回しか行ったことがなかったという(笑)。

──そうなんですね。下北沢はSanoさんにとって憧れの場所だったんですか?

そうですね。音楽を本格的に始める前は、「バンドを組んで、いつか下北沢でライブがしたい」と思っていました。あとになってから実際に下北沢のライブハウスにも出られたんですけど、結局ずっと弾き語りをしてましたね(笑)。

Sano ibuki

僕自身が居場所になればいい

──改めて今作のタイトル「BREATH」の由来についても聞かせてもらえますか?

僕はいつも題名を先に決めて作品を作っていくんですけど、今回はけっこう悩みました。でも、アルバムの骨格がほぼできあがりつつある頃に、このアルバムは自分そのものだなと思って。「Sano ibukiです。このアルバムを聴いてください」と名刺代わりになるような作品に仕上がったので、最終的に「BREATH」(息吹)と名付けました。それに、ジャケットに映っている椅子も僕自身だと思っていて。

「BREATH」ジャケット

──アンティークの椅子にSanoさん自身がペイントを施したそうですね。この椅子が「BREATH」というアルバムを象徴している?

はい。これは誰でも座っていい椅子だし、「BREATH」という場所を表したいなと。今はなかなかライブができない状況なので、聴く人が音源の中に自分の居場所を見つけられるアルバムにしたかった。作り終えてみて、そういう存在になれる作品になったという手応えもありますし、聴いてくれる人にとっても自分自身にとっても、このアルバムがいつでも帰れる場所になったらいいなと。

──Sano ibukiというアーティストにとっても、新たなスタート地点になるアルバムですね。

そうですね。これまでは作品を作り終えると、次にやりたいことが自然と頭の中に浮かんできていたんですが、今回は何もなくて……。次はどうしようかなと悩んではいるんですが(笑)、そういう体験も稀有なことだなと。そこまでやり切ったと思えるアルバムが作れたことを、すごくうれしく思っています。