大江千里単独インタビュー
あるものだけでどこまで面白いものができるか
──宮藤さんとの対談では1980年代にポップスを作られていた頃のお話で盛り上がりましたが、5作目のアルバム「Boys & Girls」(2018年)では当時の曲をピアノでセルフカバーされていましたね(参照:大江千里デビュー35周年、ピアノでつづるセルフカバー集「Boys & Girls」)。
最初のジャズアルバム「boys mature slow」(2012年)からしばらくは「ジャズはこうあるべき」という思いが強かったんですけど、「Boys & Girls」を作って、音楽は結局一緒じゃないかということに気付いたんです。ジャズクラブで「Rain」や「YOU」を演奏したあと、お客さんがステージに駆け寄ってきて「あの曲はよかった、どうやって作ったんだ」と質問されながら、彼らはポップスだとかジャズだとか関係なく音楽としていいか悪いかで聴いているんだということをひしひしと感じました。それで前作「Hmmm」(2019年)でドラマーのアリ・ホーニグ、ベーシストのマット・クロージーを迎えて、初のピアノトリオ編成でツアーをやろうと思っていた矢先にパンデミックになって。
──昨年5月、大江さんのピアノ曲「Togetherness」が米AP通信の特集「コロナ禍の中作られた40曲」に選定されて話題になりました。
「Togetherness」はもともと前線に赴任中のアメリカ兵士と、離れて暮らす家族が聴くポッドキャストのために書いた曲なんです。せっかくだからYouTubeに残しておこうと思ってアップしたところ、1カ月後に「千里! 見た?」ってスタッフから興奮気味に連絡が来まして。パンデミック中に書かれた世界の40曲の中に、ボン・ジョヴィ、クイーン+アダム・ランバート、グロリア・エステファンといったそうそうたるアーティストが並ぶ中、24番目に選ばれていて。「ああ、自分の部屋からも世界にちゃんと窓は開いてるんだな」って改めて認識できたんです。この時点で次のアルバムは「Togetherness」で締めようというのは自分の中で決まっていました。
──「Letter to N.Y.」はLogic Pro Xを使って、大江さん1人の演奏と録音で完成させたアルバムです。
あるものだけでどこまで面白いものができるかというのが1つのテーマなんです。人を驚かすことは僕が一番得意とするアプローチなので。とりあえず最初に30秒作ってみたのが「Out of Chaos」だったんですけど、途中でパンデミック禍の日々をつづった「マンハッタンに陽はまた昇る」という本を作ったりもして。
Electronic Senri Jazzの始まり
──今作のライナーノーツで大江さんは「70年代、80年代、90年代の大切な過去をこれから始まる未来へ運ぶための、僕が挑戦する『Electronic Senri Jazz』の始まりだ」と書かれています。
昨年12月、「Newsweek」日本版の「ジョン・レノン『ビートルズ後』の音色」という特集で僕が分析して解説をする企画のために、The Beatlesやジョンの曲を1カ月半ぐらい聴き込んだんです。いろんなことにトライした彼らと、パンデミックで試行錯誤している自分を重ね合わせながら。みんなが家にこもっているときだからこそ世界が口ずさむようなものが作れたら面白いなと思って。自分としてはポップを作っている意識はあまりないんだけど、スティーヴィー・ワンダーやジョン・レノンの曲はジャズでもたくさんカバーされているスタンダードだし、パンデミックで疲れた体に染み込むような、みんなが口ずさめるスタンダード・ジャズを作ろうと思ったんです。1970年代のマイルス・デイヴィス、1980年代のジャコ・パストリアス、1990年代のインコグニートに想像の中で会いに行きながら。
──今年の2月から作り始めて、完成までのスピード感もジャズそのものですね。
グラミー賞のノミネート対象が7月いっぱいまでにアメリカでリリースされたアルバムだから、PRも含めたスケジュールを考えると5月の頭には完成させなきゃいけない。だから4月中は24時間体制で作ってました。僕の仮ミックスを東京のスタジオに送って、エンジニアの方も時間のない中で1週間近くやりとりしながら完成させてくれたんです。パンデミックは僕たちを本気にさせたし、「これだけは完成させてやるぞ」という意地みたいなものが生まれました。
──本作を通じて大江さん自身が得たものも大きかったんじゃないでしょうか。
何がジャズで、何がポップスか、自分の中のボーダーが完全になくなりましたね。「これを聴いた人が理屈抜きに鼻歌を歌ってくれればいい。それが着地点だ」って。「サンプリングを躊躇するな。繰り返しを恐れず行け」って。それまでは「コピペしたらあとから足したコードが奏法的にはありえないからギルティ」と思っていたんだけど、聞こえがよければ自分の中で全部ありになったんです。ヒップホップ以降のQ-Tipやロバート・グラスパーなら当たり前にやっていることなのに、どこか頭が硬い部分があって(笑)。
キャッチーなことに躊躇している場合じゃない
──タイトルが「Letter from N.Y.」ではなく「Letter to N.Y.」なのはどうしてですか?
アレン・ギンズバーグやドロシー・パーカーといった詩人たちがニューヨークについて書いた詩をたくさん集めた「Poems of New York」という僕の大好きな本があるんです。書いた曲をプロデューサーに送るときに“M1”とか“M2”じゃ味気ないから、何か仮タイトルあったほうがいいと思って、その本を見ながら、「Pedestrian(=歩行者)っていいじゃん」みたいな感じでタイトルを付けていって。その中に「Letter to N.Y.」という一節があったんです。今回の制作を通じて、還暦を迎えた僕がもう1回この街に惚れ直すラブレターを書くというコンセプトはいいなあと思って。「The Street to the Establishment」は街中で聞こえてくる音を思いながら書いたし、「Love」も窓越しに見えるこの街の景色からエネルギーをもらったし。
──まさにジャケットのイラスト通りの制作風景だったんですね。
水川雅也さんという若くてとても才能あるイラストレーターにアートワークをお願いしたところ、これ以外にも、部屋の外から見ているバージョンなど3枚ぐらい描いてくれたんです。しかも資料として渡した数枚の写真から、恐ろしいくらい僕の生活風景を再現してくれていて。愛犬のぴーちゃんはもちろん、制作時によく飲んでいたワインや飾ってあった花など、僕のこだわりポイントを全部キャッチして、しかもうまくアレンジして描いてあったからびっくりしました。日本盤とアメリカ盤は日の当たり方で色が違うところもポイントです。
──予期せぬ状況下ではありましたが、素晴らしい作品に仕上がりましたね。
これで“Electronic Senri Jazz”の路線は決まったな、って感じですね(笑)。僕の通った学校は先輩にブラッド・メルドー、グラスパー、ホセ・ジェイムズ、同期にチリの歌姫カミラ・メサ、ジャズメイア・ホーンといった才能ある人たちばかりで、「自分は彼らのようにうまくできない。どうすれば競争の激しいニューヨークで生き残れるだろう」と悩んでいたんです。でも3枚目の「Collective Scribble」(2015年)を作ったとき、ヤシーン・ボラレス(Sax)に「千里は面白い曲を書くんだから、千里自身のジャズをやればいい」って言われて。今回のアルバムを作ってその言葉をふと思い出しました。ここまでやってきてようやく自分にしかできないこと、自分がやってこそ初めて人が幸せになることがなんなのか見えてきた感じです。「キャッチーなことに躊躇している場合じゃないぞ。そういう自分が大好きだったろ?」って(笑)。いやあ、また音楽を作ることが楽しくなってきました!