音楽ナタリー Power Push - polly
バンドの分岐点となる自信作
pollyがミニアルバム「哀余る」をリリースした。
初の全国流通盤となったミニアルバム「青、時々、goodbye」のリリースから約1年後にリリースされた「哀余る」。今作は前作に比べてアレンジの幅が広がり、この1年間のバンドの進化が伺える1枚に仕上がった。pollyが音楽ナタリーPower Pushに登場するのは今回が初めて。この特集では全楽曲の作詞作曲を手がける越雲龍馬(Vo, G, Syn)のソロインタビューから、彼が「バンドの分岐点」だと語る今作の魅力を紐解く。また後半ではミニアルバムの収録曲「沈めてくれたら」のミュージックビデオを手がけた番場秀一と越雲との対談も掲載する。
取材・文 / 清本千尋 撮影 / 後藤壮太郎
オリジナル曲のもとはDEATH NOTE
──pollyは宇都宮で結成されたバンドですよね。どうやって集まったメンバーなんですか?
前にメンバーそれぞれやっていたバンドが解散するタイミングがほぼ一緒で、みんな新しいバンドを組みたがってたんですよ。それを知っていたHEAVEN'S ROCK(Utsunomiya VJ-2)の店長が僕らを集めてくれて。会ってみたらみんな僕の指示に的確に応えてくれるメンバーだったから「あ、これはやりやすいな」って思って、pollyを結成しました。
──プロフィールによると、それが2012年。
でもその年はほとんど活動できなかったんですよね。ドラマー(高岩栄紀)がまだ中学生だったし、ギターの飯村は高校3年生で進路のこととかいろいろあって。2013年になってやっと本格的に活動し始めて、たくさんライブもやるようになって。
──越雲さんがそもそも音楽に興味を持ったきっかけはどういうものでしたか?
僕の兄が音楽好きだったので、子供の頃から身近に音楽があったんです。兄はHAWAIIAN6とかSNAIL RAMPとかをよく聴いていて、僕はそれをきっかけにバンドが演奏する音楽に興味を持ちました。で、バンドを始めたきっかけは中学生の頃に同級生が「学園祭でバンドをやろうぜ! 俺がギターを買ってあげるから」って誘ってくれたから。
──え、同級生にギターを買ってもらったんですか?
そうなんですよ(笑)。今考えるとすごい話ですよね。で、せっかくギターを買ってもらったのでバンドを組んだんです。学園祭用に組んだバンドだったので、人生初のバンドは一旦そこで終わり。その後、高校2年生の頃に、ずっとやっていたサッカーをケガが原因でやめて、またバンドをやってみることにして。その頃はバンドと言えば兄が聴いていたものだったので、HAWAIIAN6のコピーバンドでボーカルギターをやっていました。
──オリジナル曲を作り始めたのはいつ頃?
高校3年生の受験が終わってからぐらい。僕、中学生の頃から「死ね」とかいろんな暴言を書き殴った“DEATH NOTE”みたいなノートを持っていて(笑)。そこにずっと吐き出していたような気持ちを歌にしようと思って、オリジナル曲を作り始めました。
いろんなものを吸収した1年
──前作の発売から今作のリリースまでの1年の間に、ご自身の中で何か変化はありましたか?
単純に僕がデモを作る技術を得ましたね。曲を打ち込みで作ることが増えて、やりたかった音を出せるようになったというか。今作っぽい雰囲気……いわゆるシューゲイザーだったりUSインディーみたいな音楽はずっと好きで聴いてたんですけど、これは僕がやる音楽じゃないな、というか、僕にはできないなと思っていたんですよね。でもやってみたら意外とイケるのかも?と思って。
──今まではどうやって楽曲を作ってたんですか?
今までは僕が弾き語りで作ったものをメンバーに聴かせて、4人でセッションして形にしていくことが多かったです。各フレーズはそれぞれの楽器を担当するメンバーに考えてもらって、僕が少しずつ直したり。今回は僕が100%打ち込みで作ってきて、「これに足し引きしたいものがあったらやってみて」って投げていて。曲によっては「このデモを忠実に再現してほしい」っていう注文もしました。
──この1年のうちに、出会った人や物で影響を受けたものはありますか?
マネージャーがすごく音楽に詳しくていろいろ教えてくれるので、幅広く音楽を聴くようになりました。今までも自分なりにたくさん聴いてるつもりだったんですけど、全然そんなことなくて。仲良くしてくれている理樹さん(木下理樹 / ART-SCHOOL)とかも新しい音楽をいろいろ教えてくれるし、2年前の自分じゃ絶対聴かないような音楽も好んで聴くようになりました。というか、正直2年前は何がパンクで何がハードコアなのか、そういうのも全然わからなかったんです。周りの人のおかげでいろんなジャンルの音楽を聴いて、理解できるようになりましたね。
──なるほど。
あとは打ち込みの機材を手に入れたことで、頭の中で鳴ってるものを人に伝えるのがものすごく楽になりました。昔は知識がない状態で、言葉で伝えていたから伝わらないことが多くて……。音楽をやる上で、それなりの知識は必要なんだなと痛感した1年でした。
──そういえば「青、時々、goodbye」のリリースタイミングでメンバー全員が栃木から上京してきたんですよね。それもまた大きな環境の変化なのかなと思いますが。
制作環境はかなり変わりましたね。実家にいた頃は家族と同じ生活リズムで僕も生活して、その中で家族のことを気にしながら楽曲を作っていたので。今は寝たいときに寝て、起きたいときに起きて、曲を書きたくなったら書くみたいな生活をしています。今では曲を作ることが食事や睡眠みたいに、自分が生活する中でなくてはならないものになってきました。
──木下理樹さんとの関係はどうですか?
SNSに載ってる通り飲んでばっかりですよ。飲んでるとき、理樹さんは僕に「早く売れて俺らに金をくれ!」「俺らを前座にしてくれ!」って言うんですよ。本当にヒドい話(笑)。でも理樹さんといるときが一番楽しいかもって思います。
次のページ » どの曲でもシングルカットできる
収録曲
- 沈めてくれたら
- Addict
- ひとのよう
- 堕ちていく
- 哀余る
- ふつうのせいかつ
- 言葉は風船
- post
polly(ポーリー)
2012年に栃木県宇都宮で越雲龍馬(Vo, G, Syn)、飯村悠介(G)、刀川翼(B)、高岩栄紀(Dr)によって結成された4人組バンド。地元・宇都宮を中心に活動し、2013年にRADIO BERRY(エフエム栃木)が主宰するコンテスト「ベリコン2013」でグランプリを受賞する。2015年6月にミニアルバム「青、時々、goodbye」でUK.PROJECT内のレーベルDAIZAWA RECORDSより全国デビュー。同時にメンバー全員で上京する。2016年3月に東京・下北沢CLUB Queで都内初のワンマンライブを開催。7月に2ndミニアルバム「哀余る」をリリースした。