折坂悠太インタビュー|“今の自分自身”へ宛てた「呪文」という名の手紙 (2/3)

「ディダバディ」でしか言えない気持ち

──収録曲の多くは今年の「あいず」ツアーなどですでに披露されていて、レコーディングメンバーは大まかに言うとバンド編成+重奏メンバーの皆さんという形態ですね。レコーディングにはどれくらいの期間をかけましたか?

「夜香木」という曲は「心理」の前からあったから、ライブでもけっこうやっていて。「スペル」と「ハチス」は去年の末くらいに「アルバムを作ろう」と決めてからほぼ同時期にできた曲です。あとはいろんな時期に作った感じですね。レコーディングは、まず今年の2月にオケとボーカルを4日間かけて録って、そのあとボーカルだけを録りました。その後、弦のアレンジなどはありましたけど、主な部分は4日ぐらいで録りましたね。

折坂悠太

──すごく短期間でで録りましたね。これってオケ自体はパートごとではなく「いっせーのせ」の一発録りですか?

そうですね。基本的に「心理」以降は、せーので録るスタイルをとっていて。「ハチス」はボーカルも一緒に録りました。バンドの皆さんとの付き合いが長くなってきたおかげもあって、みんなで一斉に出す音が一番輝く元気な音になる。そこに、無意識なものも含めて、ちゃんとグルーヴが生まれるんです。録り直しがきかないパートもあるので、聴き直して「くーっ」と悶えているメンバーもいますけど(笑)。

──ここからは各楽曲のお話をお聞きできればと思うんですが、1曲目の「スペル」から食らいました。「瞳の奥に降り注ぐ 手なずけられぬ風景が 私を私たらしめる 思いがけぬ強さで」というセンテンスは率直によく浮かんだなあと思うし、「小指をきつく締めつける かけがえのない後悔が 私をここへ連れ戻す 忘れがたいつよさで」というくだりは、よくも悪くも呪いや約束、絆を想起させる。そして「いとし横つら 魂 ディダバディ」はもう散文詩ですよね。これはある種、追憶の物語なわけですが、ものすごい曲だと思いました。

ありがとうございます。去年の年末、精神的にきつかった時期に、さっきお話ししたように「ちゃんと自分に寄りかかろう」「自分自身をちゃんと抱えてやろう」と思って生活習慣を見直して……自分ではそれを「修行」と呼んでいたんですが(笑)。大事なものがたくさんあればそれだけ重いししんどいけど、今の自分にはそれを使う理由もあるのだろうし、そうした1つひとつが今の自分を形作っているのだろうから、まずはちゃんと受け入れようと思って。修業期間から、ノートもめちゃくちゃ書くようになった。大して意味のないことを思いつくままに書いて、読み返さない。読み返すためのものじゃなく、ただ書くだけなんですけど、そうすると自分の中で散らかっているものがこれだけあるんだなとわかる。そこに鏡に映った自分がいるような感じがして、エゴサで書かれている自分の姿よりも大事な自分が見えたというか(笑)。どっちも自分だし、そういう世界で生きているんだなと妙に納得もいって。そんな中、道を歩いていたらパッとこの曲の歌詞を思いついて、それが頭の中にあった別のアイデアと一発で結合しました。自分への手紙のような部分もあって、この1曲自体がもうアルバム級、みたいなところもあるし、「スペル」を訳せば「呪文」という意味もあるので、結果としてアルバム全体を象徴する感じもあって。この曲ができてよかったし、この曲に自分が助けられているところもありますね。

──つまり「スペル」はまさに今の折坂さんそのものと言える曲なのですね。

そうですね。カッコもつけていないし。「ディダバディ」というフレーズも仮で入れておいてあとから変えるつもりだったんですが。自分でも最初は「ディダバディって……」と思ったし(笑)。でもこれしかなかった。「ディダバディ」でしか言えない気持ちがあった。そこは自分でも説明がつかないし、身体的な感覚でしかないんですが、そこに何よりも色濃く自分が出ているような気がしています。

「夢そのものはそんなに偉いものじゃないよ?」

──「夜香木」からは、そこはかとない色気を感じます。

曲調はちょっと異なるけど、往年のソウルミュージックにあるようなライトなラブソングを私なりに歌ってみました。「誰でもこういう気持ちを持ったこと、あるよね」「この感じ、知っているよね?」という歌ですね。「心理」はライトなものを受け付けないアルバムだったので外したんですが、今回はそういうライトな曲の持つ切実さもまた音楽特有の機能性だと感じられたので。ライブですごく評判がよくて、「踊らせにきてる曲だな」という意見を目にしたんですが、「そういう気持ちにもちゃんと意味がある」と今は思えるというか。

折坂悠太

──確かに「夜香木」や「人人」「ハチス」からはソウルミュージックのマナーが感じられますね。そしてそれは今作のサウンドスケープの風通しのよさにも作用している気がします。

ソウルミュージックばかり聴いていた時期がけっこうあったんです。家事をしたりごはんを作ったりしながら、小さくかけていることがあって。最近のライブ前のBGMでも、マネージャーの中里さんが選曲してくれたソウルミュージックのリストを流しましたね。

──「人人」の「夢は うかうかしてると 夢は 叶うから 揺れたい今を暮らしていて」と、その対になる「夢は うかうかしてると 夢は さめるから 触れたい今を覚えていて」というセンテンスもとてもいいですね。

これは男性性について考えている時間からできました。これまで自分たちが思い込まされていたもの……例えば「夢や目標を持って」とか、いまだに学校で言うと思う。別に悪いことじゃないんですが、「それを突き通すのが男らしい」みたいな感じってあるじゃないですか。で、ピクサーの「バズ・ライトイヤー」という映画を観たとき、「ああすげえとこまでいってるんだなあ」と思ったんですよ。要は「英雄になりたい」という思いをことごとくくじかれるんだけど、くじかれたほうに道がある、という映画で。それっていいメッセージだと思ったんです。夢とか目標って、それを叶えたときは別に何もなかったりするもので、むしろ大事なのはその過程でやきもきすることなんだよなと思って。だから極論かもしれないけど、「夢そのものはそんなに偉いものじゃないよ?」というような気持ちで書いたと思います。