音楽ナタリー Power Push - 中野テルヲ
盟友・三浦俊一とたどる異端の電子音楽史
中野テルヲ×三浦俊一
中野テルヲのソロ活動20周年を記念したベストアルバム「TERUO NAKANO 1996-2016」が、三浦俊一(NESS)が運営するレーベル・ビートサーファーズよりリリースされた。
ソロデビューから10年前の1986年、P-MODELに加入してプロとしてのキャリアをスタートさせた中野。彼と三浦の出会いはさらにその2年前、1984年にさかのぼる。中野の加入以前にP-MODELのメンバーとして活動していた三浦は、その才能にいち早く触れた目撃者の1人だ。この特集では30年以上におよぶ2人の関係性と歴史を対談で振り返りながら、唯一無二の個性を持つ音楽家・中野テルヲの本質に迫った。
取材・文 / 臼杵成晃 撮影 / 西槇太一
中野少年と短波ラジオ
──中野さんは今年でソロ活動20周年ですが、P-MODEL加入が1986年なのでプロとしてのキャリアもちょうど今年で30周年になるんですよね。P-MODEL時代のことは過去のインタビューなどでお話されていますけど、それ以前の歴史はあまり語られていないので、デビュー以前、もっとさかのぼって少年時代のことなども今回はお聞きしたいのですが。
中野テルヲ ああ、いいですね(笑)。
──前にレーベル「電子音楽部」のコンピレーションアルバム特集で集まっていただいたとき(参照:音楽ナタリーPower Push 電子音楽部特集)、電子音楽のルーツについて、お2人は大阪万博など高度経済成長期の時代観から来るものが大きいとお話されてましたよね。幼稚園から小学生にかけての時期だと思うのですが、その頃はどんな子供でしたか?
中野 子供の頃はラジオ少年でした。
──ひたすらいろんなラジオを聴き漁ったり……。
中野 いや、ラジオを作るほうでした(笑)。ある日、雑誌か何かでラジオ製作キットの広告を見たんです。よく覚えていないけど、ラジオという機械そのものにモノ的な憧れを抱いていたんじゃないかと思うんですよ。
──野球をやったり外を駆け回ったりするんじゃなく、ラジオを作っているという。なんというか、イメージを一切裏切らない子供時代ですよね。
三浦俊一 あっはっは(笑)。
中野 もちろん外で遊んだりもしてましたよ。もっと小さな頃はベーゴマとかメンコを集めたり、缶蹴りしたりもしてましたし、まあ普通の子供だったと思いますけど。
──中でもラジオ作りに夢中になったというのは、今の中野さんに直接つながるルーツと言えますよね。
中野 そうですね。短波ラジオは今もライブやレコーディングで使っているし。ただ、もともとはデザインとしての好みだったり、ダイヤルがあったりアンテナが伸びたりする仕組みそのものに興味が沸いたのがきっかけなんです。
──周りには同じようにラジオを作る友達、趣味を同じくする仲間はいたんですか?
中野 いえ、1人で黙々と作ってました。海外の放送を受信して、受信報告書を放送局に送ると、ベリカードというものがもらえるんですよ。いわゆる“BCLブーム”というのがありまして、それで火が点いたんですよね。
三浦 ベリカード、懐かしいね。わからない人も多いと思いますが、「あなたはこの放送を聴きました」という受信証明書みたいなものがもらえるんです。
中野 堅い証明書みたいなものもあれば、絵はがきのようなものもあって。海外だとその国の風景写真が使われていたりとか。国によっては受信しにくい放送局もあるけど、ダイヤルを必死に合わせて、ノイズ混じりな中からなんとか探り当てて番組の内容を書いて送るんです。そうやって珍しいベリカードを手に入れる。
三浦 でも勝ち負けじゃないんでしょ? クラスの友達と競ったりしていたんじゃないなら。
中野 うん。人と競うわけじゃないけど、珍しいカードが手に入ったら1人でニヤニヤしてた(笑)。特に秘密にしていたわけじゃないけど、学校で話題にすることもなかったです。
中野少年、「自動車ショー歌」を歌う
──では音楽のルーツをさかのぼるとどのあたりになるんですか? 三浦さんは電子音楽部の特集でフォークがルーツにあるとおっしゃってましたよね。
三浦 そうですね。安保闘争があった1970年頃、僕らは5、6歳で。そこからちょっとして吉田拓郎が出てきて、やがてニューミュージックにつながる流れがあって。
中野 自分もやっぱりフォークはありましたよ。中学の友達が井上陽水が好きで、よくレコードを貸してもらったりとか。意識して音楽を聴いたのはそのあたりからですかね。
三浦 小学生のときは音楽に興味なかったの?
中野 聴かなかったですね。テレビで流れる歌謡曲は聴いてましたけど、夢中になることはなかったな。……あ、ありました。家に音楽がありましたわ。親が小林旭の「自動車ショー歌」とか、流行歌のレコードを持ってまして。父親の車に乗るとカセットテープで小林旭や鶴田浩二の曲がかかるんですよ。カセットはそんなに何本もないから「またこれか……」みたいな(笑)。でも聴いてると覚えちゃうんで、歌ってたらしいんですよね。「あんたよく『自動車ショー歌』を歌ってたよ」って親に言われましたけど、自分では記憶にないんです。
三浦 歌番組がいっぱいあったじゃない? そういうのは興味なかったの?
中野 うん。そんなに年中テレビがついてる家じゃなかったからかな。家が商売をやってたもので、親が店にいるときは、自分は学校から帰っては店の裏にある小さな部屋で過ごしていたんです。だからなのか、あまりテレビに夢中になった記憶がなくて。
クロスオーバーから“テクノ御三家”へ
──音楽を能動的に聴かなかった中野少年が、その後音楽を始めるに至ったきっかけはなんなんですか?
中野 オリジナルの音楽を意識したという意味で言うと、やっぱりパンクのあとのテクノポップ、ニューウェイブですね。テクノ御三家(P-MODEL、ヒカシュー、プラスチックス)に刺激を受けたのが大きかったです。それ以前の、そもそも音楽を始めるきっかけとしては、中学の頃に組んだコピーバンドからでしょうか。
三浦 最初にコピーしたのは?
中野 Prismの「Love Me」かなあ。
三浦 渋っ(笑)。フュージョンからなんだね。しかもバラード!
中野 これもその中学の友達に教えてもらったんです。当時はクロスオーバーとか言われてましたけど、ちょっとロックやプログレ寄りの感じ。で、仲間内でバンドを組んでこの曲をやろうということになって、自分はたまたまベースを弾くことになりまして。
──なぜベースを選んだんですか?
中野 ギターのうまい奴がほかにいたので(笑)。あまりパートにはこだわってなかったんです。ギターがやりたいとかベースがやりたいというより、バンドで音楽をやってみたいというのが先にあって。
──三浦さんは?
三浦 憧れがあったのはキーボードだけど、最初に買ったのはエレキギター。ギターはお年玉で買える値段だったから(笑)。でも結局、その何カ月かあとにエレクトリックピアノを買ってもらって、なんとなく両方うっすらとやってましたね。
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- 中野テルヲ ベストアルバム「TERUO NAKANO 1996-2016」 / 2016年3月16日発売 / [CD2枚組] 3888円 / Beat Surfers / BSUK-1003~4
- 中野テルヲ ベストアルバム「TERUO NAKANO 1996-2016」
DISC 1
- Let's Go Skysensor
- Uhlandstr On-Line
- Trance-Pause Room[2015 Recording]
- Computer Love(2005 Recovery)
- Computer Dub
- Run Radio II
- Mission Goes West
- Run Radio IV(Memory Bank B)
- コンダクター・プラス
- RAM Running(Plans For Disc)
- Run Radio I
- ウーランストラッセ節
- Winter Mute(Part II)
- Call Up Here
- Run Radio III[Extended]
DISC 2
- 今夜はブギー・バック
- IDは異邦人
- ディープ・アーキテクチャ
- 宇宙船
- ファインダー[2016 Recording]
- Ticktack
- グライダー
- サンパリーツ
- 遠くのカーニバル
- Raindrops Keep Fallin' On My Desktop[Extended]
- Dreaming
- Long Distance, Long Time
- Game[Type B]
- Eardrum[Extended]
- 虹をみた
収録曲
- Fes/Gate
- Entwurf
- n1
- Nescio
- MAGIC AND ECSTASY/EXORCIST II THE HERETIC
- n2
- something else again
- C99
- n2
- everywhere
中野テルヲ(ナカノテルヲ)
1963年8月12日、東京都生まれ。1986年から1988年にかけてP-MODELで活動し、1991年にはKERA、みのすけとともにLONG VACATIONを結成する。1995年のLONG VACATION活動休止後はソロ活動へと移行し、フロッピー作品「UHLANDSTR ENDLESS1~6」を発表。1996年12月には1stソロアルバム「User Unknown」をリリースし、本格的なソロ活動をスタートさせた。コンピュータやシンセサイザーを駆使したサウンドが特徴で、LONG VACATION時代より短波ラジオや高橋芳一(ex. P-MODEL)が製作したオリジナルシンセサイザー「UTS」シリーズをライブパフォーマンスやレコーディングに取り入れている。2011年より三浦俊一が主宰するレーベル・ビートサーファーズに所属し、以降はコンスタントにアルバムをリリース。2016年3月にはソロ活動20周年を記念したベストアルバム「TERUO NAKANO 1996-2016」を発表した。
- 中野テルヲ Official Website
- 中野テルヲ (@TeruoNakano) | Twitter
- 中野テルヲ/Official info (@PILOTRUN) | Twitter
- 中野テルヲ | Facebook
- 中野テルヲの記事まとめ
三浦俊一(ミウラシュンイチ)
1964年8月18日、東京都生まれ。1983年から1985年にかけてP-MODELで活動し、1986~87年には有頂天、1995年にはケラ&ザ・シンセサイザーズに参加。楽曲提供やプロデュースを広く手がけ、現在は音楽制作会社ビートサーファーズの代表取締役を務めながら複数のバンドで活動している。2011年には内田雄一郎(B / 筋肉少女帯)、河塚篤史(Dr)、戸田宏武(Syn / FLOPPY)とともにNESSを結成。2015年11月には3rdアルバム「NESS 3」を発表した。
NESS ライブ情報
- NESS 5th Anniversary「Live NESS Special」
- 2016年5月7日(土)東京都 KOENJI HIGH
料金:
1F椅子席 前売 5800円 / 当日 6300円(ドリンク代別)
1Fスタンディング 前売 3800円 . 当日 4300円(ドリンク代別)
一般発売:2016年3月27日(日)