大森靖子が2014年9月にavexからメジャーデビューしてから、今年で10周年を迎えた。昨年からこれを記念した企画「大森靖子10周年プレミアム輪廻ガチャ10」を実施し、インディーズ時代から交流のある直枝政広(カーネーション)と制作した新曲「更衣室ディストピア」のリリース、自身に多大な影響を与えた道重さゆみとのツーマンライブ「ミッドナイト清純異性交遊LIVE」の開催、ファンが制作したミュージックビデオを募集する映像コンテストなど、大森はさまざまな企画を展開している。
このデビュー10周年企画の一環としてリリースされたニューアルバム「THIS IS JAPANESE GIRL」では直枝、大沢伸一、の子(神聖かまってちゃん)、ミト(クラムボン)、sugarbeans、大久保薫といったおなじみの作家陣に加え、つんく♂や向井秀徳(ZAZEN BOYS)とのコラボも実現。大森が生み出す音楽をこれまで以上に幅広く彩った作品に仕上がった。音楽ナタリーではメジャーデビュー後から現在までを振り返りつつ、「THIS IS JAPANESE GIRL」に込められた思いを聞いた。
取材・文 / 高橋拓也撮影 / 二宮ユーキ
“自分らしさ”が生きづらかったメジャーデビュー前夜
──取材前に大森さんの歴代作品をチェックし直したのですが、お花畑で行った「メジャー契約会」の映像を観てしみじみしました(参照:モリ!ステ#07 | YouTube)。
懐かしいですね(笑)。
──当時の心境は覚えていますか?
メジャーデビューについてはあんまり緊張しなかったですし、「自分らしくいなきゃ」みたいなプレッシャーもなかったです。逆に自分らしさが出すぎることがコンプレックスで、そこに生きづらさを感じていたので、歌手になることでそれを誰かの糧にできるのなら「もうこれしかない」と思っていましたね。
──すでに踏ん切りがついていた。
はい。だから自分の意見を曲げたり、レーベルに遠慮するようなこともなかったです。avexのアーティストはデビュー前からダンスを習っていたり、音楽スクールに通っているような方が多いですよね。私はそういった下積みを経験していないので、「自分しかできないことをやらなきゃ」みたいな意識はかなり強かったです。
──大森さんはメジャーデビュー前、ほぼ毎日のようにイベントに出演したり、1日に数本の現場をはしごしたりと、ものすごい量のライブをこなしていました。当時の経験はどのようにメジャーデビュー後の活動に生きましたか?
あの頃はロックバンドばかりのイベントに弾き語りで出演したり、アイドルイベントでライブを行うこともあったので、「音楽だけで伝えていける」という自信はありましたね。その中で、私の音楽を聴いてもらうとっかかりを作るため、いろいろ工夫したのを覚えています。
──メジャーデビュー前後の楽曲は現在でも演奏されているものが多いですが、その中で特に思い入れのあるのはどれでしょう?
道重さゆみさんのことを考えて作った「ミッドナイト清純異性交遊」ですね。自分の部屋から道重さんが一番輝いてるステージまで駆け上がっていく……という曲で、ライブごとに違うストーリーを思い描けましたね。実は道重さんが今年の夏のツアーで、この曲を出囃子前に使ってくれたんですよ。ファンの方が「ミッドナイト清純異性交遊」に合わせて拍手して、道重さんが登場するのがお決まりになっていて。
──道重さんに憧れて作った曲が、10年以上の時を経てご本人のライブで使用されるのは感慨深いですね。
そうですね。そういえば道重さんは2014年の11月26日にモーニング娘。'14を卒業することが決まっていて、私のメジャーデビュー発表が3月だったから……。
──残り半年しかなかった。
当時は道重さんが音楽活動を再開するのかわからなかったし、出会えるとしたら最後のチャンスだったので「同じステージで立てるように間に合わなくちゃ」という気持ちはすごくありました。かなり焦りましたね。
──その後大森さんが道重さんと出会った際はグッときましたし、勇気付けられるものがありました。
「自分の技術が追いついてない」という気持ちもあったけど、背伸びし続けた状態で憧れている人を追いかけると、そのままの姿を保ちながら成長できるんですよね。それがメジャーデビューのタイミングと重なったのは結果的によかったです。
──2013年に発表したアルバム「絶対少女」は弾き語りとバンドサウンドを基調にした、インディーズ時代の総決算と言える作品だったのに対し、メジャーデビューアルバム「洗脳」は一気にアレンジのバリエーションが広がり、大森さんにとって“J-POP”とは何かを表現するようなアルバムでした。
やっぱり私はJ-POPで育ってきたので、自分なりに作ってみたかったんです。普段からJ-POPを芸術に昇華することを大事にしながら作詞しているので、音もそれに伴って、繊細な気持ちを大事に表現してくれる方々と作りました。インディーズ時代よりも録音環境が整って、不慣れなところもあったけど、すごくワクワクしましたね。
──J-POPの歌詞について、大森さんはどのような部分に魅力を感じていますか?
特に女性シンガーソングライターが作るJ-POPの歌詞って、頭から終わりまで連想ゲームのように組み立てられているものが多いんですよね。その書き方がすごく好きで。ある1つの言葉があったとして、次の言葉を思いついたときにはまったく違う気分になっている。極端な場合だと、キラキラしていた言葉がもう台なしになっていたり。そういう1日の気分の移り変わりみたいなものを書き続けているんですが、よくアレンジャーさんに「気持ちが破綻している」って言われます(笑)。1番と2番の内容を真逆に描くのも好きな手法ですね。
自身がやりたいことを示すための「マジックミラー」
──2016年から2017年にかけては「TOKYO BLACK HOLE」「kitixxxgaia」「MUTEKI」とアルバムを3作発表するハイペースぶりでした。この頃から大森さんの歌詞の表現に変化があり、例えば「マジックミラー」のように、リスナーに対して語りかけるような楽曲が発表されました。大森さんの音楽を求めている人たちの背中を後押しするようになった、というか。
確かに「マジックミラー」は届けるべき人に届いている感覚はありました。この時期は「以前みたいな音楽はやらなくなったんだ」と言われることがよくあって、「私がやりたいことはこれです」という指針をちゃんと説明しないと、理解してもらえないことに気付いて。
──そこで一度、大森さんのスタンスを示す必要があった。
音楽をやっている理由を説明する必要はないと思っていたけど、リスナーの中には理由がわからないと不安になる人もいると知ったんです。だから「マジックミラー」は私について説明するために作った曲で、あんまり音楽的じゃないと思っています。それを直枝政広(カーネーション)さんにポップに仕上げてもらって、音楽になった感じですね。
──なるほど。
実は「マジックミラー」って、私が社長をやっているTOKYO PINKの社歌みたいな扱いになっているんですよ。
──これも年月が経って、当時では考えられなかった役割を担う曲になったんですね。
TOKYO PINKでは所属アーティストのプロデュース業を通して、私の大切にしている表現を伝えています。最近では歌い手やVtuberなど、ネットを活動拠点にするアーティストが増えているのに対し、ステージに立って表現する人が減っているんじゃないか……という不安があって。画面越しでは意外とわからなくて、実際に観るから伝わるものってあるんです。だけど現場で活躍できる人がいなくなったら、表現するための場所もなくなってしまう。このままだとヤバいと思っています。
──かなり危機感を感じている。
だからこそ現場を大事にしなきゃいけないし、現場で音を伝える人たちをどんどん育てていきたい。そんな気持ちが生まれたのは、現場を大事にしている人たちに向けた「マジックミラー」があったからこそで。この曲で自分の気持ちを示す必要性が立証されたから、ZOCの「family name」みたいな曲も「マジックミラー」がなかったら作っていなかったかもしれません。
どれだけほかの人に合わせても、絶対に“大森靖子らしさ”は出ちゃう
──メジャー所属後はアルバムの楽曲制作スタッフだけでなく、ライブの演奏メンバーとしても多くの人が関わるようになりました。
いろんなミュージシャンと交流することで、どんな人でも必ず大事にしていることがあるのに気付きました。特に年上のミュージシャンは何十年という長い期間、同じ熱量で音楽と向き合い続けているので、その姿を目の当たりにすると「負けてられないな」と思ったし、夢をもらえましたね。
──それから「kitixxxgaia」からはフィーチャリングゲストを迎える曲が多くなりましたが、どの曲も大森さんらしさを残しつつ、各アーティストの魅力をしっかりと生かしていますよね。このさじ加減はどのように調節しているんでしょうか?
ゲストを迎える曲で“私らしさ”は全然いらないと考えています。どれだけゲストの表現に合わせても、絶対に“私らしさ”は出ちゃうので。どの人も音楽に対する信念をしっかり持っているので、そこに照準を合わせてやり切ったほうが絶対成長できますね。中でもリズムの取り方、グルーヴの生み出し方はその人にしかないものだし、自分の声ならどんな相手でも合わせることができる。そこはボーカリストならではの強みだと思います。
──一方で、2018年に発表されたアルバム「クソカワPARTY」では演奏メンバーや編曲者をある程度固定していましたが、制作体制を変えたのはなぜだったんでしょう?
「クソカワPARTY」を発表した頃は現場不在の音楽、ネットを拠点にした音楽が主流になってきたので、それを私もやってみたくて。ANCHORさんをメインのアレンジャーに迎えて、ネット音楽の文脈に自分を当てはめるとどうなるか試しました。でも「誰かと何かしてみたい」という気持ちはずっとあったし、その思いは同時期に始動したZOCに反映されていた気がしますね。
──その後2019年にはメジャーデビュー5周年を迎え、道重さんや峯田和伸さんとのコラボシングル発表、初の47都道府県ツアーなどの記念企画が行われました。5年という節目はどのように捉えていましたか?
デビュー時にがんばって蒔いてきた種が育ったし、審査員を務めていた「ミスiD」が過渡期でいろんな女の子が集まってくれて、それがZOCにつながったり。「めちゃくちゃだけどやってみよう」みたいなことって新しいことが生まれる発端になるし、トラブルもあったけど、その分面白い出来事がたくさんある時期でした。
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私は対話することをあきらめたくない