Neruが3rdアルバム「CYNICISM」を3月28日にリリースする。
Neruがアルバムを発表するのは2015年9月の「マイネームイズラヴソング」以来、2年半ぶり。今作には「脱法ロック」「い~やい~やい~や」「病名は愛だった」といった動画共有サイトで多数の再生数を誇る人気曲を中心に計14曲が収録されている。Neruは何を考えて「冷笑主義」を意味するアルバムを生み出したのか。本人に話を聞いた。
取材・文 / 北野創
表現者としてのけじめ
──アルバムとしては前作「マイネームイズラヴソング」から2年半ぶりの新作になりますが、その間でご自身の環境に変化はありましたか?
個人的にボカロシーンの変化で思うことがあって、それによる音楽性の変化はあるかもしれませんね。もう何年も前から議論されてますけど「バブルが弾けた」みたいに言われることが多くなって、そのうえでハチさんの「砂の惑星」が注目を浴びて。あの曲が台風の目となったことで、Vocaloidクリエイター全員が、シーンの現状について向き合わなければならない状況を必然的に生み出したんだと思います。数多くのクリエイターが自身の考えを言葉や作品で発表していく中で、僕はしっかりと言葉で意見することができなかった。しかし僕もこの世界で活動している一員として、ちゃんと形に残る向き合い方をするのがけじめだと感じていて。アルバムであればそれをコンセプチュアルに表現できるので、3rdアルバムを出すことにしたんです。
──「ボカロブームは過ぎ去った」といった意見について、Neruさん個人としてはどのように感じてるのでしょうか?
これは作り手側の意見になるんですけど、以前よりも流動的になったと言うか、むしろ今はより面白くなってると思うんですよ。昔がそうでなかったわけではありませんが、以前よりも新しいクリエイターが活躍できる場になってるというのを、ここ2年ぐらいで特に感じています。若いのに努力の量が狂気じみてる作家さんなどが注目を浴びやすくなってる気がします。
──シーンの状況を踏まえて、今回のアルバムはどんなコンセプトを持って作られたのですか?
Neruというインターネット上のアティテュードもありますけど、シーンと向き合う意味でのコンセプトは主に音楽性で表現しました。仮説として統計的にシーンが落ち込んでしまっているとするならば、一つの要因は聴き手側がほかのコンテンツに自然と流れてしまうほどメインストリームが食傷気味に感じられるからだと、僕は感じています。そこでコンセプトとして意識したのが「公共性のある新しい自分」というテーマ。要は新しい分子を打ち出す必要があると思ったんです。自分で言うと手前味噌になってしまいますが、これまで7年ほど活動してきて僕の動向をそれなりの頻度で追いかけてくださる方も増えている実感があるんです。そういう立場に身を投じているわけですから、意欲的に自分の役目を見出して義務を果たすことが今の自分の課題だと考えています。
──シーンに対してすごく真面目に向き合っているんですね。
真面目に向き合えているかはわからないですけど、僕としては7年間お世話になってるシーンであるわけだし、どこからかふっと現れた人に「オワコン」だと一瞥もせず簡単に値踏みされるような事が悔しいんです。ここ最近は新しいクリエイターが多くの人からも注目されつつある転換期であるように感じていて、そんな中で自分がどこまで、どのような影響を与えられるかわからないですけど、悪あがきでもいいから何かいい傷跡を残せたらいいなと思っています。
思慮深い大人でさえ足を滑らせる2018年の生き方
──「CYNICISM」では打ち込みの要素が多く入っていて、ギターロック中心だった前作までとはずいぶん変わった印象を持ちました。
自分のスタイルに保守的になるということは、曲作りがルーチンワーク化してしまって音楽的な成長も見込めないですし、シーン全体で考えても流行が停滞してしまって長期的な未来が切り開けないと考えているんです。それは一時的な快楽があったとしても、長い目で見たときにみんなが不幸になってしまう結末を迎えてしまう。シーンに様々なポリシーが存在することこそが一番の健全な状態だと考えていますが、その中でも僕は保守的にならないように意識しています。
──打ち込み要素の強い楽曲では「z'5」という名義が使われてますが、これは?
これは僕の別名義で、新しいアイデアを楽曲面で持ち込むときは「z'5」名義にすることが多いですね。海外の音楽シーンなどで名義を使い分けている人を見かけるんですけど、名前を変えるということは姿を変えるということでもあって、自分のマインドが切り替わるし、作曲するときのモチベーションも変わるんです。聴く側にも作品のテイストを暗に伝えることができるからデメリットは特にないなと思って。
──アルバムタイトルの「CYNICISM」は冷笑主義を意味する言葉ですよね。この言葉にはどんな意味を込めたんでしょうか?
これには音楽性の部分とアティテュード的な部分の2つを持たせています。音楽性で言うと一辺倒になりがちな惰性から脱して、より俯瞰的な角度から物事を見ていたいということ。アティテュード的な部分では、最近SNSなどを見ていて「公共性や表現の自由という大義名分の中で、個人の主義主張はどこまで許されるのか」ということに関してよく考えるんです。例えば「好き嫌い」と「いい悪い」は別々の尺度で意味も変わりますけど、その2つの問題を混同して議論してる人ってめちゃくちゃ多いじゃないですか。
──SNSでは確かにそういう傾向があると思います。
僕はその原因を、時代が人知の歩幅を超えて進化し過ぎたせいなのかなって思っているんです。モラルとかエチケットで防げるレベルで済まないくらい文明が一人歩きしてしまって、僕らは“これまでに見たこともないような魔物と共生しよう”としている。そんな2018年の正しい生き方を考えたとき、それはあてのない道を歩き続けるようなもので、思慮深い大人でさえ足を滑らせてしまうような事故が絶えないんじゃないかと思っていて。僕はこういう時代で答えを求められることに関してもう狼狽しきってしまっているし、そんな疲れ切った個人が何を言ったところでそれは始めから存在しないようなもので、だったら遠目で見てるぐらいしか今の自分を救える方法が見出せないと白けてしまった。この悪寒のようなものを表す言葉としてハマったのが「CYNICISM」だったんです。
──そうは言いつつ、Neruさんはシーンのことを考えて楽曲を制作する意欲はあるわけですよね。その原動力はどこから生まれるのでしょうか?
時代に対して思うことはあるし変えたいとも思ってるんですけど、それを大っぴらにすれば出る杭が打たれてしまう。それが2018年じゃないですか。ただ声に出さずこっそり音楽で表現すれば正当化されると言うか、問題が表面化しない形であれば特定の誰かを安易に否定してしまうこともないし、また同じく自分も頭ごなしに否定されることはない。そもそも音楽自体が言葉と違って視覚化されない抽象的な表現方法なので、自分の感情を満たしつつ誰とも争わないで済むかなと思って。それに関しては僕はもうそういった諍いに辟易しきっているというか。主義主張はあれど2018年ってこういう時代だから、自分の中で模索した結果の現代の生き方が、Neruっていう僕の逃げ道なんだと思います。
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「マイネームイズラヴソング」での矛盾
- Neru「CYNICISM」
- 2018年3月28日発売 / NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
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初回限定盤 [CD2枚組+DVD]
3240円 / GNCL-1277 -
通常盤 [CD]
2160円 / GNCL-1278
- DISC 1 CD収録曲
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- CYNICISM is(instrumental)
- SNOBBISM(feat. z'5)
- い~やい~やい~や(feat. z'5)
- くたばろうぜ
- 敗者のマーチ
- 脱法ロック
- 失踪チューン
- それでも僕は歌わなくちゃ
- この劣等感を救ってくれ
- ニヒルと水没都市(feat. z'5)
- 捨て子のステラ(feat. z'5)
- ねえ、レイン(feat. z'5)
- なんて物騒な時代だ
- 病名は愛だった(feat. z'5)
- DISC 2 CD収録曲(初回限定盤のみ)
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- 病名は愛だった(Neru Remix)
- い~やい~やい~や(Neru Remix)
- SNOBBISM(Neru Remix)
- 初回限定盤DVD収録内容
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- 脱法ロック
- 捨て子のステラ
- 病名は愛だった
- い~やい~やい~や
- くたばろうぜ
- Neru(ネル)
- ボーカロイドプロデューサー。2009年に作曲活動を開始し、2011年、18歳のときにニコニコ動画に投稿した「アブストラクト・ナンセンス」「東京テディベア」が瞬く間に人気を集める。主に鏡音リン・レンを用いて楽曲制作をしており、「ロストワンの号哭」「命のユースティティア」など100万回以上の再生数を誇る楽曲を多数投稿。2013年3月には初の全国流通アルバム「世界征服」を、2015年9月にはNBCユニバーサルエンターテイメントからフルアルバム「マイネームイズラヴソング」をリリースした。2018年3月、「脱法ロック」「病名は愛だった」といった人気曲を収録したフルアルバム「CYNICISM」をリリースする。