大阪を拠点に活動している3人組バンド・pachaeのニューシングル「アイノリユニオン」が10月7日に配信リリースされた。
pachaeは2020年に音楽レーベルとマネジメント事業を展開するmurffin discsの新人オーディション「murffin audition 2020」の準グランプリを受賞し、一躍脚光を浴びたロックバンド。コンポーザーである音山大亮(Vo, G)がすべての楽曲をDTMで制作しているのが特徴だ。新曲「アイノリユニオン」はテレビアニメ「妻、小学生になる。」のオープニングテーマで、pachae初となるタイアップソング。アニメに寄り添って制作されたこの曲では、さまざまな家族の形や人とのつながりがストレートな歌詞やキャッチーなリフ、めまぐるしく展開するメロディで表現されている。
音楽ナタリーではこの曲のリリースを記念して、pachaeの音山、さなえ(Key)、バンバ(G)にインタビュー。バンド結成の経緯や「アイノリユニオン」の制作エピソードについて聞いた。
取材・文 / 蜂須賀ちなみ撮影 / 後藤壮太郎
自分には歌の才能がないと思っていた
──公園で歌の練習をしていた音山さんが、オリジナルメンバーのドラマーと出会ったのがpachae結成のきっかけだそうですね。当時の音山さんは、なぜ歌の練習をするようになったのでしょうか?
音山大亮(Vo, G) 学生の頃から曲を作っていて、周りに楽曲提供の話を持ちかけられることもあったので、「きっとこれから音楽で生きていくんやろうな」と漠然と思ってたんです。ただ、そもそもは自分が歌うつもりはなかったんですよ。歌の才能がないと思っていたし、大学でも「歌は目指すべきじゃない」と言われていたので。でも、バンドを組みたいと思ったときに、いいシンガーがいればメンバーを集められるのではないかと思って歌の練習を始めました。「たぶんうまくはならんな」と思いながらも、3年くらい公園で歌っていたら、「あっ、いい感じの声が出た! これくらい歌えるなら、メンバーを集めてバンド組めるかも」という瞬間が急にやってきて。そのくらいの時期にたまたま、今は抜けてしまったんですけど、当時のドラマーと出会ったんです。そこからほかのメンバーを探し始めました。
──そしてバンバさん、さなえさんをメンバーに誘ったと。
音山 バンバは結成当時のドラマーの後輩やったんで、彼が連れてきてくれました。
バンバ(G) 当時、音山が弾き語りでよくライブをしていて、「一度ライブにおいでよ」と誘われて行ったりしていました。自分はその頃まだ学生で、特に音楽活動はしていなかったので、バンドに誘われたときは純粋に「やりたいな」という気持ちが強かったです。
──さなえさんは、どういうつながりで?
音山 僕がInstagramのDMで、一緒にバンドをやらないかと誘いました。
さなえ(Key) 音山さんとは、ライブハウスでの対バンで出会いました。私は当時、ヤマハ音楽教室でエレクトーンのデモンストレーターをしていて、普段よく聴いていたのは、Earth, Wind & Fireとか。邦楽にはあまり馴染みがなかったんです。自分がバンドをやる機会もなかったのですが、あるとき一夜限りのバンドのような形で初めてライブに出演して。そのときの対バン相手が音山さんだったんです。そのライブで音山さんが弾いていた「冥王星ガール」という曲がめっちゃ刺さって。当時はまだタイトルも付いてなかったかな?
音山 うん、たぶん。本当にできたてほやほやだった。
さなえ その曲のことをずっと覚えていたし、初めてライブに出演したあの日から、私はずっとバンド活動に興味を持っていたんです。その1年後くらいにDMをもらって。「あの曲に『冥王星ガール』というタイトルが付きました」と、ミュージックビデオも送ってくれて。MVを再生したら、当時の記憶がよみがえってきました。同時に「バンドに挑戦してみたい」「音山さんと一緒にやれたらめっちゃ面白そう」という気持ちになって、今に至ります。「冥王星ガール」は私がバンドの世界に踏み出すきっかけをくれた曲で、すごく思い入れがあるんですよね。
バンバ 「冥王星ガール」はマジでいい曲ですよ。キャッチーで、メロディがスッと入ってくる。
音山 「冥王星ガール」を作れたのも、声が出るようになったのと同じくらい自分にとって大きな出来事で。この世の中に自分の曲を“ハナテン”するときが来た!と思えた瞬間でした。
──ハナテンとは?
音山 放出と書いてハナテンと読む地名が大阪にあるんですけど。最近「放出する」を「ハナテンする」と言うのにハマってて(笑)。
バンバ あはははは。
音山 昔は「俺って最強!」と思いながら曲を書いていたけど、そういう時期を越えてから冷静に判断したら、100点の曲を書けてないなと思ったんですよ。流行りの曲がピックアップされるプレイリストってあるじゃないですか。その中に入っても違和感がないというか、「この曲だけ素人っぽい」と思われないレベルにならないとダメなわけで、自分の曲がそのラインに達しているとは思えなかった。だけど「冥王星ガール」ができたとき、自分の中で「いける!」と思えたんです。たまたまいい曲ができたんじゃなくて、これからは「冥王星ガール」と同等かそれ以上のクオリティの曲しか生まれないぞと。それでバンドメンバーを探し始める覚悟が決まりました。今の事務所のオーディションに応募したのは、バンドを組んで、2曲目、3曲目を作っているタイミングでしたね。
──オーディションに応募したのは、どういう理由からですか?
音山 今って昔みたいに「とにかくライブをこなす」みたいな時代でもないのかなと思っていて。地道にライブを重ねることはもちろんバンドにとって大事ですけど、当時の自分たちは無名の新人やったから、「オーディションで合格した新人バンド」という肩書きがあったほうが、話題にしてもらえるのかなと思ったんです。それに、ライブハウスのことや、バンド活動をどんなふうに進めていったらいいのかも知らなかったので。SNSを見ていたら、自分の好きなバンドが所属しているmurffin discsがちょうどオーディションを開催しているのを見つけたので、応募してみました。
──なるほど。ちなみに公園で歌を練習していたとき、どうして突然声が出るようになったのか、心当たりはありますか?
音山 たぶん、いきなりうまくなったんじゃなくて、もともと歌えてたんやと思うんですよ。そのことにある日突然気付いたという感じ。鼻炎が治ったような、鼻の奥が開通したような感覚でしたね。僕と同じ悩みを持っている人、たくさんいるんじゃないかな。練習してるのに歌がなかなかうまくならない人。だけどそれはピッチがとれてないわけでもなんでもなくて、鼻が詰まっているだけという可能性もある。俺も鼻が詰まったまま人生を終えると思っていた……というか詰まっていることにすら気付かずに過ごしていたので、突然思うように歌えるようになったときは自分でもびっくりしました。
“作るを楽しむ”と“演奏を楽しむ”
──音山さんは普段DTMで曲作りを行っているそうですが、楽曲をバンドサウンドで鳴らすことの面白さをどういうところに感じていますか?
音山 アコギやピアノ1本の芸術も好きですけど、弾き語りや打ち込みで1人で完結させるよりも、楽器数が多いほうがよりクリエイティブやと思ってますね。ボカロにハマってた時期もあったんですよ。「こんなフレーズ誰が弾けんねん」「誰が歌えんねん」という感じでも気にせず、好きなだけ音を重ねていた。ボカロは“作るを楽しむ”に特化してるものというイメージ。でもバンドだとそうはいかなくて、人が弾くことや歌うことを考えなければいけない。今は“作るを楽しむ”と“演奏を楽しむ”が半々くらいのバランスが理想的やと思ってます。結成したての頃は、“作るを楽しむ”にかなり寄っていたんですよ。基本僕がアレンジまでガチガチに作り込んでるんですけど、オーディションに応募したときも、みんなが俺の曲を弾けるのか、確認せずに音源を提出しちゃって。そのあとスタジオに入って、ライブに向けて必死に練習してね。
さなえ すごく大変でした。
バンバ 最初のライブとか、必死すぎて棒立ちで演奏してましたもん(笑)。
さなえ 本当に精一杯って感じで。
音山 その初ライブの1週間後がオーディションの結果発表で。準グランプリを獲得させてもらったときには一応、ギリギリ弾けるようになってました。そういう感じで最初はバタバタで……いや、今も曲ができるたびに、けっこうバタバタしてるのかもしれないな(笑)。
──本当に演奏できるかどうかは考えずに、作りたいものを作ってから、がんばって練習していると。
音山 はい。思いついたらとりあえず打ち込んで、あとから追い付けばいいというスタンスですね。
──音山さんの作った曲に対して、バンバさん、さなえさんはどのように取り組んでいるんですか?
バンバ 必死ではありますけど、この前ちょっとうれしかったことがあって。ライブハウスの人から「バンバの弾くギターは歌心があるね」と言われて、弾き方とかで自分の色をちゃんと出せているのかなと思えたんです。
さなえ さっきもお話ししたように、私はもともとバンドの音楽に馴染みがなかったので、音山さんの作る曲に対していつも「新鮮だな」と思っています。勉強させていただきつつ、「自分のものにしていけたら」という気持ちで日頃練習をしていて。曲によってはソロのフレーズは自分で考えているので、そういうところで自分の今までの音楽経験を生かしていければと思っています。
音山 曲をTシャツに例えるとすると、僕の作るTシャツはややこしくて、デザインを変える隙がないと思うけど、それを受け止めて、うまく着こなしてくれているのがこの2人なんです。音作りとか、そういう面ですごく頼りにしています。それに、僕も「絶対に今の作り方じゃないとダメだ」とは思っていなくて。「今回のデザインはどうする?」って2人と話し合いながら、1枚のTシャツを作ることが今後あっても面白いと思ってますし、変化のタイミングが自然とやってきたら、それに従っていきたいですね。
次のページ »
ほかの人と同じものを作りたくない