完全分業制で生まれたバンドらしさ
──聴いていて「わあっ」と感情にあふれて、自分に素直な感じがしますものね。
ええ。くるりがあんまりやってこなかったことなんかもしれないです。こういうことって何年に1回しかないけど、何年前かにあったから何年後かにまた「わあっ」とくるやろなっていう感覚があって。これは僕、「交響曲第一番」をやったんが、一番デカかったんです。ほんまに出し切った。やっぱり、あれだけの音を紡いだので単純にすごく疲れたんですよ。CDを作り終えて半年後くらいに疲れがどっときて。で、とにかくインプットを減らそうと思って、音楽聴かなくして、家のことしかしてない状態で過ごして。音を作らなあかんときも、前の交響曲の方法論に近いやり方でやってはいたんだけど……。
──大きく言えば「ロックンロール・ハネムーン」以降の作り方、ということですか?
そうです。そこから、楽器とか参加する人というのが大きな要素であるっていうところに立ち返って。と同時に、自分がプロのロックミュージシャンである、バンドの人であるということに改めて向き合った。「その線は水平線」にしても、歪んだ音とか吐いた唾とかもそのまま全部入ったような状態ですけど、結局、佐藤(征史 / B)さんが持って帰って、僕の方法論に近いところでまとめたんですよ。僕らはスタイルとしては不完全なバンドですけど、佐藤さんから音が届いたときに「うわ、バンドや」と思って。僕と佐藤さんは離れて暮らしてるし、普段会ったりもしてない。でも、そういうデータのやり取りをして、ひさしぶりに人と音楽を作った感じがしたんですよね。これまで人に任せたりとかしなかったほうで、かなりワンマンにやっていた部分がありますけど、今回は自分の仕事だけやって、あとは相手に投げてっていう分業にしている。くるりはどちらかと言うと、みんなでわーってなりながら、ああでもないこうでもないってやるのが好きなサークルノリのバンドやったんですけど、今回は完全分業制で。そこが今までとは大きく変わっている。
──だけど分業の結果できたものが、完全にバンドの音だったという。
はい、そうです。僕らは、それができるまでに20年かかりました。若い頃のバンドドリームみたいなものと決別したって言うか、もう完全に「バンドやから」みたいなものを後ろ盾にはしなくなった。でも、そのほうがバンドっぽいと言うか、各自の色が曲に入ったりする。そういうやり方でメンバーそれぞれが向き合えるっていう意味では、うちの3人は共通して、楽曲至上主義って言うんですかね。その中で、僕も佐藤さんもファンファン(Tp, Key, Vo)も、ハマり役をつかめる自信はある。今回は自分が思ってなかった方法論でうまくいったという。僕は人をコントロールしたがるのに、人をコントールするのが苦手なんです。それで今回、完全に分業になって干渉しないっていうほうがバンドっぽかったっていう(笑)。
──またしても距離問題ですね。
距離問題なんですよ、ほんまに。
──若いときと違って、今は何を着たってくるりだと強く言えるわけですね。
そうです。リリックとメロディと自分たちのリズムがあれば、サウンドが“着るもの”になるんで。若いときに言うとチャラいですけど(笑)、なんかやっぱカッコいい大人になりたいなって思いますし。
“くるりの岸田さん”から離れることができた
──3月21日にリリースされるアナログ盤には「春を待つ」という曲が収録されます。詞だけ読んでも、素晴らしくきれいな作品ですね。
ありがとうございます。うれしいです。これはもっと古くて、20年前の曲で。余計な情報が入る前の僕だったんです。例えば「ワンダーフォーゲル」だったり、特に「ロックンロール」や「ばらの花」は、自分なりの東京訛り、関東訛りにリズムを寄せていって。だからイギリス人がアメリカンポップスを書いたとか、ちょっとそういう感じなんですよね。それがあったから、僕らはそのときに成功したのかもしれないですし、受け入れられた。でも、根本は関西の訛りやったり、京都の語感があるので、メロディのフローをそちらに自然と任せたら、たまたまきれいな曲ができた。それは実際に居を移して京都に戻らないとわからなかったことで、東京に住民票を置いてるときには感じませんでした。
──非常に純情な思いで書かれた曲なのですね。この曲と「その線は水平線」がアナログ盤に収録されているのが素晴らしい。
純情なものです、とても。今回はどうしても7inchアナログで出したかったんで。
──すっぴん、肌きれい、みたいな。とても素直な気持ちが出ていて、しかも「春」なんて儚い言葉も使っていて。
いや、ほんま、そうですね。まあ、そういう素直な言葉を使える初心があった頃の作品ではあるんで。20年前にも自信があったし、僕自身は出したかったんですけど、当時僕らが進もうとしている方向とか取るべき態度と楽曲の方向性が逆だったので。再録するつもりもなかったんですけど、ずっと覚えてたんですよ。歌詞から、コードから、テンポまで。この曲には単純に、音楽を作る喜びみたいな純粋な思いがあふれているというか。今は音楽を生業にしているし、別の方法をとることが増えたのもあって、煮詰まったりすると曲作りから離れたいって思うときがあるんですけど。当時はただの学生でしたし、自然と音楽のことを考えずにいられる瞬間があって。だからこそ曲を書く瞬間が楽しみだったんですよね。
──真っ白なところから一気に生まれてきた。
そうです。だから、そういう思いが刻まれるんですよね。あと交響曲を作ったということと、京都に戻って生活を変えたというその2つで、“くるりの岸田さん”から離れることができたっていうのは、思った以上にデカくって。そうでもしないと音楽漬けって言うか、なんか漬ける必要のない漬物をいっぱい作ってしまう。作ってるときは楽しいですけど、曲を作るのがめんどくさくなったり、作ってる曲が好きになれなかったりとか、そういうのがけっこう続いたので。そう思うと今は真っ白な状態に近くなって、だいぶ「音楽楽しいなあ」みたいな(笑)。
──音を聴くと楽しそうだし、鳴ってる楽器の音が喜んでる感じがします。
楽しいですよねえ。楽器は今回ほぼ全部エンジニアさんに借りてるんですよ。メインギターとして使わせてもらってるSGはP90という、昔ふうの太い音が出るピックアップが付いてて、それがどうもしっくりきて。僕が大好きなロックの世界の追体験を、京都のちっさいスタジオでやらしてもらって、「あ、俺、ロック好きやったんやな」みたいに思って。
──今進めているレコーディングは、「その線は水平線」と同じような方法で取り組んでいるんですか?
バリエーションはあるけど、リリックとかアレンジの方向性とか、あと僕がいわゆるクラシックの世界では守らない構成の美学は通底してます(笑)。今回はほぼ様式美ですね。みんながわかるルールを持つことって、絶対悪いことじゃないと思うんです。なんか最近、みんながわかるルールってすごく大事やなと改めて痛感してます。
──シンフォニーを孤独に作曲していると、バンドがいらなくなるんじゃないかという怖れも、どこかしらで出てくるのではないかとも思いますが……。
そうですね。
──でも、結果的に今回くるりのレコーディングに臨んで、分業という形でバンドで音楽を作る喜びやメンバーとの信頼を強く実感された。新曲を聴いて、「ああ、やはり、この線は運命線なんだ」と思ったし、ロックミュージシャンとしての力強い立ち姿を感じました。そこもまたどっしりと、ブラームスの正攻法のたくましさをほうふつとさせるところがありましたね。
なるほど! でも、そうなれたらカッコいいと思います、今回はね。
- くるり「その線は水平線」
- 2018年2月21日発売 / SPEEDSTAR RECORDS
- CD収録曲
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- その線は水平線
- ジュビリー from 京都音楽博覧会2017
- everybody feels the same from 京都音楽博覧会2017
- 特別な日 from 京都音楽博覧会2017
- 京都の大学生 from 京都音楽博覧会2017
- WORLD'S END SUPERNOVA from 京都音楽博覧会2017
- 奇跡 from 京都音楽博覧会2017
- その線は水平線 Ver.2
- 配信曲
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- その線は水平線
- その線は水平線 Ver.2
- くるり「春を待つ / その線は水平線」
- 2018年3月21日発売 / SPEEDSTAR RECORDS
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[アナログ]
1944円 / HR7S088
- 収録曲
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SIDE A
- 春を待つ
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SIDE B
- その線は水平線
- くるり
- 1996年に立命館大学の音楽サークル「ロック・コミューン」内で岸田繁(Vo, G)、佐藤征史(B, Vo)、森信行(Dr)により結成。その後メンバーチェンジを経て、2011年からは岸田、佐藤、ファンファン(Tp, Key, Vo)の3人編成で活動している。1998年10月にシングル「東京」でメジャーデビューを果たして以降、11枚のアルバムと30枚のシングルを発表した。なお2007年より主催イベント「京都音楽博覧会」をスタートさせたり、「ジョゼと虎と魚たち」「奇跡」といった映画作品の音楽を担当したりと、その活動は多岐にわたる。2017年には、岸田による交響曲「交響曲第一番」の初演の模様を収めたCD「岸田繁『交響曲第一番』初演」がリリースされた。2018年2月にシングル「その線は水平線」を、翌3月に7inchアナログ「春を待つ / その線は水平線」を発表。