この春、TOKYO MXほかで放送中のテレビアニメ「山田くんとLv999の恋をする」のオープニングテーマを手がけるKANA-BOONと、エンディングテーマを担当する清竜人。KANA-BOONのフロントマン谷口鮪(Vo, G)は1990年生まれ、清は1989年生まれという同世代で、同じ大阪府出身という共通項を持つ。
高校の同級生と組んだバンドで活動を始めて17年、メジャーデビュー10周年を迎える今も愚直なまでにバンドサウンドを磨き続けているKANA-BOONと、作品を出すたびに音楽性やビジュアルを大胆に刷新し、常に変化を求め続ける変幻自在のソロアーティスト・清竜人。同じ時代に同じ地域で生まれながら、まったく異なる道を歩んできた両者だが、「山田くんとLv999の恋をする」のストーリーを引き立てる2つの楽曲は驚くほど親和性が高い。そこで音楽ナタリーでは2人の対談をセッティング。この日が初対面となった清と谷口は、ほんの少し緊張の面持ちで、ぽつりぽつりと話し始めた。
取材・文 / 臼杵成晃撮影 / 堀内彩香
同時代に大阪で生まれ、音楽を始めた2人の異なる道筋
清竜人 僕ら本当に初対面で、先ほど初めてご挨拶したばっかりなので……ちょっとテンション上がりますね。
谷口鮪(KANA-BOON) ははは。
──本当にどんな会話になるのか想像がつかない組み合わせで。年齢1つ違いで同じ大阪出身という共通項はあれど、片や変幻自在のソロアーティスト、片や愚直にバンドとしての練度を上げ続けるバンドマンというお二方です。ひとまず対比になりそうな履歴をリストアップしてみたのですが……。
- 1989年
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清竜人、5月27日に大阪府大阪市で生まれる。
- 1990年
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谷口鮪、5月3日に大阪府和泉市で生まれる。
- 2006年
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清 「TEENS ROCK IN HITACHINAKA 2006」グランプリ獲得 / 「ROCK IN JAPAN FESTIVAL」初出演
鮪 KANA-BOON結成
- 2009年
清 なるほどなるほど。
鮪 すげえハードな人生ですね(笑)。
──まずはお二人の音楽を始める前の話を伺いたいです。
清 過去の記憶があんまりないんですよね……(笑)。大阪のどのへんだったんですか?
鮪 生まれ育ったのは南のほうの和泉市で、バンド活動は堺市を拠点にしてました。
清 はあはあ。南のほうなんですね。僕は大阪市内の淀川区で。方言はどうでした? けっこう特徴的な方言がある地域ですよね。
鮪 ああ、「◯◯しとんけ」とか。
清 「われ」とか言います?
鮪 言わない言わない(笑)。もっと和歌山寄りの、岸和田とかだと、ちょっとやんちゃな方言になりますよね。
──ガラの悪い地域?
鮪 大阪自体がガラ悪いですからね(笑)。ヤンキーでした?
清 僕はヤンキーじゃなかった……と思ってますけど(笑)、下町だったんで、まあ治安はよくなかったかな。今は違うと思いますけど、20年前は道徳的にいい感じではなかった(笑)。
鮪 (笑)。それはそれでよき時代ではありましたけどね。
──音楽的な世代感で言うと、2000年代のフェス文化の隆盛を中高生で体験しているわけですよね。
清 僕も10代の頃はバンドを組んでいたんですよ。ただ、あまりライブ活動はしてなくて。19歳でデビューして、上京して最初のライブが人生で4、5回目くらいの感じだった。お金もなかったし、ライブハウスでノルマを払ってみたいな経験をほとんどしてなくて、無料で出られるコンテストに応募して何度か出たくらい。
鮪 僕は部活が軽音楽部だったんで、その頃からライブは身近な感じで。
清 部活ではみんなどのへんの音楽をやってたんですか?
鮪 コピーバンドがメインなんで、みんなやっぱりASIAN KUNG-FU GENERATION、BUMP OF CHICKEN、ELLEGARDEN、ストレイテナー……。
清 ああ、なるほどね。そうだった。
鮪 僕らはアジカン大好きなんでよくコピーしてましたね。
清 僕はそもそもオリジナルから始めたんですよ。だからコピーを通ってないんですけど、周りでやってる仲間たちは同じような感じでしたね。洋楽だとGreen Dayとか。
鮪 いきなりオリジナルってすごいですね。
清 興味の対象が、仲間と一緒に歌ったり演奏したりというよりも、音楽を作ることのほうに向いていたんです。
鮪 なるほど。僕らは高校の同級生で組んだKANA-BOONがそのまま続いていて、ドラム(小泉貴裕)とギター(古賀隼斗)は16歳からの友達だから、ただただ友達と過ごす時間が楽しいっていうところから始まって今に至るんです。バンドとしてのつながりを自覚するようになったのは、むしろここ数年くらいで。
清 ああ……いいですねえ。そういう話を聞くと、すっごいうらやましいんですよ。キャリアを重ねてから思うようになったことですけど、バンドカルチャーというか、「あの頃一緒にライブハウスでやってたよなあ」という過去を共有する仲間とか、デビューが近くて同じく10年くらいやってきた人たちとの「お互い振り落とされずに残ってきたなあ」みたいな感覚が、バンドカルチャーの中にはあるじゃないですか。ソロでやってるし、大阪時代もどこのコミュニティにも属していなかったし、過去を共有できている仲間がいないんですよ、この業界に。最近、ちょっと寂しいなあと独居老人みたいな気持ちになっていて(笑)。
鮪 バンドをやってるからつくづく思いますけど……これ1人やったら絶対寂しいよなあって。その寂しさは何が埋めてくれるんですか?
清 何も埋めてくれないですよ。
鮪 あはははは。
清 ただただ寂しさに付きまとわれる。はっはっは。
──(笑)。逆に谷口さんは1人で活動することへのうらやましさを感じる部分はありますか?
鮪 憧れはありますよ。1人で何かをやり遂げて続けていくことは。タイミングがあればソロ作品というものにチャレンジしてみたい気持ちはあるけど、まるっきり全部1人で何かをやっていくというのは、ちょっと僕にはできないんじゃないかなあ。
大阪から見た東京
──大阪で音楽活動を始めたお二人は、東京に対してどういう思いを持っていましたか?
清 僕は大阪を出たいという気持ちが10代の頃からけっこうあって。街としては好きだし、大阪特有の風土とか、人間とか、もちろん好きで愛着があるんだけど、大阪のカルチャーがあんまり。やっぱり上方文化のカルチャーで、それはお笑いだけじゃなくいろんなカルチャーに影響を与えているなとすごく思っていて、そこに自分が表現者としているのがしっくりこなかった。当時はこんなふうに言語化できてなかったし、漠然と「なんか嫌だな」と感じていただけですけど。結局10代のうちにデビューのお話をもらって、ウキウキ気分で上京したのを覚えていますね。
鮪 僕は10代の頃は特に何も考えていなかったし、むしろ上方的なカルチャーは居心地がよかったですね。なんて言うんですかね、ちょっと体育会系じゃないですか。
清 はいはいはい。
鮪 体育会系で上にいるのは居心地が悪いんですけど……先輩バンドとの付き合いとか、上の人にいろんなことを教えてもらって世界が広がっていくのが好きだったんですよね。ややこしい人は僕の周りにはいなかったから、先輩に対してはいい思い出しかなくて。僕らが音楽を始めた頃、堺はパンク系、ラウド系が中心だったんですけど、ライブハウスに出始める前あたりから、みんな上京してしまったのか、シーンがガラッと変わったんです。よくあるおっかないロックの先輩からの「酒飲めコノヤロー」みたいなこともなく、先輩の誰かが餃子を買ってきてくれて「君らもこれ食べな」みたいな。
清 優しいなあー(笑)。
鮪 堺はすげえ優しい街といういい思い出しかないです。
清 当時一緒にやってた人たちで、今も近いところで活動しているバンドはいるんですか?
鮪 今もバリバリ活動しているのは、キュウソネコカミとかフレデリックとか。大阪じゃなく神戸に拠点を移してからよく一緒にライブをやってた人たちが多いですね。堺時代に近しいところにいたバンドはもう解散しちゃったのも多いし、戦友として接することができるのはほんのひと握りですね。
清 多少メンバーが変わったとしても、同じバンド名を背負って10年以上も続けている人たちは本当にひと握りじゃないですか。だからそうやって同じ場所で同じ時間を共有した仲間が今もいるというのはすごくいいですよね。
鮪 だから東京に出ていくのは「寂しいなあ」という気持ちのほうが大きかったです。メジャーデビュー前、最初の全国流通盤(2013年4月発売のアルバム「僕がCDを出したら」)を出したタイミングで上京して。
清 アホみたいな質問ですけど……バンドみんなで上京して、近くに住んでたんですか?
鮪 近くにしました。みんな同じ駅で。ホント右も左もわからないまま上京したので、近くに集めといたほうがいいだろうというマネジメントの意見もあって(笑)、「ここらへんどう?」みたいな。東京には友達も1人もいなかったから、ずっとメンバーと遊んでました。
清 ああ、いいですね。
──それで結束力が高まるでしょうし、場合によってはそれで亀裂が入ることもあるでしょうし。
清 近すぎるがゆえにね(笑)。
鮪 亀裂のほうが多いんじゃないですかね(笑)。人間同士なんで。
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バンドとソロ、その最終形は……?