リュックと添い寝ごはんが12月15日に配信シングル「home」をリリースした。
昨年12月にSPEEDSTAR RECORDSから1stアルバム「neo neo」を発表し、メジャーデビューを果たしたリュクソ。メンバーが二十歳を迎えた今年は「明治 エッセル スーパーカップ」のWeb CMのテーマソング「くだらないまま」、初のCDシングル「東京少女」をリリースし、11月にはバンドにとって最大キャパとなる東京・LIQUIDROOM公演を含む東名阪ツアーを成功させた。
勢いに乗るリュクソの最新作「home」は、冬の日の帰り道をイメージしたハートウオーミングな1曲だ。音楽ナタリーでは、バンドのフロントマンである松本ユウ(Vo, G)にインタビュー。「home」の制作秘話はもちろん、“出会い”を意識していたという2021年のリュクソの活動について話を聞いた。
取材・文 / 秦理絵撮影 / 草野庸子
「出会い」を大切にした2021年
──今年はバンドとして、どんなことを意識して活動してきましたか?
出会い、ですかね。ずっと新しい出会いを大切にしたいなと思っていたんです。それこそ1月1日にラジオの企画で書初めをやって、今年の目標として「出会い」と書いたんですよ。4月の対バンツアーもそういう思いで臨みました。
──「出会い」を大切にしたいと思ったのは、何かきっかけがあったんですか?
僕らはずっと軽音部で活動していたのもあって、単純に学校外のバンドシーンに友達が少なかったんですよ。でも、新しい出会いから着想を得ることもあるだろうなと、新しい刺激を求めてたんだと思います。ワンランク上のステップに進むために。
──4月に開催した対バンツアーは、ズーカラデルとオレンジスパイニクラブ、Helsinki Lambda Clubという、それぞれリュクソが影響を受けたバンドを呼んだツーマンでしたね。
あのツアーの経験は大きかったですね。好きな人たちと同じステージで演奏するということでモチベーションにもつながりました。ヘルシンキのボーカルの(橋本)薫さんとは、昔、高円寺でお会いしたことがあって。そのときにバンド名を言って、「ヘルシンキの音楽を聴いてます」と伝えたんですよ。で、僕らの曲も聴いてくれたみたいで、それを薫さんがMCで話してくれたのを見てジーンときました。「まだまだがんばるぞ」という気持ちになりましたね。
──ライブ以外の出会いはほかに何かありましたか?
新しい自分たちとの出会いというのもあって、それを「東京少女」には落とし込めた気がしています。あとは自分にとって新しい音楽との出会いですね。
──今まで聴いてこなかった曲を意識的に聴いていたんですか?
はい。ガラッと変えました。常にいろんな曲を聴いてアンテナを張るようにして。
──最近はどんな音楽を聴いているんですか?
2021年の初めのほうは海外のブラックミュージックをずっと聴いてました。大好きなんですけど、その要素を自分の曲に落とし込もうとすると、技量が足りなくてまだ難しいですね。ほかだと日本の歌謡曲は常に聴いてます。プレイリストを作って毎月更新しているんですよ。
──プレイリストは自分で作ってるんですか?
はい。そうすると自分の好きな音楽の傾向みたいなものも見えてきて、今のところモータウン系が多いですね。あとは、コニー・フランシスみたいなジャンルはなんて言うんだろう。
──60年代のアメリカンポップスですかね。
見てもらったほうが早いかも。(スマホのプレイリスト画面をみせながら)これは7月のプレイリストなんですけど。
──えっと、ヴァン・モリソン、Carpenters、The Beach Boys、Wham!、ノラ・ジョーンズ、ジョン・レノン……あ、The Fratellisはかなり多く聴いてますね。
The Fratellisは一時期バンド内でブームがきたんですよ。
──日本人だと、EPO、山崎まさよし、秦基博とか。以前からリスナーであることを話していたYogee New Wavesは相変わらず聴いているんですね。
日本のバンドだと、ヨギーとネバヤン(never young beach)は常に聴いてますね。
──ブラックミュージックに偏らず、かなり雑多に聴いてますね。
雑食ですね。こういう曲を作りたいっていうよりも、単純に僕が聴きたい曲を聴いてるんです。
初めてのスランプ
──今年は7月の「くだらないまま」に始まって、11月に「東京少女」、12月に「home」と3回のリリースがありました。ずっと曲作りを続けているという感じだったんですか?
そうですね。インプットしたものを自分の曲になんとか落とし込めないかと試行錯誤した1年でした。実は2020年の終わりから2021年の頭にかけてスランプみたいな時期があったんですよ。「neo neo」(2020年12月リリースの1stフルアルバム)を作ったすぐあとかな。
──今までもスランプになることはあったんですか?
いえ、それが初めてだったんですよ。スランプが起こる原因って理想が大きすぎることだと思うんです。自分が作る音楽に満足できなくなってしまうというか。今までスランプがなかったのは、自分の音楽に満足してたからなんですよね。それが、インプットが増えていくにつれて、理想が高くなってしまって。でも、ありがたいことにリュックと添い寝ごはんの音楽を聴いてくれる人もいるし、愛してくれる人もいる。だったらそこは気にしなくていい、理想ばかり追いかけないでいいんだと考えるようにしたんです。それで「東京少女」で「ゆっくりいこうよ」と歌ってるんですよ。自分に語りかけるような曲が増えたというか。「くだらないまま」も「東京少女」も、今回の「home」も全部根っこのところでは自分に向けて歌ってると思うんですよね。
──「ゆっくりいこうよ」みたいな歌詞って表面的にはゆるく感じるけど、決して現状に甘んじてるわけじゃなくて。理想を求めるがゆえの苦しみから出てくる言葉なんですよね。
そうですね。自分の中で「いまのままで」いいよと呑気に言ってるわけじゃないっていうのは裏のメッセージとしてあって。
──曲を書くことでスランプからも抜け出していったんですか?
曲ができることもそうなんですけど、やっぱりライブで実際にお客さんと会ったのが大きかったかなと思いますね。今振り返ると、その様子を見てちゃんと自分たちの曲が届いてる、と認識できたので。
──その時期スランプに陥っていたのは松本くんだけだったんですか? ほかの2人も同じような“成長痛”を感じる時期があったのでしょうか。
どうだろうなあ。僕が作らないと、リュックと添い寝ごはんの歯車は回っていかないので、2人には「こういう曲を練習しておいて」と、僕の曲作りと同時並行でお願いをしてたんです。そうやって2人は練習してレベルアップしてくれたので、うまく歯車が回っていったのかなと思いますね。ドラムの宮澤(あかり)はめちゃくちゃ16ビートを叩くのがうまくなったし。ベースのヒデは山下達郎さんとかヨギーみたいな曲調を練習してくれて、相変わらずうまいですし。
──それぞれ自分のやるべきことに向き合ってたと。
はい。自分たちの手癖で弾かないようにしようっていうのは各々意識していたと思います。
──出会いという意味では、「明治 エッセル スーパーカップ」のCMソングとして「くだらないまま」を書き下ろしたのも大きいんじゃないですか? リュクソにとっては初のタイアップですよね。
最初は「どうしたらいいんだろう?」と思いました。でも、スーパーカップさん側が「ありのままのリュックと添い寝ごはんでいいよ」というスタンスだったので、すごくやりやすかったです。ブランド側のコンセプトと僕らの思ってることが合致したのも大きくて、「ふつうって、スーパー最高」というキャッチコピーは僕が「青春日記」を書いたときと同じテーマだったんですよ。バンドをやっていくうえでのポリシーでもあるので、普段の気持ちのまま作ることができたんです。
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自分らしくいてほしいな