PHONO TONES「BUBBLE」インタビュー|10年かけてたどり着いた本当の“デビューアルバム”

伊地知潔(Dr / ASIAN KUNG-FU GENERATION)、猪股ヨウスケ(B / Dr.DOWNER)、飯塚純(Key / UNDER LIFE)、宮下広輔(Pedal Steel)によるインストバンド・PHONO TONESがバンド結成10周年を迎え、実に7年ぶりとなるオリジナルアルバム「BUBBLE」をリリースする。

ペダルスティールが奏でるメロディや、ソウル、ファンク、ロックンロール、カントリーなどを自由に取り入れたアレンジ、そして、メンバー個々のプレイヤビリティを生かした演奏が絶妙なバランスで共存した本作について、音楽ナタリーではメンバー4人にインタビュー。伊地知が述べた「ようやく足並みがそろってきた」という言葉通り、彼らにとってもターニングポイントとなるアルバムと言えそうだ。

取材・文 / 森朋之撮影 / 山崎玲士

「音が出せればいい」から始まった10年

──PHONO TONESの結成は2011年。猪股さんが伊地知さんに「インストバンドをやろう」と声をかけたのがきっかけだったとか。

猪股ヨウスケ(B) はい。ちょうど自分のバンド(Dr.DOWNER)でベースボーカルからギターボーカルに変わった時期で。ベースは高校生の頃からずっと弾いていたし、このまま弾かなくなるのはもったいないなと思って、潔さんを誘ったんです。

──ベースを弾く場所を作りたかった?

猪股 そうですね。ちょうど潔さんも時間ありそうだったし。

伊地知潔(Dr) 東日本大震災の影響でアジカンのツアーがキャンセルになったんですよ。

猪股 当時、家が近所だった純くんを誘って、3人でスタジオに入ったのが最初です。やりたいことが明確だったわけではなくて、とりあえず音を出せたらいいかなと。

猪股ヨウスケ(B)

猪股ヨウスケ(B)

伊地知 ライブはもちろん、スタジオで演奏するのも不謹慎と言われてた時期だからね。で、途中で宮下がスタジオにやってきて。

飯塚純(Key) ちょっとだけつながりがあったんですよね。

猪股 セッション大会みたいなライブで一緒になったりね。

飯塚 ペダルスティールの音色にも興味があったんですよ。実際、最初にスタジオに入って、音が鳴った瞬間に衝撃を受けて。鳥肌が立ちました。

──宮下さんがペダルスティールを弾き始めたのはどうしてなんですか?

宮下広輔(Pedal Steel) もともと日本のフォークが好きだったんですけど、高田漣さんがペダルスティールを演奏しているのを知って、自分もやってみようと。その後、カントリーやセイクリッドスティール(スティールギターによる教会音楽)を聴くようになりました。

──なるほど。そして4人が集まり、PHONO TONESを結成した翌年に1stミニアルバム「PHONO TONES has come!」をリリースされました。

伊地知 さっき猪股も言ってましたけど、最初は「音が出せればいい」という感じだったんですよ。まずはセッションかなと思ってたら、猪股が曲を持ってきちゃったから(笑)、じゃあ、それをやろうかと。その流れでリリースしたんですが、僕が「このバンドは続けるべきだ。次の作品もすぐに作ろう」と勝手に盛り上がって。

猪股 そうだった(笑)。最初の頃は俺がほとんどの曲を作っていたんですけど、純くん、宮下も曲を書くようになって。

伊地知 僕は曲を書かないんですけど、みんなに「作ってよ」って言ってました(笑)。そのあと2作(2013年8月発売「LOOSE CRUISE」、2015年6月発売「Along the 134」)出したんですが、今振り返ってみると、よくわからないまま進んでしまった感じがあったんですよね。「どういう音楽をやるのか」という話もしてなかったし、なんとなく流れの中で3枚作って……で、7年空いちゃったんですよ(笑)。

──アルバムを3作リリースした時点で、活動が停滞したと。

伊地知 そうですね。このバンドは「自分たちが楽しければいい」というところから始まって。ライブも「観たい人だけ観て」という感じだったし、自分たちが演奏して盛り上がれるものを作ろうと思ってたんですけど、だんだん楽しくなくなってきたんです。「どうしてだろう?」と考えてるうちに、メンバー同士もちょっとギクシャクし始めて。バンドを続けてると必ずぶち当たる壁ですよね。

飯塚 そうだね。

伊地知 休止しようか、もしくは辞めてしまおうとかという話し合いをして。結局、「まだ可能性があるんだったら、やっていこう」ということになり、時間をかけてバンドの方向性を模索し始めたんです。

伊地知潔(Dr)

伊地知潔(Dr)

猪股 個人的にはつまらないと思ったことはないんですけどね。スプリット盤も出したし(参照:ADAM at×PHONO TONES、互いをイメージしたスプリットCD「ジキル」と「ハイド」)、何もやってなかったわけでもないんだけど。

宮下 俺も潔さんと同じで、楽しくなくなっていましたね。新しい曲もあまりできなかったし。

伊地知 外に向いてなかったんだよね。

宮下 そう。自分たちが楽しく演奏できることと、お客さんが楽しめることの距離があったというか。ADAM atと対バンしたときも、いろいろ考えさせられましたね。向こうのライブはお客さんもすごく盛り上がってるんだけど、ウチらのライブは「どう楽しめばいいかわからない」という雰囲気で。かといって、内向きのまま自信を持って演奏する感じでもなくて。

──飯塚さんはその頃のバンドの状況をどう捉えていたんですか?

飯塚 バンドをやってると「うまくなりたい」「カッコよくなりたい」という気持ちになるし、背伸びすることもあると思うんですよ。そのうえで、みんながハッピーになれるやり方を探していたんだと思います。今回のアルバムの曲作りやレコーディングで、ようやく「こういうことかもしれないな」と思えたんですよね。まだ確実なものではないけど、体でわかってきたというか。

伊地知 10年かかったね(笑)。やっとたどり着いた感じもあるし、これがデビュー作なのかも。

PHONO TONES

PHONO TONES

バンドの方向性が見えた「The sky's the limit」

──紆余曲折を経て、本当のスタート地点に立ったと。「BUBBLE」を聴くと、メンバーの皆さんが楽しんで演奏しているのが感じられます。

猪股 よかった(笑)。3、4曲ずつ小分けにレコーディングしたんですよ。余裕を持ってやれたのもデカいのかなと。

伊地知 宮下は毎回、余裕がないけどね。

宮下 いつもギリギリになっちゃうんですよ。レコーディングを延期してもらったこともあるし、無事に完成してよかったです(笑)。

──アルバムの起点になった曲はあるんですか?

伊地知 「The sky's the limit」ですね。最初に配信シングルとしてリリースしたんですけど、この曲ができたときに、方向性が見えたんですよね。猪股がアイデアを持ってきてくれて。

猪股 このベースのリフ、前からあったんですよ。それを宮下に投げて。

宮下 リフだけで攻めてるわけでもないし、音を詰め込むこともなく、ゆとりのある構成になっていて、いい感じにハマったんですよね。以前は分厚いサウンドになりがちだったんですけど、隙間があるアレンジでも成立できたのは大きいのかなと。

猪股 コンパクトにまとまってるしね。

伊地知 前は曲の尺も長めだったんですよ。自分たちがカッコいいと思ってるパターンを繰り返したり、「このパート、要る?」みたいなところをあえて残したり、そうやって自己満足に陥ってたんですけど、今回はシンプルに削ぎ落せたのかなと。インストバンドだけど、3、4分くらいのポップな曲を作れるのが自分たちの強みだと思うし、「The sky's the limit」の反応もすごくよくて。

猪股 後藤(正文 / ASIAN KUNG-FU GENERATION)さんも褒めてくれたんでしょ?

伊地知 「あの曲、いいね」って言ってた。

2022年4月20日更新