西田あい|愛してやまない歌謡曲の新しい形

西田あいがニューシングル「幸せ日記」をリリースした。

歌謡曲を愛し、その魅力を世に広めるために活動してきた西田あい。昨年7月でデビュー10周年を迎えたことを機に、より自由に歌謡曲の世界を表現しようと、彼女は新たな一歩を踏み出す。その嚆矢となる本作の表題曲「幸せ日記」は、作曲にSoulJa、編曲にYANAGIMANを迎え、西田自らが作詞に初挑戦した意欲作。彼女が提示する革新的な歌謡曲の形は、これまでそこに触れてこなかった幅広い層にもきっと響くことになるはずだ。

音楽ナタリー初登場となる今回のインタビューでは、悲喜こもごもあったという10年の歩みを振り返ってもらいつつ、渾身の新作についてじっくりと話を聞いた。

取材・文 / もりひでゆき 撮影 / 星野耕作

たくさんの入り口から長いお付き合いを

──西田さんはSNSをはじめとするネットメディアを駆使してご自身を積極的に発信されていますね。

西田あい

はい。もう手当たり次第に(笑)。どれも中途半端にならないようにはしているので、時間的な部分でけっこう大変なんですけどね。ただ、数年前からメディアごとに発信する内容のルール決めをしたんですよ。例えばTwitterは完全に歌手としての告知ベースにする、逆にInstagramでは告知や仕事の話題を一切なくし、30代女子のファッションや美容にまつわることを等身大で発信しよう、とか。ほかにもYouTubeは今までどこで出していいかわからなかった私のパーソナルな部分を見せる場所にして、ずっと続けているブログでは各媒体では書き切れない思いを書こう、みたいに。そうやって自分のいろんな側面を吐き出す場所を整理整頓できたことで、それぞれの更新が苦ではなくなったし、活動自体もやりやすくなった気がしますね。

──入り口がそれだけたくさんあれば、ファン層も幅広いものになりそうですよね。

そうですね。YouTubeやInstagramには10代から自分と同世代くらいまでの女の子ファンがたくさん付いてくれています。YouTubeではASMRの動画を上げることも多いので、音フェチな子たちが私の声に興味を持ってくれて、そこから曲を聴いてくれたりという流れにもつながっているんですよ。一方、Twitterやブログのようにお仕事のことを積極的に発信しているところには、歌手・西田あいを応援してくれている人たちが存在しています。

──さまざまなきっかけでつながった人たちが最終的に歌手・西田あいのファンになってくれることを目標にしている感じですか?

それが一番の希望ではありますけど、例えば私に10個の顔があるとしたら、その全部を好きになってほしいとは思っていないというか。その中の1個でも引っかかってくれて、そこから長いお付き合いができればいいなという思いのほうが強いかもしれないです。だからこそ、そのきっかけをたくさん作っていたいんだと思います。

──歌謡曲の世界をもっと世間に浸透させたいという思いはどうですか?

それはデビューした当時からずっと抱いている願いですね。私は20歳前後で歌謡曲の世界にハマったんですけど、当時の私の周りには歌謡曲のことを知ってる同世代がほとんどいなかったんですよ。「こんなにいい曲がいっぱいあるのに、なんで誰も知らないの!?」みたいな。だから活動を始めた当初は歌謡曲のよさをみんなにもっと知ってもらうためにグラビアの仕事をしたり、テレビのバラエティ番組に出たりして橋渡しをしようとがんばっていたこともありました。でも今の若い子たちはSNSが身近にあって情報収集能力も鋭いですし、昭和の文化がレトロでかわいいみたいな感覚を持っていたりもするので、そこまで意識しなくてもいいのかなと思うようになりました。自分のできること、やるべきことをやっていれば、自然と間口が広がって、伝わるべきところにちゃんと伝わっていくんじゃないかなって。そういう時代になったような気がするんです。実際、最近のライブにはネットで私のことを知ってくれた若いファンの方がたくさん遊びにきてくれていますから。昔から応援してくれているファンの方と新しいファンの方がいい具合に混ざり合っている今の状況を見ると、10年前に思い描いていたところにちゃんと近付いている実感はありますね。

ここからがやっと勝負!

西田あい

──昨年7月にデビュー10周年を迎えた西田さんですが、振り返るとその歩みはどんなものでしたか?

今思うと……めちゃくちゃ苦労しました(笑)。デビュー当時は演歌・歌謡曲の王道とも言えるレールの上を走らせてもらっていて、だからこそ見ることのできた景色もたくさんあったんですけど、どこかで操り人形のようだった感覚もあって。要は与えられた楽曲を、それにあった西田あいを演じながら歌っているから、自分の前に1、2枚フィルターがかかった状態だったんですよね。そりゃちゃんと届かないよなっていう(笑)。届いたとて、それは本当の私じゃないしっていう思いもありました。

──好きと言われても素直に喜べないというか。

そうそう。「あいちゃんってこういう人だよね」ってファンの方が思い描いている西田あい像は、あくまでもレコード会社の人たちに作られたものであって、そこに本当の私はいないっていう。その状況がだんだん重くなってきて、何度か辞めようと思ったこともありましたね。私が本当にやりたかった歌謡曲はこんな形じゃなかったはずなのにって。

──そこをどう乗り越えていったんですか?

なんだかんだ仕事が途切れなかったから辞められなかったというのと(笑)、あとは「いつかやりたいことをやって爆発しようぜ!」って私の味方になってくれるスタッフの方たちがいたことが踏んばれた理由だと思います。それで、ついに去年くらいからは制作のチームがガラッと変わり、レコード会社内でも演歌・歌謡曲班からポップス班に移籍したことで、いろんな新しいことにも挑戦していけるようになったんです。

──理想の環境下でやりたいことを思いきりやれるようになったと。

はい。でもそうなったのはここ最近のことなので、西田あいとして10年やってきた自覚があるような、ないような感じではありますけど(笑)、たくさんの勉強をさせてもらってきたのは間違いないので、これまでは大切な修業期間だったと思っています。そのうえで今は、「ここからがやっと勝負だな!」という気持ちですね。やりたいことをやるからには、その分自分の責任も増えるわけですけど、それすらも楽しみでしかないです。

純烈・酒井一圭の後押し「自分で歌詞書くべきやで!」

──新曲「幸せ日記」は作詞を西田さんご自身が初めて手がけられています。作曲にSoulJaさん、アレンジにYANAGIMANさんを迎えたサウンドも含め、まさに新たな、大きな一歩を感じさせる仕上がりです。制作はどんな流れで進んだんですか?

去年の夏にポップス班へ移籍したタイミングで曲作りをスタートさせました。まだコロナ禍でもあったので、一緒に制作しやすい身近な方ということで同じ事務所のSoulJaさんにまず曲を作っていただいたんですよね。私のことをよくわかってくれる方でもあったので。

──19年にリリースされたカバーアルバム「アイランド・ソングス ~私の好きな愛の唄~」にも、SoulJaさんはアレンジャーとして参加されていましたよね。

西田あい

そうですね。あのときはカバーだったのでアレンジに関してもいろいろ制限があったんです。でも今回は何の制限もないので、思いきりSoulJaワールドを西田あいにぶつけてくださいとお願いしました。で、すぐに3曲作っていただいて、それをヒアリングしながらスタッフとミーティングをしていたところ、同じ事務所の純烈のリーダー(酒井一圭)がたまたまやってきたのでその3曲を聴いてもらったんです。そうしたら、「どれもいいんやけど、お互いにこれまでやってきたことから脱しきれていないんじゃない?」って言われたんです。私は私で誰かに書いてもらった曲を歌うというのはこれまでもやってきたことだし、SoulJaさんに関してもフィーチャリングアーティストとして楽曲提供するだけでは今までと変わらないのではないかと。

──そこで作詞に挑戦することになったわけですか。

そうなんです。「あいちゃんが次のステップに行くためには、自分で歌詞書くべきやで!」と言われて。その案を一度持ち帰り、後日ミーティングでそれをスタッフに伝えたら満場一致で「やろう!」ということになったんです。そこから曲についてもまたゼロから作ってもらっていった感じですね。最初にもらった3曲は一旦置いておいて。

──作詞作業はいかがでしたか?

私は日々あったことをメモする癖があるので、今回はその中の言葉たちをスタッフさんたちと一緒にピックアップして歌詞にしていく流れで作ったんですよ。ワードパズルみたいな感じで当てはめながら、1つの世界観を作っていくという。さらにSoulJaさんは歌詞とメロディが一緒に降りてくるタイプなので、彼が書いた歌詞も含めて、全体を作っていった感じでしたね。