斉藤由貴がデビュー35周年記念セルフカバーアルバム「水響曲」をリリースした。
本作は1985年のデビューシングル「卒業」から87年リリースの「さよなら」までのシングル全10曲の新録音源で構成されている。プロデュースはオリジナルの編曲も手がけていた武部聡志が担当。アコースティックピアノを軸に、室内楽編成を中心としたシンプルかつ美しいリアレンジが施されている。
女優としても絶大な知名度を誇る斉藤だが、その無二の歌声もまた、松本隆、筒美京平、玉置浩二、谷山浩子といった作家陣の楽曲とともに、長年多くのファンに愛され続けている。今回の特集では斉藤にインタビューを行い、シングルがリリースされた当時の思い出なども聞きながら、アーティストとしての彼女の魅力に迫った。
取材・文 / 内田正樹 撮影 / 星野耕作
スタイリスト / 石田純子(オフィス・ドゥーエ) ヘアメイク / 冨永朋子(アルール)
自分の気持ちを変えてくれた武部聡志の言葉
──「水響曲」がリリースされる2月21日は斉藤さんの歌手デビュー記念日です。36年前、つまり1985年の2月21日の記憶って、何か残っていらっしゃいますか?
えっ……何も覚えてないです。私、そもそも当時のアイドルの皆さんがよくやっていたレコード店回りとかイベントをほとんどやっていなかったんです。あ、そうそう! 確かリリースから少し経った頃に新宿のスタジオアルタでデビューイベントっぽいことをしたはずです(※同年3月2日。「青春という名の卒業式」)。「卒業」はなんとか歌えたものの、B面の「青春」の歌詞が頭に入っていなかったのか頭から飛んでしまったのか、とにかくまったく歌えないまま、カラオケが流れ続けるステージ上で呆然と立ち尽くしていた記憶があります。
──それは強烈な体験を(笑)。斉藤さんは84年にデビューを飾ると瞬く間にブレイクされて、いわゆるアイドルとして絶大な人気を獲得されました。
そんな恐れ入ります。でも当時は本当にデビューしたかと思ったらすぐ“無限列車”状態に(笑)。アイドル街道と女優街道を爆進していましたね。レコーディング中でも夜中の2時から雑誌の表紙撮影をするとか、今では信じ難いようなスケジュールの中で生きていました。正直、あまりの忙しさに毎日ボーッとしてしまって、死ぬほど忙しかったという以外、あの頃のことはあまりよく覚えていないんです(笑)。
──ちなみに当時、いちリスナーとして好きな音楽はありましたか?
プログレ好きな兄の影響で洋楽にハマっていました。シネイド・オコナー、Eurythmicsのアニー・レノックス、マドンナやスザンヌ・ヴェガといった、ちょっとクールで我が道を行くような印象の女性ボーカリストが好きでしたね。
──斉藤さんが前回音楽ナタリーにご登場されたのは、歌手デビュー30周年でリリースされた前作「ETERNITY」(参照:斉藤由貴×KERA「ETERNITY」対談)のリリース時でした。今回、デビュー35周年を記念した「水響曲」の制作に至った経緯をお聞かせください。
これまで、だいたい5年刻みで何らかのアニバーサリー企画を組んでいただいていたので、数年前から事務所のスタッフの間でも「35周年、何かやりましょうよ」という話が持ち上がっていたんです。でも、正直に申し上げると、私の中では「もういいのでは?」という気持ちもあったんです(笑)。年齢も年齢だし、どうしてもアイドル時代の曲の印象も強いし。「この歳になって『卒業』もないんじゃない?」ってちょっと腰が引ける感じもあって。
──そんなこと言わないでくださいよ。
ただ、そんな私もクリスマスライブを毎年続けて、音楽とはずっとつながっていました。あるとき、武部(聡志)さんが「35周年、僕にできることがあればどんなことでもやるから」とおっしゃってくださって、その武部さんのお言葉ありきで今回のプロジェクトが動き出しました。「オールリアレンジのセルフカバーアルバムはどう?」と発案してくださったのも武部さんでした。ほかにも私の担当マネージャーさんとかバンマスのベーシストの方とか、周りの人たちがレーベルに働きかけてくださったおかげで実現しました。
──確か30周年のときも周囲から「やろうよ」と言われてアルバム制作が実現したんですよね。どうして斉藤さんはあまり自発的に「やろう」と言い出さないんですか?
あの……(小声で)下手だから……。
──それ、これまでも取材のたびによく口にしていますよね。
だってよくレコーディングの現場で耳にしたんですよ。「誰々さんはうまいから2回歌ったらレコーディングが終わるんだよ?」みたいな話を(笑)。私なんてすっごく一生懸命になって声が枯れるまで何度も歌って、しかもその後ディレクターさんに“スイッチングの太鼓の達人”みたいな技術で整えてもらっているし……それを見ていたら、否が応でも自分のシンガーとしての力量に疑念を持たずにはいられなくなるというか。
──長年のファン代表として言わせていただくと、ちょっと自己評価が低すぎる気がします。
ごめんなさい(笑)。
二番煎じではない新しい世界観に
──「水響曲」というアルバムタイトルはご自身の発案ですか?
武部さんにタイトルを相談したとき、「由貴ちゃんは『卒業』『初戀』『情熱』と漢字2文字の三部作からスタートしているし、漢字二文字のタイトルは?」と言われたので「ちなみに武部さんはどんな漢字を入れたいですか?」と聞いたら、「“響”はどうかな?」とおっしゃって。で、私は私で“水”という漢字が頭にあって。水ってどんな姿にも形を変えられるし、透明でひんやりとしていて、きれいじゃないですか。そんな存在でいられたらなあと昔から漠然と思っていました。そこでその2文字を並べた語感から「水響曲」を思いついて。するとビクターの村上くんという、普段は寡黙な新人の男の子が突然「いいと思います!!」と熱く賛成してくれて。彼のプッシュも大きな決め手になりましたね(笑)。
──このタイトルは発明ですね。造語だけどとても美しくて。
ありがとうございます。武部さんのアレンジも演奏も本当に美しいので。今回は演奏といい、タイトルといい、ジャケット写真のフォトセッションといい、いろいろな巡り合わせがパズルのようにきれいにはまって、1つの丸い玉となって手の平に降りてきてくれたような手応えがあります。
──実際、タイトル通り美しいアルバムだと感じられました。単に「もう一度歌ってみました」ではなく、これまでの斉藤さんのオリジナル作品の延長線上に位置する質感と魅力を兼ね備えていて。
ありがとうございます。手前味噌ですが、自分でも決して二番煎じではない、まったく新しい世界観のアルバムになったと感じています。すべてはそれぞれの曲のランドマーク的なフレーズを抽出して、美しいアレンジに仕上げてくれた武部さんのおかげです。
聴き直しているうちに「ああ、これでいいのかも」
──本作は85年リリースのデビュー曲「卒業」から87年リリースの10thシングル「さよなら」までの全10曲の新録音源で構成されています。今回、改めてこの10曲を歌ってみたご感想は?
また怒られるかもしれませんが、まずは「やっぱり歌が下手だなあ」って(笑)。ただ、それでも今回は自分なりに大勝負でした。私のデビュー当時のポップスのアレンジって、特にアイドルものはわりとシンセや打ち込みの音で埋めていくのが主流で、私の曲も御多分に洩れずそういう感じでした。その分、ボーカルが稚拙な部分もうまくマイルドに均してもらえる部分も少なくなかったんですね。一方、今回は武部さんが本当に「響かせたい」と厳選された、限られた楽器と音数によるシンプルかつ美しいアレンジでしたから、私もかなり緊張してレコーディングに臨みました。
──録音の前に、例えば曲ごとのイメージを頭の中で固めるような準備は?
何もしなかったというかできませんでしたね。「歌えるかな」「出せるかな、この音」といった不安ばかりで(笑)。最初はうまく歌えなくて、甘えもいいところですが、ちょっと自己嫌悪に陥ってしまって。35年も経ったら、喉というか声帯の様子も当時とはまるで違いますし。
──それはそうでしょうね。
でも、ミックスダウンされたものを聴き直しているうちに、だんだんと「ああ、これでいいのかも」と腑に落ちてきて。今の私の声と今の私自身の曲の解釈をお届けできれば、きっとそれでもう正解なんだろうなって。実際には今回のアルバムを聴かれて、「ここのピッチは?」「ここのボーカルのリズムは?」と感じられるプロの方もいらっしゃると思うんです。だだ、そこもあの武部さんですから、あえてそういう部分を使われたのだと思いますし。
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自分でもちょっと照れくさい