大橋ちっぽけ|20歳のシンガーソングライターが考える“ポピュラーの在り処”

1998年生まれ、愛媛県松山市出身のシンガーソングライター・大橋ちっぽけがメジャー1stアルバム「ポピュラーの在り処」を完成させた。動画投稿サイトの“歌ってみた”でシンガーとしての活動をスタートさせ、その後、オリジナル曲を制作。2016年に10代限定オーディション「SCHOOL OF LOCK!未確認フェスティバル」で注目を集め、バラエティ番組「水曜夜のエンターテイメントバトル エンタX」内のオーディション企画で優勝するなど、徐々に知名度を上げてきた大橋。先行配信された「テイクイットイージー」を含む本作には、奥深い表現力を備えたボーカル、カラフルなサウンドメイクを含め、シンガーソングライターとしての豊かな才能が明確に示されている。「イメージに捉われず、まずは自分が好きなこと、興味があることをやっていきたい」と語る大橋に、これまでの音楽遍歴、本作「ポピュラーの在り処」の制作などについて語ってもらった。

取材・文 / 森朋之 撮影 / 大畑陽子

きっかけは“歌ってみた”

──まずは大橋さんのこれまでの活動について聞かせてください。音楽に興味を持った入口はどこだったんですか?

大橋ちっぽけ

子供の頃はそれほど音楽を聴いていたわけではなかったんですが、小学校6年のときに、隣の席の気になる女の子がニコニコ動画の“歌ってみた”を教えてくれて、「自分もやってみたい」と思ったのがきっかけです。アマチュアの方の歌が何百万回も再生されていたり、テレビに出ているようなアーティスト以上にSNSの拡散力があったり、ネットの中ではカリスマのような存在になっていて、「こんな世界があるんだ⁉」ってビックリしたんですよね。僕が最初に投稿したのは中学1年のとき。Vocaloid曲のカバーだったんですが、夜に投稿して、次の朝には8件くらいコメントが付いていて。賛否両論だったんですけど、反応があったこと自体に感動しました。その経験が今の活動につながっていると思います。

──どんなボカロPの曲をカバーしていたんですか?

米津玄師さんがハチ名義で発表していた曲や古川本舗さんの曲ですね。その後、清竜人さん、秦基博さんなどのシンガーソングライターの曲もカバーするようになって。ギターの弾き語りを始めたきっかけは、ニコニコ生放送だったんです。弾き語りをしている人を見て、「自分もやってみよう」と思って。オリジナル曲を書き始めたのは、その1、2年後ですね。16歳のときに「sixteen」という曲を完成させたのが最初です。

──歌いたいことはすぐに見つかった?

どうだろう……「sixteen」のサビに「伝えたいこと いまはないよ」という歌詞があるんですが、自分のスタンスみたいなものは、そこに現れているのかなと。今もそうなんですが、誰かに何かを伝えたいとはあまり思ってなくて。自分の中の葛藤や感情を歌詞にすることが多いような気がします。

自分の曲が届いているのがうれしかった

──曲を書き始めた頃から音楽の道に進みたいと思っていたんですか?

漠然と「アーティストとしてやっていきたい」という気持ちはあったと思います。それが確信に変わったのは、高校3年のときに「SCHOOL OF LOCK!未確認フェスティバル」に参加したことですね。「何かが変わるかも」と「面白そうだな」の両方の気持ちで出演したんですが、セミファイナルまで進んで、大阪でたくさんの人の前で歌って。自分の曲がしっかり届いている感覚、受け入れられている感じがあって、それがすごくうれしかったんです。そのときに「これを続けていきたい」と思いました。

──アーティストとしての自分の将来にも可能性を感じていた?

そうですね。根拠はないんですけど、「きっといける」という気持ちはずっとあったので。「未確認フェスティバル」に出て、音楽業界のことを少しずつ知っていく中で不安になることもありましたけど、高校3年のときは楽しいことだけを考えていたというか(笑)、希望に満ちてました。

大橋ちっぽけ

──“大橋ちっぽけ”というアーティスト名については?

中学3年のときにインターネット上で「chippoke」と名乗り始めたのが始まりで。最初はローマ字表記だったんですが、その後、本名の“大橋”とくっ付けて。高校2年のときに、ネットで知り合った方に東京に呼んでもらってライブをやったんですが、そのときも“大橋ちっぽけ”として出演したし、変えるタイミングもなくメジャーデビューに至りました(笑)。アーティスト名としてどうなのかはなんとも言えないんですが(笑)、よくも悪くも自分を表していると思いますね。目立つ名前がいいなと思って付けたところもあるし、実際、名前で興味を持ってくれる方も多いので。一方では謙遜みたいな気持ちも込めていて。大橋ちっぽけとして歌ったり、作品を発表してますけど、本当の僕自身は大した人間ではないと感じているので。一時期は「どうしてこんな名前にしたんだろう?」と思ったこともありましたけど、今はいい感じで付き合えているし、しばらくはこの名前で活動しようと思っています。

今まで以上に自分のやりたいことができた

──では、メジャー1stアルバム「ポピュラーの在り処」について聞かせてください。昨年リリースされたミニアルバム「僕と青」に比べると、音楽性が大きく広がった印象がありますが、大橋さん自身の手応えはどうですか?

今作で初めて挑戦したこともたくさんあったし、今までやってきたことの集大成というより「スタート」「始まり」という感覚が強いですね。前回のミニアルバムや、その前の手売りのCDの頃よりもポップな曲が増えたし、自分でデモ音源を作るようになって、その中で試したこともいろいろあって。今までは”ギターの弾き語りをバンドバージョンにする“という感じだったんですが、今回は曲作りの段階から完成型のアレンジを考えていて。今まで以上に自分のやりたいことができたアルバムだと思います。

──本作からは海外のインディーロックのテイストも感じられます。洋楽は以前から聴いてました?

大橋ちっぽけ

ちゃんと聴くようになったのはわりと最近ですね。きっかけはGalileo Galileiなんですよ。中学の頃はアニメソングとして聴いてたんですが、「ウェンズデイ」(2016年1月リリースのアルバム「Sea and The Darkness」収録曲)という曲を聴いたときに、「自分が知ってる感じとだいぶ違うけど、すごくいいな」と思って。「これはどういう音楽なんだろう?」と気になって調べているうちに、彼らが影響された海外のインディーバンドを聴くようになりました。最近だとTHE 1975が好きですね。今回のアルバムでも、彼らの音の感じに影響を受けた部分があると思います。彼らもインタビューなどで自分たちのルーツをよく紹介していて、そこから古い音楽などにも興味を持つようになりましたね。

──今作は全体的にポップな色合いが増していると思うんですが、そこは意識した?

というより、多面的な自分を見せたいという感じに近い気がします。今までは内向きな曲が多かったし、そのイメージも強いと思うんですけど、好きな音楽も幅広いし、いろいろな面を見せていけたらなと。自分がやりたいことを素直にやったというか、自分の好みに身を任せて作ってるうちに、自然とポップな曲も増えてきて。ただ、内向きなところだったり、パーソナルな葛藤みたいなものも残ってるんですよ。たとえばリード曲の「テイクイットイージー」は、壁にぶつかって悩んでるときに、そのことに向き合うのではなくて、「今の自分はどういう言葉をもらったら立ち直れるだろう?」と別の視点から見て作った曲なんです。メジャーデビューという節目を迎えましたけど、まだ二十歳だし、人間的にもアーティストとしても経験が浅くて、「実力が足りてない」と感じることもあって。そういうときに「君のセンスだけでいいよ」みたいな言葉をもらったらうれしいだろうなと。自分のことだけじゃなくて、「気楽にいけよ」という言葉を待ってる人はたくさんいると思うし、こういう曲を書けたことで成長できたというか、一歩前に進めた感覚があるんですよね。

──個人のシリアスな感情が、より多くの人に届くポップスに結びついているんですね。その感覚は「ポピュラーの在り処」というアルバムのタイトルにも反映されている?

どうだろう……。作った人の思いとか曲に込めたものとは関係なく、聴いた人の記憶や生活と結び付くことで大切な曲になるっていうのが、ポピュラー音楽の一番いい広がり方だと思うんですよね。その人の暮らしや人生に溶け込んで、自然と大切な曲になっていくというか。自分の曲もそうあってほしいなと。

──それが大橋さんにとっての理想のポップスの在り方なんですね。

そうなりますかね。「何かを変えてやりたい!」みたいなことではなくて、曲を聴いてくれた人の生活に新しい風を送り込みたいというか。そうやって自分の感覚が受け入れられたらすごくいいなと思います。

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