折坂悠太インタビュー|“今の自分自身”へ宛てた「呪文」という名の手紙

折坂悠太がアルバム「呪文」をリリースした。

2年8カ月ぶり、自身4枚目のオリジナルフルアルバムとなる本作は全9曲を収録。コロナ禍の心中を反映させた前作「心理」から一転、風通しのよいサウンドに乗せて日常を反芻した本作は、折坂自身やリスナーが生きている世界線とその現在地をスケッチしようとする彼の眼差しが感じられる1枚となった。中でも1曲目の「スペル」とラストを飾る「ハチス」は、今の折坂にとって重要な意味を持つ楽曲になったという。この数年の中で折坂にどんな心境の変化があったのか。音楽ナタリーは折坂にインタビューを行い、近年の活動から本作の制作背景までをたっぷりと聞いた。

取材・文 / 内田正樹撮影 / 小財美香子

緊張がずっと続いていた

──新作について伺う前に、まずは近年の活動について少し振り返らせてください。折坂さんは昨年6月にライブ活動10周年を迎え、弾き語りツアーで全国を回られましたね(参照:折坂悠太が“歌”にすべてを託した90分、ギター1本1人で「らいど」)。

10周年を機に、何か新たにできることがあればと思い、やってみました。自分の周りの諸先輩方……例えば先日対バンをさせていただいた向井秀徳さんのような存在を見ると、10周年なんてまだまだだという気持ちもあります。ですが、自分が音楽を始めたとき、「10年やってます」とおっしゃる方に会うと素直に「すげえ」と思っていたので、自分もそう言えるようになったのはここまで続けてきてよかったと思えることの1つになりました。

折坂悠太

──2021年リリースの前作「心理」はコロナ禍における人間の心理を描いたアルバムでしたが、世間がある程度の落ち着きを取り戻した今、当時を振り返ってみていかがですか?

あの頃はコロナだけじゃなくて、個人的にコロナとは関係のない何人かの身近な人の死に直面したこととか、いろいろなことが重なった時期だったんです。今思うと、ものすごく必死でしたね。1stアルバムの「平成」に対する皆さんのリアクションを受けて、自分の思いや姿勢を表すときのステートメントに対する責任も意識していたし。言葉に誠実であろうとするあまり、体がガチガチになるような緊張がずっと続いていた。正直、いまだに消化し切れていないというか、尾を引いていますが。

──尾を引いているものとは、つまり“喪失感”なのでしょうか?

そうですね。だからコロナ禍に入り始めた頃は、こんな言い方もなんですけど「それどころじゃないよ」というか、気持ちが追いつかなかった。それが2020年の夏あたり。少しずつライブや制作をやってはいたけど、今思うと記憶が抜け落ちていて。それくらい必死で駆け抜けていたんだと思います。

──コロナ禍を受けて、2021年には重奏編成で予定されていたフジロックへの出演をキャンセルされました。そのときのステートメント(参照:折坂悠太、indigo la Endが「フジロック」出演キャンセル)も、今読み返すと当時の緊張感が表れているように感じられます。

自分がステージに立つことの意味合いについては、当時かなり考えました。重奏のメンバーや、その年に出演されたマヒトゥ・ザ・ピーポー(GEZAN)さんともいろいろと話しましたし。誰かの考えに反対というわけではなくても、とにかく自分の答えは出さなければならなかったし、後年、誰かがコロナ禍を振り返ったとき、「悩んだ末にそういうアクションを選んだやつもいたんだ」という履歴が残るのは、決して悪いことじゃないだろうと思った。妙に状況や自分を俯瞰で見ている感じもありましたね。あの頃は「どうしたら感染を予防できるか」とか「何をすれば感染率を抑えられるか」とか、文字と数字と想像の範疇でみんなが動いていた。人間の感覚としてはかなり不自然な毎日を強いられていたし、そうした考えから抜け出して音楽を作ることは、私にはかなり難しかった。人にはいろいろな感覚が備わっているわけですが、それがある感覚のみに偏ると、どうしても歪みが生まれて、もやもやとした何かが噴出してしまう。あくまで想像ですが、プーチンが戦争を始めたのもその極端な一例だと私は思っていて。ともかく、とても歪な時期だったと感じています。

折坂悠太

──折坂さんはインタビューを受ける際に、“もやもや”という言葉をよく使われますよね。折坂さん自身、ご自分の心に生まれた“もやもや”が音楽へと転化しているという認識がありますか?

歌は特にそうですね。人にもよるんでしょうけど、“もやもや”や歪みは世の中にある歌の多くの成り立ちとつながっていると思うし。消化しきれない感情を代弁するとか、何かに共感・共振して受け取ったものを昇華させるとか、そういう働きもまた歌にはあると思います。

楽でいるために自分を掘り漁る

──新作「呪文」では、歌詞における言葉のチョイスについて、これまでとはやや異なる変化が見受けられます。例えば「正気」では珍しく「戦争しないです」というグローバルイシューを指し示す直接的な言葉が使われていますし、「ハチス」の終盤では「全ての子供を守ること 全ての 全ての子供を守ること」という力強いリフレインが歌われています。何か具体的な心境の変化があったのでしょうか。

そもそも「呪文」は、「心理」とは制作の土台がまったく異なるんです。「心理」は、まず自分のステートメント在りきで曲を構築し始めたんですが、対して今回の「呪文」は、「もうステートメントを歌の中で繰り返す必要はない」という考えが土台となっている。もっと言えば、1989年9月に生まれて35年生きてきた今の自分そのものが土台なんです。台所に立って見えたものとか、変な音がパチッとしたとか、「戦争しないです」とつぶやいてみたこととか……生活の中で感じたさまざまな事柄が、文脈も関係なく等しく混ざり合っている。自分自身を深く見つめて、おもちゃ箱を掘り漁ったように出てくるたくさんの言葉をそのまま曲に落とし込んでいる。そういう点で、前作と大きく異なります。

折坂悠太

──自分自身を深く掘り漁るとき、苦しさは伴わないのですか?

むしろ楽でいるために掘り漁っていますね。私は自分に対する信頼感がとても薄いし、今も気を抜くとより薄らいでしまうんですが、だからこそ何かに寄りかかっていたい気持ちが強くて。音楽を始めたとき、人が私の曲を「いいね」と言ってくれることが大きな驚きだった。SNSに「折坂悠太のライブがよかった」と書いてもらえるのも奇跡のように感じられて、一時、めちゃめちゃエゴサしていた(笑)。そうした声に寄りかかりたかったんですね。でもそういうニーズを意識し続けると、いつしか本当の自分を見失うようになってしまって。そこで、もっと自分自身の内面に寄りかかろう、自分自身をちゃんと抱えてやろうという気持ちになってSNSから離れてみた。もう少し自分で自分を信頼してやりたくなったんです。頭だけで考えているとがんじがらめになってしまうから、「体も動かさなきゃ」と走るようにもなったし。整体の本を読んで、体の動かし方を研究するようにもなって。すると、そうした積み重ねが功を奏したのか、曲がすんなりと生まれるようになったんです。去年あたりからようやくいろんなことが楽になって、制作もパフォーマンスもいいものが生まれるようになってきた。「平成」と比べても、より今の自分自身そのままです。一時は、「折坂悠太」というセルフタイトルでもいいとさえ思っていたので。

──「呪文」というアルバムタイトルの由来は?

「心理」のとき、アルバムタイトルに悩むあまりぎっくり腰のようになってしまって。鍼灸院で診てもらったら「悩みすぎですね」と。

──タイトルに悩みすぎてぎっくり腰になった人、初めて会ったかもしれません(笑)。

その反省から今回は制作途中の段階で何個か候補を出すようにして、そのたび直感で「これにします」とスタッフにまったく違うタイトルを伝えていたんです。そんな中、最後に「呪文」が思いついて「これだな」と。「スペル」という曲では「ディダバディ」、「努努」という曲では「うん ぺれ ぴんぱ うぱ」という言葉を歌っているんですが、こういう言葉って、それ自体に意味はないけど、魔力があるというか。それ以外にも、そのときの実感や、そのときの自分の体の躍動、間違っているとか正しいとかでは片付けられない魔力が宿っているような曲がそろったと思うんです。そういう点でも、「呪文」というタイトルがぴったりだなと思って。

折坂悠太

──「平成」から「心理」を経て「呪文」と2文字のアルバムタイトルが続いていますね。

それはたまたま結果的にそうなったんですが、文字が組み合わせることで何かが宿ると思っている節があるんでしょうね。コーヒー豆や薬草のように、何かと何かを掛け合わせると何かの扉が開く、みたいな。「呪文」もそう。“呪い”と“文”が掛け合わさることで初めて発動するような感じがある。