カバー曲の発表の仕方はこれから
──このプロジェクトの名前、カバー曲を発表するグループの名前はすでに決まっているんですか?
川添 Princessnext。次の時代のプリンセスですね。
大郷 これも川添さんの案です。僕が以前やっていたG.P.R(現:G-STAR.PRO)という会社も、もともとScandalという名前だったんですけど、川添さんに挨拶に行ったときに「俺が協力するのにその名前はギャグだから変えてくれ。俺が考えてやるから」って。
川添 大郷剛が企画を開発する会社だからGo Project Researchで、G.P.R。スキャンダルだらけのプロデューサーがScandalという会社と仕事していたらシャレにならないから(笑)。
──Princessnextの音源をどういう形で世に出すのか、発表の仕方に関しては今考えているところですか?
川添 そう、これからです。
大郷 詳細が決まり次第、発表したいと考えています。
──ストリーミング配信が主流となった今、YMO×アイドルという試みはグローバルに注目される可能性が高いですね。
川添 なるほど。ちなみに、今世界で活躍する日本のアーティストってどんな人がいるんですか?
──今年だとYOASOBI「アイドル」が米ビルボード・グローバルチャートで首位を獲得し、米津玄師さんの「KICK BACK」は米レコード協会でゴールド認定を受けました。いずれもアニメ主題歌です。
川添 要するにアニメが日本のアイデンティティになってるわけですね。
大郷 そういう意味ではアイドルも日本独自のカルチャーじゃないですか。R&Bの歌がめちゃくちゃうまい日本人がアメリカに行って全然通用しなかったという話はよく聞きますけど、逆にアイドルはありな気がしていて。
川添 ヨーロッパの音楽界にああいう若い女の子たちが歌ったり踊ったりする文化はないから、音楽がよければ面白がって受け入れられる可能性はあるかもしれない。Perfumeみたいに。
──海外のティーンは日本のアイドルの衣装に憧れるという話もよく聞きます。
川添 YMOが大成功したのは、それもありますね。高橋幸宏に「外国に出るときは日本のアイデンティティを出すべきだ。向こうの真似じゃダメだからまず制服を作ろう」と言って、真っ赤な人民服みたいなの、高橋幸宏いわく昔のスキーウェアのような衣装を作ったらウケた。さらに、演奏後にお辞儀もせず、手を振ることもにっこりすることもしない、ひと言も発さずに怒涛のごとく演奏するスタイルがよかったみたい。巨大なシンセサイザーを舞台の上にあげて、オーバーなくらい電飾を付けてキラキラさせて。向こうの連中は「なんだ?」と思ったんじゃないかな? 「これが現代日本だ」というメッセージを受け取ったと思います。
若い人たちにも“ナイス・エイジ”を感じてもらえたら
──川添さんの自伝「象の記憶」をはじめ、「村井邦彦のLA日記」(村井邦彦著)、「細野晴臣と彼らの時代」(門馬雄介著)などの書籍には、ブレイクの裏側で川添さんがどのようなことをされていたかが詳しく書かれています。
川添 1979年にやったYMO最初の海外公演のときは、The Tubesっていうアメリカのバンドが人気ありまして。ロサンゼルスのグリーク・シアターで3日間ライブをやったら、8000人入る劇場がどの日も満杯。そこにオープニングアクトとしてYMOが登場したら、1曲目からスタンディングオベーションになったのでびっくりしました。すぐビデオを撮って、東京にいる村井くんに送ってNHKのニュースに取り上げてもらった。「日本のアーティストが外国で大絶賛だ」って。それが視聴率22%取りました。あれは、うまくいったなあ。
大郷 客席にセレブをたくさん集めたこともありましたね。
川添 翌年の2回目のワールドツアーのときですね。フジテレビ「夜のヒットスタジオ」の疋田拓さんという名物プロデューサーが「YMOで何かやりたい」と言ってきたから、「ロサンゼルスのコンサートを衛星生中継しない?」と提案したんです。疋田さんも「そんなことできんのかな」とか言いながら強引にやって。
──日本の音楽番組で初の衛星生中継だったそうですね。
川添 アルファレコードが業務提携していたアメリカのA&Mレコードのジェリー・モス会長に、A&Mの中にあるチャップリン・メモリアル・スタジオでYMOが演奏して日本のテレビで中継するから、ハリウッドの有名な俳優やミュージシャンを集めてほしいって言ったら、それは面白いという話になって。もう1人のA&Mの会長でハーブ・アルバートっていう有名なトランペットプレイヤーが司会をしてくれることになった。さらに友達の三宅一生っていうデザイナーもそのプロジェクトに参加するって言うから、じゃあファッションショーも一緒に混ぜちゃおうと。要するに日本の現代文化を表現するプロジェクトにしたわけです。時差で日本では土曜日の午後2時からの放送。その時間のテレビ視聴率なんてどんなにがんばっても5%とかだけど、12%とって大成功。そういう大胆なことを次から次へと僕はやったんです。
──近年国内外で再評価されている日本のシティポップも、さかのぼるとアルファレコードから始まったものです。
川添 そうみたいね。今はソニー・ミュージックのレーベルになっているけど、最初はアルファミュージックという音楽出版社から始まったんです(※アルファレコードは1977年創業)。1969年、僕がパリで加橋かつみのアルバムをレコーディングしていると、村井がパリに来て「今度日本で音楽出版社をやりたい」と言うから、当時僕が契約していたバークレー・レコードというフランスの大きなレコード会社を紹介したんです。アポイントメントを取った前日の晩に村井に「象さん、会社の名前を考えない?」と言われて、2人で考えてね。彼が「イプシロンはどう? アルファ、ベータ、ガンマ……ギリシャ文字で記号の1つだよ」って言うから、だったら最初のアルファにしちゃえよって。ところが僕は語学ができてもスペルはいい加減だから、本当なら「ALPHA」なのに車のアルファロメオ(ALFA ROMEO)のつもりで「ALFA」って書いたら村井がそのまま登録しちゃった。それでもヒットがいっぱい出るともっともらしい名前になりましたね(笑)。それがアルファ誕生の話。
──フランク・シナトラが大ヒットさせた「My Way」の日本での出版権は、アルファが持っていたそうですね。
川添 社名を決めた翌日、村井と2人で勇んでバークレー音楽出版に行って。向こうの社長と村井が商談してる間、廊下を歩いてたら若い兄ちゃんがギターを弾いてて、すごくいい歌を歌ってたんです。だから商談してる中に割り込んでいって「廊下のあんちゃんがいい曲やってるから、曲の権利もらっちゃえよ」って言ったら、向こうの社長が「この曲にポール・アンカが作詞してフランク・シナトラが歌うって話もあるけど、ハリウッドの話だから眉唾ものだよ」って笑いながら、ただ同然で権利をくれて。そしたら、ある日突然その曲を本当にシナトラが歌って大ヒットしたんです。それが「My Way」。犬も歩けば棒に当たるじゃないけど、廊下で見つけたんですよ、あの曲。
大郷 すごい話ですよね。全部。
川添 「フォレスト・ガンプ/一期一会」って映画で主人公が偶然いろんな人に会うじゃない? あんなことがいっぱいあるんです。
──1960年代の海外滞在中には、Frank Zappa & The Mothers Of Inventionのデビュー公演をご覧になられたとか。
川添 それがひどいライブで。楽器持ってるのは3人か4人で、あとは変な服着たのが5、6人わめいてるだけ。あんまりつまんないから3曲ぐらいで出てきちゃった。ジョン・ケージも途中で出てきたけど、ピアノの前に座ったまま何も弾かないんだもん。
──ひょっとして有名な「4分33秒」ですか?
川添 そうそう。彼としては演奏者が音を出さない中、観客が話したり、外を車が通ったりするのが音楽だって理屈なわけです。マルセル・デュシャンみたいなものだね。便器を置いて、これがアートだって。それを僕は別に軽蔑しないけど、一種の運動であって芸術だとは思ってない。やるならきちんと作品にしてほしいですね。ジャクソン・ポロックなんかは同じ時代だけど大好きだから。
大郷 川添さんは音楽だけじゃなく芸術方面やほかのいろんな分野も詳しいから、一時期は空間プロデューサーもやられてましたよね。
川添 教養がないとクリエイティブな能力は育まれないんです。じゃないと芸能もどんどん程度が低くなっちゃうから。
──川添さんのもとで、Princessnextのプロジェクトも大きく羽ばたいてほしいです。
川添 僕はもう余命半年ぐらいだから。これが最後の作品になるかも。
大郷 川添さん、それ10年ぐらい言ってるじゃないですか(笑)。
川添 シナトラも「My Way」で引退だって言ったのに、2年後またレコードを出してましたからね。曲名が「Let Me Try Again」(笑)。
大郷 川添さんも最後の作品って毎回言い続けましょう(笑)。
川添 それにしても「ナイス・エイジ」って、いい言葉だね。いい時代だって話だから。
大郷 川添さんの若い頃のお話を聞くたび、なんて夢のある楽しい時代だったんだろうとワクワクするんですよね。同じようにPrincessnextの音楽で、今の若い人たちにも“ナイス・エイジ”を感じてもらえたらうれしいです。
プロフィール
Princessnext(プリンセスネクスト)
Yellow Magic Orchestra(YMO)の楽曲をアイドルがカバーするプロジェクト。荒井由実やYMOをアーティストを世に送り出し、数々の伝説を日本の音楽史に刻んできた川添象郎と、ファッションショー「GirlsAward」の立ち上げやアイドルグループ・放課後プリンセスのプロデュースで知られる大郷剛が携わっている。楽曲を歌唱するのは、大郷が2021年に設立し、代表を務めている芸能プロダクションFORZA RECORDに所属するAMI、KARIN、YU、YUMIの4名。プロジェクトの第1弾として「コズミック・サーフィン」「シムーン」「ナイス・エイジ」のカバーのリリースが予定されている。
川添象郎(カワゾエショウロウ)
1941年生まれ。父は東京・飯倉のイタリアンレストラン・キャンティの創業者・川添浩史。幕末に大政奉還を実現させた後藤象二郎は曽祖父にあたる。ミュージカル「ヘアー」来日公演のプロデュース、日本初のインディーズレーベルであるマッシュルームレーベルや、荒井由実、Yellow Magic Orchestra(YMO)らを輩出したアルファレコードの設立など、プロデューサーとして日本の音楽史に数々の伝説を残している。2000年代にはSoulJa「ここにいるよ」、そのアンサーソングである青山テルマ「そばにいるね」を大ヒットさせた。
大郷剛(オオサトゴウ)
1978年生まれ。芸能事務所FORZA RECORDの代表取締役を務める。SoulJa「ここにいるよ」、そのアンサーソングである青山テルマ「そばにいるね」の制作を担当。「ここにいるよ」のカバーが収録されたSLY AND ROBBIEのアルバム「AMAZING」は「第51回グラミー賞」の「ベスト・レゲエ・アルバム」にノミネートされ、「そばにいるね」は日本で最も売れたダウンロードシングルとしてギネス世界記録に認定された。ファッションショー「GirlsAward」や純烈の名付け親でもあり、アイドルグループ・放課後プリンセスのプロデューサーとしても知られる。