音楽ナタリー Power Push - 沖野俊太郎×小山田圭吾
「またバンドやろう」盟友2人の語らい
パリの街角でばったり
──velludoの活動期間は短かったですよね。
沖野 うん。「Mighty Mystic Eyes」って、Venus Peterでもやった曲までは録って。でも、レーベルの社長が逃亡しちゃって、結局お蔵入りになったんだよね(笑)。そのあと、俺がニューヨークに行っちゃってvelludoは解散。その頃、小山田くんはロリポップ・ソニックやってたっけ?
小山田 velludoの後半くらいの時期には並行してやってたね。フリッパーズ・ギターの1stアルバム「three cheers for our side~海へ行くつもりじゃなかった」に、「The Chime will Ring -やがて鐘が鳴る-」って曲が入ってるんだけど、そのギターのフレーズが「Mighty Mystic Eyes」とほとんど一緒で。アレンジも近い兄弟曲みたいな感じなんだよね。ヴィナペでやってたバージョンは16ビートっぽいけど、原曲はもっとビートが跳ねてて。
沖野 うん。あの頃好きだったThe Woodentopsとかをモロに狙って作ったんだよね。
──なるほど。ところで、沖野さんはなんでvelludoをやってる途中にニューヨークに行ったんですか?
沖野 まあ、velludoをやってるときに、日本にいてもダメだなと思って。海外でバンドやってみたい感じだったんだよね。ニューヨークには1年いたんだけど、その間にフリッパーズがデビューしたのね。小山田くんがニューヨークに手紙を送ってくれて、それで知ったんだけど。
小山田 手紙の時代だったね(笑)。
沖野 手紙に「オキティ、ドラマの主題歌が決まったよ」って書いてあるもんだから焦っちゃってさ。俺はニューヨークに来たものの、友達もあんまりできず、バンドをやれるような状況に全然ならなくて。で、ニューヨークにいる頃、マッドチェスターブームを知って。ラジオでThe Stone Rosesを聴いて衝撃受けて、こうしちゃいられないって、今度はロンドンに行ったんです。
小山田 で、パリで偶然会ったんだよね。
沖野 たまたま旅行で行ってたら、街角でばったり。なんか撮影してて覗いたら小山田くんと小沢(健二)くんだった。パリの交差点で、3人で「あー!」ってなったの(笑)。
──「恋とマシンガン」のミュージックビデオの撮影中でしょうか?
小山田 そうだったと思う。
沖野 それで、俺のロンドンの住所を教えたら、2人が遊びに来てくれて。Primal Screamの「Loaded」を聴かせて、「すげーカッコいい」って言ってた。
小山田 あと沖野くん家で、The Stone Rosesの「Fools Gold」のMVを観たのを覚えてる。
──沖野さんはロンドンでマンチェスターブームを体験してたわけですね。
沖野 そうそう。でも、ロンドンでも全然ダメだったのね。バンドもやれないし、友達もできないし。ただレコード屋に行って終わっちゃった。ロンドンに半年いて、1990年に日本に帰ってきたんです。
やっぱりフリッパーズにライバル心があった
小山田 帰国してなんでヴィナペを結成したの?
沖野 いや、俺が結成したわけじゃなくて、加入なんだよ。確か、ギターの石田真人くんから急に「バンドのボーカルやらない?」って誘われたんだよね。ヴィナペも、俺以外が書いてた曲は、The Smithsっぽい感じだったし。
小山田 ああ。ファンキー感はなくて、80's後半のニューウェイブとかネオサイケ寄りだったよね。
──そこからマッドチェスタームーブメントを取り入れ始めたと。
沖野 うーん。あの当時は夢中だったからやろうとはしてたけど、最後までヴィナペでは理想のグルーヴは出せなかったな。そういうバンドにはなりきれなかったところはある。
──そうでしたか。小山田さんはヴィナペのライブはけっこう観てますよね?
小山田 観てるね。でも一緒にやったことはなかったんだよね。91年にフリッパーズが解散しちゃったし。
沖野 あー、ヴィナぺも解散したの94年だから、ヴィナペとして一緒にやることはできなかったね。
小山田 あ、そうなんだ。
沖野 3年しかやってないんだよ(笑)。
──その頃、お2人はお互いの活動をどう見ていましたか?
沖野 小山田くんは、ヴィナペを認めてくれてて、Trattoria Recordsにも誘ってくれて、応援してくれてた。ただ、フリッパーズがすごかったから。ヴィナぺって多少は話題にはなったけど、今思えばどこかでフリッパーズに対して悔しい思いがあったと思うよ。そんなことは直接言わなかったけど。やっぱりライバル心みたいなものはあるじゃない。
小山田 そうなんだ。僕はヴィナペは“友達”だと思ってた(笑)。沖野くんの曲は前からずっと好きだったから。僕はフリッパーズで自分で歌ったりしてたけど、ほんとはバンドでギター弾いてたいと思う人間で。あとvelludoみたいな音楽をやりたいとずっと思ってたんだよね。
沖野 え、そうなんだ。
小山田 うん。沖野くんは歌える人だと思ってたし。
沖野 歌、当時はめちゃめちゃ下手だったけどね(笑)。
小山田 velludoもそんなにうまくなかったけど、フリッパーズのほうがもっと下手だったから(笑)。
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収録曲
- 声はパワー [koe wa power]
- The Light
- この夜にさよなら[kono yoru ni sayonara]
- We Are Stories
- The Love Sick (album edit)
- Swayed
- Summer Rain
- Welcome To My World
- CPU Song
- Daydream Of You
- Moon River No.1
- I'm Alright, Are You Okay
- When Tomorrow Ends
- Mood Two
アルバム「F-A-R」発売記念企画
11月11~26日の期間限定で、アルバム「F-A-R」の収録曲「この夜にさよなら[kono yoru ni sayonara]」の小山田圭吾リミックスバージョンが聴けるTwitterキャンペーンを実施中。
- 期間限定Twitterアカウント「@FAR_OKISHUN」をフォロー。
- 「@FAR_OKISHUN」のつぶやきをRTする。
- 後日、RTした方全員に、「@FAR_OKISHUN」から「この夜にさよなら[kono yoru ni sayonara]」のリミックスバージョンが聴ける試聴URLがTwitterのダイレクトメッセージで届きます。
沖野俊太郎(オキノシュンタロウ)
1967年東京生まれ。学生時代からバンド活動を始め、1988年に小山田圭吾とvelludoを結成する。レコードデビューを果たすも、沖野が渡米したためバンドは解散。その後ロンドンに滞在したのち、1990年にVenus Peterに加入しボーカル兼ギターとして活躍する。1994年にVenus Peterが解散したあとはソロに転向し、2000年よりソロユニットIndianRope名義での活動も展開。ほかのアーティストへの楽曲提供や、アニメのテーマ曲や挿入歌も手がける。2005年に1年限定でVenus Peterを再結成し、2006年9月にアルバム「Crystalized」を発表している。多角的な活動を行う中、2015年11月にソロとしては約15年ぶりとなるアルバム「F-A-R」をリリース。
- okinoshuntaro.com 沖野俊太郎オフィシャルサイト
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- Shuntaro Okino/沖野俊太郎(@okinoshuntaro) | Twitter
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- 沖野俊太郎の記事まとめ
Cornelius(コーネリアス)
小山田圭吾によるソロユニット。1991年のフリッパーズ・ギター解散後、1993年からCornelius名義で音楽活動を開始する。アルバム「THE FIRST QUESTION AWARD」「69/96」は大ヒットを記録し、当時の渋谷系ムーブメントをリードする存在に。1997年の3rdアルバム「FANTASMA」、続く4thアルバム「POINT」は世界21カ国でリリースされ、バンドThe Cornelius Groupを率いてワールドツアーを行うなどグローバルな活動を展開。2006年のアルバム「Sensuous」発売に伴う映像作品集「Sensurround + B-sides」は米国「第51回グラミー賞」最優秀サラウンド・サウンド・アルバム賞にノミネートされた。現在、自身の活動以外にも国内外多数のアーティストとのコラボレーションやリミックス、プロデュースなど幅広いフィールドで活動を続けている。2015年8月には、近年手がけた楽曲を自身のセレクトで厳選収録した編集盤「Constellations Of Music」をリリース。