SALUが振り返る日本語ラップの10年、SKY-HIや清水翔太のメッセージも (3/4)

KOHHくんとRYKEYが出てくるまでは本当に孤独だった

──いつ頃から、そういう虚無感があったんですか?

2015年ぐらいが一番荒れてたんですよね。ベストアルバムの収録曲でいうと「歪んだ愛」をリリースしたくらいの頃。常に右往左往してました。

(スタッフ) 一応補足しますと、今思うと、という感じです。僕的にはそんなに荒れてる印象ではなかったです。あとSALUくんに関して言うと前例になるようなラッパーがいなかったんですよ。

──なるほど。今でこそ「ラップスタア誕生」みたいなメジャーなフォーマットがあるけど、当時のヒップホップはまだアンダーグラウンドなカルチャーでしたもんね。

KREVAさん、RHYMESTERさん、Zeebraさんのようなメジャーで長く活躍されてる先輩方はもちろんいたけど、時代も状況もそれぞれ違うわけで。先輩にも僕みたいなスタイルのラッパーは誰もいない。昔、MTVでいろんなラッパーの方にインタビューする番組をやらせてもらってて、それこそMummy-DさんとかPESさんとか先輩たちにいろんな質問したんです。皆さんすごく優しく、かつ丁寧に答えてくれました。番組ではなく個人的にですが、AK-69さんもいつもハッとするようなことを言ってくれて。その中で自分が考えてたことはそんな間違えてないんだなと思えたんですよね。

──SALUさんは当時、日本語ラップファンはもちろん、ヒップホップ業界からもものすごく期待されたブライテストホープのような存在だったから、傍から見ててすごいプレッシャーだろうなとは思っていました。

何か新しいことを起こさなきゃいけないのかなって常に思ってて。だからBLさんとだけじゃなく、違うプロデューサーともやってみたりしたんですよ。そういうプレッシャーの中で、僕はKOHHくんとRYKEYが出てくるまでは本当に孤独でした。AKLOさんも近くにいたけど兄弟弟子としての感覚が強い。違うところから出てきた2人のおかげで力が出てきた。「ヤバい、がんばらなきゃ」って思えた。

──KOHHさんとRYKEYさんが変わるきっかけだったんですね。

KOHHくんは新しいスタイルを発明したと思っているんですけど、そのちょっとあとにRYKEYが音楽シーンに戻ってきて、僕にこう言ったんです。「SALUくんはいつからそんなにかわいそうな人になっちゃったの?」って。

──それはどういう意味でしょうか?

その頃の僕は完全に自信喪失して、自分が何をすればいいのかわからない状態だったんです。昔の僕を知ってるRYKEYからすると、その姿に違和感があったんでしょうね。「そうか、SALUくんは鬱になったんですね」と言われたんです。最初は「いやいや違うから」と思ったけど、よくよく考えみるとどうやらRYKEYが言ってることは正しいっぽい。自分で作り上げてきた自分が嫌いになってしまった。だから新しいことをするために東京に引っ越してみたり、いろいろ試して完成したのが「INDIGO」だったんです。

SALU

KOHHに教えてもらったフロウ

──今の話で完全に「INDIGO」がどういうアルバムなのか理解できました。ちなみにKOHHさんの登場はSALUさんにとって大きかった?

はい、2013年にKOHHくんのスタジオまで行ってフロウを教えてもらったりしました。

──当時はラッパー同士の関係ってまだヒリヒリしたところもあったと思うんですが。

シンプルにKOHHくんのラップが何をやってるのかわかんなかったんですよ。だから直接スタジオに行って聞いたら「ああ、気付いちゃったんですね」って(笑)。2分3連というのかな、それを教えてもらったけどすぐにはできませんでしたね。同じ年にOHLDくんもそれを研究して習得したんですよ。僕もそこにハマっちゃって。本当はほかにも大事なことはあったんですけど(笑)。

──でも面白かった?

そう。面白いんですよ。新しくないとつまんない。この間もJETGくんというラッパーに会いに行きました。彼はドリルでラップしてるんですけど、今ドリルをやってる皆さんと歌詞の書き方がちょっと違うんですよ。JETGくんカッコいいですよ。すごい。JIGGさんのスタジオに連れていって、一緒にドライブしながら、僕たちがやってきたことを話したり、JETGくんが発明した作詞方法について聞いたりしました。

──相変わらず面白そうなことをたくさんされてますね(笑)。

興味がない人にとっては全然わからないことだと思うんです。目に見えるものでもないんで。でもやっぱ新しいことを追求するのがすごく面白くて。これはKOHHくんにも言えることだけど、みんなすごく緻密に突き詰めて音楽を作ってるんですよね。

(スタッフ) SALUくんがKOHHくんと曲を作っていたとき、車のウインカーのカチッカチッという音であのフロウの練習してたんですよ(笑)。びっくりして「何やってんの?」って聞いたらKOHHくんに教えてもらったって。

僕はもう覚えてないんですけど、やってたんでしょうね(笑)。やっぱりKOHHくんみたいにちゃんと考えてやってる人が、僕に「何やってんだろ?」って思わせたり、「なんかわかんないけどめっちゃいい」って思わせたりすると思うんですよね。ロジックの蓄積というか、レイヤーというか、そういうことがすごく大事なんだなって最近本当に思い出しました。

NORIKIYOとSALU

──ベストアルバムにはNORIKIYOさんらとコラボした「 Stand Hard (Remix) feat. SIMON, NORIKIYO, AKLO, Y's & BACHLOGIC」も収録されています。NORIKIYOさんは現在“長期取材中”(参照:大麻取締法違反で逮捕されたNORIKIYO、今日から3年間の“長期取材”へ)ですが、改めてSALUさんにとってどんな存在かお伺いしたいです。

NORIKIYOさんは、さっき話に出たSEEDAさんとつながった時期にめちゃくちゃ聴いてたんですよ。SD JUNKSTAも大好きだったし。あとBESさん、GEEKさん、SHIZOOさんも。「CONCRETE GREEN」(※SEEDA、DJ ISSOによるミックスCDシリーズ)がすごく好きだったんですね。NORIKIYOさんは最初に声をかけてくれた方という印象がありますね。「EXIT」(2007年8月に発売されたNORIKIYOの1stアルバム)とかを聴いてると、怖そうだし、硬派なイメージがあるじゃないですか。でもすごく優しかったんです。あと僕が当時住んでた厚木と相模原はエリア的にほぼ同じなんですよ。フッドから僕みたいなのが出てきてうれしいと言ってくれました。

──いい話ですね。

あと最初にギャラをくれたのがNORIKIYOさんなんです。SDが町田でやってた「SAG DOWN」にゲストで呼んでくれたんですよ。全部終わったあと、1万円をくれて。まだ名もない頃だったし、「SAG DOWN」のステージに立てたし、「もらえないです」って言ったんです。そしたら「もらえないとかじゃないんだよね。いつかは自分のギャラは自分で決めなきゃいけなくなるときがくるしさ、ルーサーのライブの価値はルーサーが決めるんだ」って。そのときは意味がわからなかった。でも今ならわかります。早くこっちに来いってことだったんだなって。あの時の自分のライブの価値が1万円とは今は思わないなって。それが見えるようになれってことだったんだなって。

──カッコいいエピソードですね……。

本当ですよね。それを言われたときのキャッシャーの形まで鮮明に覚えてます。あとNORIKIYOさんはキーくんって呼んでくれと言ってくれるんですけど、僕はいまだにNORIKIYOさんとしか呼べないですね。

(スタッフ) SALUくんのことを最初に僕に教えてくれたのがNORIKIYOくんだったんです。「SALUってヤバいやつが出てきて、スーパーカーみたいにみんなを追い越していくから」と。MACCHOくんとかと作った「Beats&Rhyme」という曲があったじゃないですか。あれをSALUくんがビートジャックしたバージョンがあるんですよ。

ありましたね(笑)。当時の僕は生意気にも「オリジナルより俺のほうがイケてる」とか思っちゃってましたから。そうだ、BLさんに「ちゃんとSALUを聴いてくれ」と言ってくれたのもNORIKIYOさんですね。最初にSEEDAさんとのレコーディングの話をしたじゃないですか。あのときは「こんにちは」と軽く挨拶したレベルだったんですが、一応デモを焼いたCD-Rも渡したんです。BLさんはいろんな人から音源をもらってるから、僕のも最初は聴いてなかったらしいんですよ。

──鳥肌立ちました。

NORIKIYOさんのひと押しがなかったら、BLさんは僕に気付いてくれなかったかもしれない。

今の自分が大好きなんですよね

──最後に、先ほどご自身のメンタルヘルスの話題に言及されましたが、こうしてお話を伺っていると最近は調子がよさそうですね。

そうですね。なんかよくなったと思ったら急に調子悪くなって、がっかりして、みたいなことになるのを何度も経験してるので、最近はなんとなく毎日「いい感じだな」という状態がキープできればいいかなと思ってます。

──その状態になれた要因は?

父親みたいなことをさせてもらったというのが大きかったです。その娘がつい最近、巣立っていったんですよ。今は初めて夫婦2人の時間を過ごしてます。たまに父親業は創作に向かないみたいな話を耳にするけど、僕はその時間を経た、今の自分が大好きなんですよね。だからあまり遠ざけたくない。娘も僕と向き合ってくれたし。大喧嘩もしました(笑)。こういうこと言うと親バカ感が出ちゃうんですけど、この前、娘からメールが来たんです。「元気?」って。実は僕もそのメールをもらう3日前くらいに「娘は元気かな?」と思ってたんですよね。なんかもう家族なんだなと、そのときに思ったんですよ。それがすごくうれしくて。今後これが創作にどう影響するかわからないけど、僕が常に欲しがってる“新しいもの”が自分の中から今生まれてる状況なので、これからの作品にきっと反映されていくと思います。