「マイネームイズラヴソング」での矛盾
──振り返ってみれば前作の「マイネームイズラヴソング」もシニシズム的な視点はあったと思うんです。
前作「マイネームイズラヴソング」は、「新しい自分を打ち出した」という意味では合格ラインの作品なんですけど、コンセプトとしては矛盾を残してしまったとあとになって感じたんです。「新しい自分」を探し続ける代償として、過去の自分を否定してしまっているというとんでもない過ちに気付いて。
──それはどういうことですか?
例えば1stアルバム「世界征服」は完全にギターロックに寄った作風でした。ですが、2ndアルバムではそれまでのNeruとしての軌跡を無視した全く別の自分を作り上げることで、いい子を演じすぎていた。1stを経て僕が得られた感傷のすべてが2ndでは無かったことにされていたんです。新しい道を切り開いたところで、自分という糧の山の上に立てていないとなんの価値もないってことが、ここ2年ぐらいでようやくわかってきた。だから2ndアルバムと3rdアルバムの圧倒的な違いは、今作では1stのときの自分も2ndのときの自分もちゃんと肯定して、“一緒に旅をした仲間”として引き入れた上で、サウンドや歌に反映しようと意識的に取り組んで曲を作ったところです。
──例えばそれがわかりやすく出てる曲は?
2曲目の「SNOBBISM」は、リズム的に言えば完全にダンスミュージックの文脈なんですけど、あえてバンドアンサンブルでバッキングを構成することで小綺麗にまとめすぎず過去の自分の轍を残しています。そうは言ってもそのようなポリシーに目がくらんで、干渉している要素を台無しにしては意味がないので、それでもってなおちゃんとメロディが引き立っていないとダメだと考えて。整合性が取れるアレンジになるようにすごく気を付けて構成を考えました。こういうことは2ndの頃の自分にはできなかった試みだと思います。
整合性の取れない言葉を、音楽という接着剤で付ける
──アルバム収録曲の中でも「い~やい~やい~や」と「脱法ロック」は動画共有サイトでも話題を集めた曲ですよね。この2曲はどちらもやる気のない自分を全肯定するような歌詞という共通項があります。
「い~やい~やい~や」を作っている段階ではもうアルバムの方向性が完全に見えていたので、自分の中でシニシズムっぽい方向性を意識しながら歌詞を書いているんですけど、それよりもずっと前に発表した「脱法ロック」では、まだアルバムだとか明確なビジョンを全然考えてなくて。次をどういう方向に舵きりするか試行錯誤していた時期なんです。でも「脱法ロック」の歌詞って不思議と今作のコンセプトに自然と馴染んでいる。「脱法ロック」を作ってから時間が経っているから言えることかもしれないんですけど、この曲が書けたことで次の糸口が見えたと言うか、この曲があったからこそ「シニシズム」というコンセプトを導き出せたんだろうなって今となっては思っています。僕、曲を作ってるときはけっこう余裕がないので、自分の曲が客観視できない時期がしばらく続くんです。「脱法ロック」についても時間が経ってから曲の役割に気付いたくらいで。
──「病名は愛だった」は、サウンド的にも歌詞的にもアルバムの中でも核になってる曲かなと感じました。
ちょうど「病名は愛だった」を作っているときに自分の過去を否定してたという、2ndアルバムでの過ちに気付きはじめたんです。この曲はフューチャーベースというジャンルを核にしているんですけど、それをそのまま作るのでは僕がやる意味がないと思ったので、本来ならシンセを入れる隙間に自分のポップアイコンであるギターロックの要素を入れたらどうなるのか試したんです。それがハマったとき「今自分がやるべきことはこういうことなんだ」ということに気付いて。そういう意味で「病名は愛だった」はマイルストーン的な曲ですね。
──「病名は愛だった」は、「愛」という言葉や概念に異を唱えるような、本来の意味でのシニシズム観がある曲ですよね。
ラブソングの表現の仕方はいろいろあると思うんですけど、僕は昔からラブソングという大義名分のもとに退廃的なテーマを描いてみたいと思ってて。これはおそらく言葉では伝わらない感覚なんですけど、NINTENDO64って昔ゲーム機があったじゃないですか。当時はローポリゴンが主流だったから、ソフトによっては背景が無限に続いてる感じの画面があるんです。その無限に続いてる感じが、なんか怖いし悲しいんだけどそれが心地いいみたいな感覚があって(笑)。
──わかるようなわからないような……。
それを音楽で表現したいという気持ちが昔からあって、その無限に続くポリゴンの背景を意識しながら書いた曲です(笑)。正論を言うと愛は病気ではないじゃないですか。でも「愛は病気」っていう整合性の取れない言葉を、音楽という接着剤で付けるとどうなるか。それをカタルシス的な角度から無限遠点に投げ込んでみた曲が「病名は愛だった」なんです。
ボカロPはVocaloidそのものと似てる存在
──「それでも僕は歌わなくちゃ」のように、シニシズムとは反対のことを歌った曲も収録されています。
Vocaloidって歌うためのソフトウェアなので、すごく冷めた言い方をすると、歌うこと以外に存在価値が期待されていなかった。一方でNeruという存在を俯瞰してみたときに、僕にも現実世界では実生活があって、音楽がすべてではないのだから、Neruという人格は曲を作ってないとインターネットに存在してる意味はないと思ってて。そういう意味で、ボカロPはVocaloidそのものと“ニアリーイコールの存在”だし、この冷たい相互関係を曲にできないかなと思って作ったのが「それでも僕は歌わなくちゃ」です。
──Neruさんは鏡音リン・レンを使うイメージが強いですけど、この曲で初音ミクを選んだのは?
ぶっちゃけこれをリン・レンに差し替えるのは簡単だし、アルバム全体をリン・レンでそろえることもできたんですけど、この曲のコンセプトを考えたときに初音ミクはVocaloidのポップアイコンなので、ミクでないボカロを使ったらメッセージ性がブレると思ったんです。アルバムが多少とっ散らかってしまったとしてもこの曲はミクであることでこのアルバムにいる意味があるなと思って。
──ちなみにNeruさんがリン・レンをよく使う理由は?
そこは直感的なことなんですけど、僕はVocaloidに歌わせるならクニャッとした声にしたいというイメージがあって。僕のイメージと一番近かったのがたまたまリン・レンで、回数を重ねていくうちに、メロディを作るときにリン・レン以外のVocaloidで歌わせるイメージが浮かばなくなっちゃったんですよね。たぶんボカロPにとって一番テンションが上がる瞬間って、シンセメロが歌詞に差し変わるときだと思うんです。それをイメージと合ってないVocaloidに歌わせたら、きっとテンションが上がらないだろうなって怖さがあって。
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音楽でこの言葉を選べた意味
- Neru「CYNICISM」
- 2018年3月28日発売 / NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
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初回限定盤 [CD2枚組+DVD]
3240円 / GNCL-1277 -
通常盤 [CD]
2160円 / GNCL-1278
- DISC 1 CD収録曲
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- CYNICISM is(instrumental)
- SNOBBISM(feat. z'5)
- い~やい~やい~や(feat. z'5)
- くたばろうぜ
- 敗者のマーチ
- 脱法ロック
- 失踪チューン
- それでも僕は歌わなくちゃ
- この劣等感を救ってくれ
- ニヒルと水没都市(feat. z'5)
- 捨て子のステラ(feat. z'5)
- ねえ、レイン(feat. z'5)
- なんて物騒な時代だ
- 病名は愛だった(feat. z'5)
- DISC 2 CD収録曲(初回限定盤のみ)
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- 病名は愛だった(Neru Remix)
- い~やい~やい~や(Neru Remix)
- SNOBBISM(Neru Remix)
- 初回限定盤DVD収録内容
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- 脱法ロック
- 捨て子のステラ
- 病名は愛だった
- い~やい~やい~や
- くたばろうぜ
- Neru(ネル)
- ボーカロイドプロデューサー。2009年に作曲活動を開始し、2011年、18歳のときにニコニコ動画に投稿した「アブストラクト・ナンセンス」「東京テディベア」が瞬く間に人気を集める。主に鏡音リン・レンを用いて楽曲制作をしており、「ロストワンの号哭」「命のユースティティア」など100万回以上の再生数を誇る楽曲を多数投稿。2013年3月には初の全国流通アルバム「世界征服」を、2015年9月にはNBCユニバーサルエンターテイメントからフルアルバム「マイネームイズラヴソング」をリリースした。2018年3月、「脱法ロック」「病名は愛だった」といった人気曲を収録したフルアルバム「CYNICISM」をリリースする。