ニノミヤユイ|新しい私を見せる、“陰×ロック”の世界

諦めてしまった人の歌

──2曲目の「サイセンタン・コンフュージョン」の作詞・作曲はDECO*27さんです。先ほど「最初にハマった音楽はボカロ」とおっしゃいましたが、それはニノミヤさんの音楽的ルーツという意味ですか?

そうですね。私の家でかかっていた音楽は、吹奏楽かクラシックかサザンオールスターズさんだけだったんですよ。なのであまりロックに触れてこなかったんですけど、小学生のときにボカロと出会ってしまい。堂々と何かに刃向かったり、「これは嫌いだ」みたいなことを歌ったりしているのがすごく新鮮で。特にボカロPの方々って、自分の劣等感とかモヤモヤを言葉にしてくださる方が多いじゃないですか。DECO*27さんもそれがお上手で、なおかつカッコいいロックサウンドに乗せて曲にしていたので、当時から今に至るまで3本指に入るぐらい好きなボカロPさんなんです。もう、DECO*27さんを聴いていたから今の私があるというか、DECO*27さんの音楽が私の人格形成に関わっていると言っても過言ではないかもしれません。

ニノミヤユイ

──「サイセンタン・コンフュージョン」の歌詞は、今おっしゃった“劣等感”がテーマになっていると思いますが、打ち合わせでもそういうお話をDECO*27さんとされたんですか?

はい。実は今回は、ミオヤマザキさんの「痛人間讃歌」と自分で作詞した「Indelible」以外の曲に関しては、各作家さんとの打ち合わせのあとに私が歌詞の叩き台になる文章を書いてお送りしたんです。なので「サイセンタン・コンフュージョン」も、私が言いたかったことをDECO*27さんの言葉で歌詞に落とし込んでくださって。なおかつ「主人公にはなりたいけれど」とか、私が書いた言葉をそのまま生かしてくださったところもあるので、DECO*27さんの曲だけど私の曲みたいな、ちょっと不思議な感覚がありました。

──先の「痛人間讃歌」は「苦しいまま歌うしかない」とおっしゃったように切迫したものを感じました。それと比べると「サイセンタン・コンフュージョン」はフラットに歌われているというか、気だるさみたいなものを感じます。

「サイセンタン・コンフュージョン」のレコーディングでは、DECO*27さんご自身が細かく、丁寧にディレクションしてくださって。なのでDECO*27さんの世界を私がボーカルで表現するみたいな感じだったんですけど、やっぱりボカロのサウンド感が強い曲ですし、私としてもあんまりがっつり感情を乗せすぎると余計なものを足しちゃうような気がしていたんです。歌詞にしても、自分で自分に呆れているというか、劣等感も含めて自分の中で渦巻いているものはあるけれど、それはもう仕方ないと諦めてしまった人の歌だなと思ったので、ボーカルも抑え気味に、淡々と。その怠惰な感じ、いろいろ疲れちゃった感じを1つの表現として成立させたいと思いながら歌ったので、今おっしゃってくださった「気だるさ」という感想はとてもうれしいです。

蜂屋ななしの“遺作”

──3曲目の「No attention」は同じくボカロPの蜂屋ななしさんの作詞・作曲・編曲ですが、蜂屋さんは去る8月に活動終了を宣言しているんですよね。

そうなんですよ。曲をお願いしたときは私もスタッフさんもそのことを知らされていなくて、本当に驚きました。しかも蜂屋さんが活動終了宣言に伴ってアップした動画の中で「僕は活動をやめるけど、今後、提供した楽曲が遺作として発表されます」とおっしゃっていたんですけど、「No attention」がその遺作の1つになってしまったという事実があまりにも重大すぎて。でも、この曲もやっぱり蜂屋さんのサウンド感が色濃く出ているので、きっと今までのニノミヤユイとは違った雰囲気になるだろうという期待もすごく大きかったです。

──ジャジーで、洒落ていますよね。

そう、すごくお洒落なんです。歌詞にしても、私の中で蜂屋さんは、生活に根ざした違和感や歪さみたいなものを言葉にする方というイメージがあって。なので蜂屋さんにお送りした歌詞の原案にもそれを感じるようなワードをちりばめていたんですけど、できあがった「No attention」の歌詞は私のボキャブラリーを蜂屋さんのセンスで文章化してもらったようで、それがすごく新鮮だったし「なるほど、こう表現すればいいのか」と思いました。

──例えば「孤独に酔い切った『痛がり屋』」とか、なかなか嫌なフレーズですよね。いい意味で言うんですけど。

ニノミヤユイ

嫌ですよね(笑)。孤独だったりとか、苦しい状況から抜け出したいと思っているけど、結局そこから抜け出すのも怖いし……みたいな。そういうところが自分にはあるし、それを「痛がり屋」という言葉で表現する蜂屋さん、すごいなって。言葉で説明するのが難しいんですけど、蜂屋さんの歌詞は本当に独特で、それが「No attention」でも存分に発揮されているんですよ。

──「No attention」のボーカルは、投げやりと言っては言葉が悪いかもしれませんが、ラフに歌われていますよね。

うんうん。実は「No attention」のボーカルが一番苦戦したんですよ。単純に難しいし、その中で自分の表現したいことがなかなか表現できなくて、試行錯誤してるうちに泣き出すみたいな(笑)。なのでけっこうつらかったんですけど、やっぱりこの曲もボカロPさんが作っているから、あんまり熱く歌う曲ではないなと。そういう意味ではDECO*27さんの「サイセンタン・コンフュージョン」に近いテンションで、一歩引いたところから歌うように意識したんですけど、サビで「『どうでもいいわ』もう何もかも」とあるように、自暴自棄な感じが歌い方に出たのかもしれませんね。

──試行錯誤の中で、自分の歌いたいように歌えたという手応えを感じた瞬間などはあったんですか?

いや、この曲に関してはなかったですね。完成したのを聴いてようやく「あ、意外と歌えてたな」と思ったんですけど、レコーディング中は「どうしよう? こんなんじゃ、この曲のよさをボーカルで引き出せない!」とずっともがいていました。

──では、蜂屋さんの“遺作”としての手応えは?

それはあまりにも重大すぎるので考えないようにしているんですけど、ボーカリストとして全力を尽くしたのは事実ですし、最終的には私なりに蜂屋さんの曲のよさを引き出せたと感じてます。なので、私を応援してくださっている方はもちろん、蜂屋さんのファンの皆さんにも聴いていただけたらうれしいです。

私と、私を応援してくれる皆さんとの曲

──先ほど少しお話に出た4曲目の「Indelible」は、ニノミヤさん作詞、アッシュ井上さん作曲・編曲のロックバラードです。

「Indelible」は、初めてコンペで選ばせてもらった楽曲なんです。ほかの4曲がアップテンポな曲になることがわかっていたので、もう1曲はミディアムバラードみたいな曲を作ろうという話をスタッフさんとも話していて。そういう曲調も含めて私がこの曲に求めるイメージを書き出して各作家さんにお送りして、全部で70曲ぐらい聴かせていただいたんですけど、ほとんど即決だったというか、第一印象で「一番いいな」と思った曲に決まりました。

──奇をてらわないというか、シンプルにいい曲ですよね。

ニノミヤユイ

そう。すごくまっすぐな曲なので、私も作詞をするときに変にこねくり回さないほうがいいと思って。今、自分が考えていることを素直に書いていきました。

──歌詞の1番では「僕」が「怖くなって 動けない」状況にありますが、2番から「君」という他者が加わり、「もう僕らは怖がらない!」「また ここで始めよう 僕らで」と一人称複数で困難に向き合う感じになっています。

この歌詞は、コロナ禍という状況だから書けた歌詞でもあります。やっぱり人とのつながりというものが一時期ちょっと薄れてしまったじゃないですか。なので「Indelible」は私と、私を応援してくれる皆さんとの曲にしたくて、はっきり「君」という他者を登場させたんです。もし皆さんの前でワンマンライブができたとしたら、そこで歌いたいと思いながら。

──今までのニノミヤさんの歌詞と比べると、だいぶ前向きですよね。

そうですね。今の状況を乗り越えられたら、ファンの皆さんとは共に戦い抜いた仲間みたいな気持ちを共有できるんじゃないかって。私としても、人とのつながりが薄れたからこそ、その重要性がわかったというか、1人じゃ生きられないというのをすごく感じた時期でもあったので。仮にファンの方じゃなくても、例えば友達と会えない時期が続いて、1人ぼっちで寂しい思いをしている人はたくさんいるはずなので、そういう人たちにちょっとでも「大丈夫かも」と思っていただけたらいいなって。

──「Indelible」の歌詞には「僕の存在に意味はあるのかな」というフレーズもありますが、これが先の「痛人間讃歌」の「お前なんの為に生きてんの?」と対になってるようで。

やっぱり自分の存在意義とか生きる意味って、1人じゃ見つけられないような気もしていて。だからこそ他者に届ける歌の歌詞に書くことで消化される部分があるかもしれないと思って……結局「意味はあるのかな」で止まっているので別に解決してはいないんですけど(笑)。