今年9月でメジャーデビュー25周年を迎えるポルノグラフィティが、3月27日にニューシングル「解放区」をリリースした。
表題曲となる「解放区」は、現在開催中の全国アリーナツアー「19thライヴサーキット“PG wasn't built in a day”」で披露されているスケール感のあるロックナンバー。世にあふれる応援ソングとは視点を異にする、まさにポルノにしか生み出し得ない斬新なファイトソングとなっている。カップリングには、広島サミットの応援ソングとして昨年5月に配信された「アビが鳴く」、昨年1月の日本武道館公演でのみ披露されていたラウドなロックナンバー「OLD VILLAGER」を収録。さらに「THE FIRST TAKE」で披露された新たなアレンジによる「THE DAY」「アゲハ蝶」も収められた、聴き応えのある1枚だ。
ツアー真っ最中であるポルノグラフィティ、岡野昭仁(Vo)と新藤晴一(G)の2人に、25周年を迎える今の気持ちや、進行中のツアーで感じている手応え、そしてニューシングルの制作についての話を聞く。
取材・文 / もりひでゆき撮影 / SHIN ISHIKAWA
応援してくれる人の礎の上で迎える25周年
──ポルノグラフィティは今年9月8日でメジャーデビュー25周年を迎えます。大きな節目に対する実感も強くなってきていますか?
新藤晴一(G) 長いことやってるなという実感は強くなってきていますよね。10周年、15周年のときはそんなに思わなかったけど、さすがに長いことやってる気がしてきたというか。今はまだそんな感じかな。
岡野昭仁(Vo) 昔、雑誌のインタビューかなんかで、ずっと先の未来について聞かれたことがあって。そのときに、きっと無理やりひねり出した答えなんだろうけど、僕は「50歳になったらポルノを辞めてそば屋を始める」とか言ってたんですよ(笑)。そのインタビューを受けたのは15年くらい前だと思うんだけど、そのときは自分にとっての50歳とか25周年とかっていうのは、本当に遠い未来だったわけで。でも、気付けば今、その瞬間が目の前に来ている。そういう意味ではすごく感慨深いことではありますよね。
──ポルノを辞めるとかそば屋を始めるとか、今はまったく頭にないわけですよね。
岡野 そば屋はいつかやるかもしれないけど(笑)。でも、うん。そのインタビューで語ったような気持ちはまったくないです。応援してくれている人たちがたくさんいるという礎の上で迎える25周年は本当にありがたいなと思います。
──現在ポルノは25周年を記念したアリーナツアーで全国を巡っています。このインタビューは9公演を終えたタイミングで行っていますが、ここまでの手応えはいかがですか?
岡野 周年という意味でお祭り騒ぎ的なコンセプトを持って周っているツアーなので、それをちゃんと受け取ってくれたお客さんがみんな、すごく喜んで楽しそうにしてくれているのが僕らとしては何よりだなと。
新藤 今回のツアーではシングル曲を含めた昔の曲、言ってみたらファンの人たちと一緒に育ててきた楽曲をたくさんやっているので、そこをみんなで楽しんでいる雰囲気がありますよね。それは長く活動しているからこその雰囲気だろうなと。お客さん1人ひとりの中に「あの頃、聴いてた曲だな」とか「あのツアーで聴いたな」とか、いろんな思い出がきっとあると思うんです。それを噛み締めつつ楽しんでもらえている実感があるので、それはすごくうれしいことですね。
──今回は声出しOKで、会場もアリーナ規模ですから。ファンの方々のリアクションもダイレクトに迫ってきますよね。
岡野 そうですね。声を出すというのはライブにおけるわかりやすい感情表現だし、僕らにしてみればそのレスポンスが盛り上がっているかどうかの指針にもなる。だからこそ生まれる一体感がありますよね。今回はね、ホントにお客さんの声がデカいです(笑)。
この時代にこそ響く曲があるんじゃないかな
──そんなツアーで披露されている新曲が、このたびCDとしてリリースされる「解放区」です。これはツアーでやることを目がけて制作に入った感じですか?
岡野 はい。去年の9、10月くらいからなんとなく話をし始めて。25周年の感謝の気持ちとして、ツアーの中で皆さんに聴いてもらえる曲ができたらいいよねというところから始まった感じでしたね。
新藤 25周年にあんまり暗い曲を作るのもなんだなという思いがあったので、自然といわゆるファイトソング的な内容になりました。
──聴き手の背中を押してくれる楽曲だと思いますけど、その視点がすごく面白いですよね。闇雲に光を提示するのではなく、暗闇の中にも希望があることが描かれている。晴一さんの歌詞が秀逸だなと。
新藤 バブルが象徴的ですけど、かつての日本にはイケイケドンドンな時代があったわけで。僕らもその残り香を多少なりとも感じながら活動してきたわけですけど、今の日本はもうそんな時代ではないじゃないですか。それでも今の若者たちはそれぞれ楽しみを見出しながらしっかり生きている。だったら、こんな時代にこそ響く曲があるんじゃないかなと思って歌詞を書き始めた感じでしたね。“朝日が見えてくる”とか“光が差してくる”とか、そんなオチを用意できる状況じゃないですもんね、今の日本という国は。
──そんなメッセージを持つ曲が「暁」というアルバムのあとに出てくる面白さもありましたけど。
新藤 確かに!(笑)
──作曲は昭仁さん。どんなイメージで作られましたか?
岡野 僕は去年、自分の中の価値観をアップデートしたくてスペインに行ったんですよ。そこで具体的に何が変わったのかはまだわからないんですけど、25周年というタイミング、さらにツアーにおいて初披露するという意味においては、シンプルであり、なおかつちゃんと奥行きを持ったスケール感のある曲にしたい思いがあったんですね。ちょうど同じくらいのタイミングに、U2がラスベガスのSphereでやったライブの映像を観たことも、スケール感という意味では影響を受けたかもしれないです。
──シンプルでストレートな、実にポルノらしいロックナンバーだと思います。
岡野 そうですね。今のシーンにたくさん存在しているアカデミックな構成を持つ楽曲はもう今の若い子たちに任せて(笑)、僕らは僕らのやり方でやろうと。極力シンプルにすることは心がけましたね。
新藤 曲出しのときに聴いた印象としては、サビがいきなり跳躍してるから、スケールの大きい曲だなって思いました。U2の名前が出たけど、いわゆるスタジアムロック的な曲ですよね。そんなスケール感があると思う。その後、tasukuくんにアレンジをお願いしたんだけど、それによって出てきたギターリフやアルペジオからはちょっと幻想的な雰囲気を感じたところもあって。そのへんが自分の中に引っかかって、またさらに言葉が導かれていったところもあったような気がしますね。
岡野 新藤とは制作の中でけっこうやりとりをしたんですよ。シンプルな曲だけに譜割りがすごく大事になってくると思っていたので、大して音符も読めない僕ががんばって譜面を書き、「ここはこうやって言葉をハメてほしい」みたいなことを伝えたりして。普段はあまりそういうことを言わないほうなんだけど、今回は「ここは英語じゃないほうがいいかも」みたいなことを言った気もする。
新藤 うん。そういうリクエストによって書き直したところもけっこうありますね。
岡野 でね、そうやって細部まで突き詰めて制作していったからこそ、ボーカルレコーディングはすごくスムーズだったんですよ。ブースに入った段階で自分なりの表現がいくつか用意できていて、それを「これはどうだろう」「こっちは違うかな」という感じでどんどん試していけた。全体的に制作にかける時間がけっこうあったというのも大きかったけど、すごく充実した作業ができた印象はありますね。
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作詞をするときに自分らしいものを書かないといけない