挑戦と覚悟を続ける長渕剛、温かな“血”が流れる人間に捧ぐ歌

2017年に24枚目となるアルバム「BLACK TRAIN」を発表したあと、2020年には「太陽の家」でおよそ20年ぶりに映画主演を果たした長渕剛。新型コロナウイルスが猛威を振るい始めたあとも歩みを止めず、同年に行われた初の配信ライブでは巨大ビジョンを駆使し、視聴者たちとの交流を図りながらパフォーマンスを展開して注目を浴びた。コロナ禍の苦難を乗り越えた現在はバンド編成でのコンサートを再開し、全国各地でファンにエールを送り続けている。

そして長渕は前作から約7年の歳月を経て、今年5月にニューアルバム「BLOOD」をリリースすることを発表した。音楽ナタリーでは6月に開幕するアリーナツアー「TSUYOSHI NAGABUCHI ARENA TOUR 2024 "BLOOD"」とニューアルバム「BLOOD」の話題を軸に、ライブやアルバムにかける思い、今後の活動に向けての意気込みを聞いた。

取材・文 / 高橋拓也

音楽に対する初心、意味を思い知らされた2020年

──長渕さんはコロナ禍に入ったあとも活動を止めず、配信ライブ、アコースティック編成のライブを経て、2022年にバンド編成での有観客ライブを再開しました。さまざまな形態で演奏を行ってみていかがでしたか?

どんな状況になっても、音楽は必ず人々の傍らに存在することを強く実感しました。時代が変われど、やはり音楽と人の関係は切っても切れない。自分自身が作り出す作品との向き合い方、音楽の尊さもさらに意識するようになりました。

──コロナ禍で活動を自粛しなければならない状況の中、さまざまな手段に挑む姿は印象的でした。配信ライブもただ演奏するのではなく、Zoomで観客とコミュニケーションを取ったり、新しいことも積極的に取り入れていましたね。

あれはすごく不思議な体験だった。長年コンサートを開催してきて、僕だけでなくスタッフも決められたルーティーンを繰り返し、いい意味でも悪い意味でもそこに気高さを感じていました。ですがコロナ禍を経て、音楽に対する初心、音楽の意味とは何かということを思い知らされたんです。

──このコロナ禍の一連の挑戦は、スタッフの皆さんとアイデアを練ったんでしょうか?

ええ。何十人ものスタッフが集まって、「手弁当でいい、お金を度外視して音楽をやろう」という話をしました。それで千葉の空気のいいところでライブを収録したら、クオリティの高い演奏ができました。

──2020年のクリスマスイブに実施された配信ライブですね。

その撮影のとき、たまたまスタッフがドローンを用意していて、試しに使ってみたら壮大な画が撮れてね。無理にお金をかけなくても面白いことはできるし、スタッフのみんなも音楽を作り出す楽しさや大切さを実感したんじゃないかな。「僕たちで何か作ろう」という純粋な動機でライブを作ることができたから、すごくいい体験だった。

──2021年に行われたアコースティック編成のライブは、フォーク調の楽曲をメインにしたセットリストになっていて、バンド編成のライブとはまた違った魅力が味わえました。

僕はギター1本で音楽活動を始めたので、初心に立ち返るような公演でした。当時はまだコロナウイルスの情報が少なくて、僕もお客さんも得体の知れないものに対する恐怖を感じていた。そんな中でも皆さんは思いっきり拳を上げてくれて、「一緒に戦っている」と実感させてくれました。

──その後2022年のライブで声出しが解禁された際、これまで以上にお客さんの熱気や勢いを感じました。

何年も制限されていたからね。あのときは僕の音楽人生の中で一番と言っていいくらい、「今日は声を出すぞ!」という強烈な期待感に包まれていました。それを裏切らないよう、一生懸命やりましたよ。

──あのライブではお客さんの声援だけでなく、MCでのやりとりも印象に残っています。例えば長渕さんは女性ファンの声援に対し、「かわいい声だね」と反応していましたよね。そのあと大勢の男性ファンが「かわいいよ剛ー!」と言い出して、「男の声はいらないよ!」「歌わせてください!」とツッコんでいたり。あの和やかな雰囲気も有観客ならではのひと幕で。

僕のファンは昔からいい反応を返してくれますね。皆さん日常の中で考えていること、我慢ならないことなど、喜びも悲しみもないまぜにしていらっしゃるわけです。そういった感情を歓声で爆発させることで、僕のライブは幕を開け、一緒に全体像を練っていく。それを何十年もやってきたなと。

──なるほど。

なぜそういうことになるのか、理屈で説明するのは難しいのですが、強いて言うなら「明日が見えるようになりたい」ということに尽きるのかもしれない。明日が見えることで、自己を肯定するエネルギーに変わっていきますから。

──長渕さんのファンの皆さんは開演数十分前からコールを始め、ライブがスタートする頃には天井にモヤができるほどの熱気を生み出していて、毎回圧倒されます。

あのコールも長年にわたって続いていて、もう数十年前になるのかな? 僕が促したわけじゃなく、自然発生的に行われるようになりました。

目指すのは“生と死”という理屈を吹き飛ばすライブ

──6月にスタートする「TSUYOSHI NAGABUCHI ARENA TOUR 2024 "BLOOD"」はコロナ禍以降、3度目のバンド編成での全国ツアーになります。今回のライブではどのようなテーマを掲げていますか?

今度リリースされるアルバムは「BLOOD」、つまり“血”を題材にしています。血は傷付いて出てくるものであると同時に、温かいものでもある。ツアーではその部分を表現していきたいです。それから声出しが解禁されてお客さんとの一体感も戻ってきましたが、今度のツアーはもう1つ上のステップを目指したい。オーディエンスもそれを求めているはずだからね。

長渕剛「BLOOD」初回限定盤ジャケット

長渕剛「BLOOD」初回限定盤ジャケット

──昨年のツアー「Tsuyoshi Nagabuchi Concert Tour 2023 OH!」の舞台裏を追ったドキュメンタリー映像がYouTubeで公開されていますが、観客の年齢層の幅広さにも改めて驚かされました。

親、子供、孫の三世代でいらっしゃる方も多くなりましたね。老いも若きも一体となって、拳を突き上げる様子は心強いです。責任重大ではあるけど(笑)。年齢を重ねてきて、ジャンプしたり拳を突き上げたり、シャウトすることが徐々にできなくなると実感しています。だけども「どうなってもかまわない」「君たちのために死のう」という気持ちに駆り立てられています。

──相当な覚悟を決めてライブに臨むことになると。

そう。今のパフォーマンスを継続していくことは、肉体的にも精神的にも疲弊し続けていくことになる。僕と同年代の音楽家なら、普通は座りながら演奏しますよね。だけど僕のライブではそんなことは求められないし、僕自身も求めていない。どの曲も皆さんの青春の真っただ中に存在しているものだし、若い連中は僕に対して憧れや期待を抱いて来てくださる。すべてを裏切らないためには、体を整えることが不可欠になるんです。

──それがハードなトレーニングを続けている理由につながるんですね。

トレーニングはもう30年近くやってきましたし、食事も厳しく管理しています。そうやって体を作り上げることで、ライブ中にスイッチを入れることができる。だからステージ上より、毎日の積み重ねのほうが大事。しっかり体を管理して、ツアーが始まったら初日から一気に爆発させる。そして「死んでもかまわない」という境地に至ることで、年齢というハンデも乗り越えることができるんです。

──長渕さんが生死に関わるほどストイックに挑むことができる、その原動力はなんでしょうか?

それは「命を大事に使いたい」という欲求かもしれない。今の時代や社会は、命が非常に粗末にされているように感じます。一方でそれは命を大事に使うこと、誰のために命を燃やすのかということを問われているとも言える。普段の生活では「なんのために死ぬの?」と考えるのは恐ろしいし、「今は生きることしか考えたくない」と思うのが当然ですよね。ところが生と死は等価値で、誰も問わないからこそ、真剣に考えなければならない。

──生きるだけでなく、死ぬことも意識する必要がある。

そして生と死という理屈を吹き飛ばすのが、僕のライブの理想です。集まったお客さんを絶叫させ、笑顔にさせ、拳を突き上げてもらう。そういった生死から解放される瞬間を作りたい。

──長渕さんは体を盛んに動かしながらシャウトし、身を削るようなパフォーマンスを次々とこなします。ご自身を追い込むからこそ生まれる説得力もありますね。

お客さんも僕もそれを求めている以上、横着はできないですからね。苦しいですけど、そこまで徹底しないと一体感は醸し出されないので。

時代がどう変わろうとも、自分の価値観を信じる

──5月にリリースされる「BLOOD」は前作「BLACK TRAIN」から7年ぶりのアルバムとなります。2021年のライブのとき、長渕さんは「たやすく希望を歌えなくなった」「この国から歌がなくなっていくような気がしている」と新しい曲が作れなくなった近況をお話しされていましたが、そこからどのようにアルバムを完成させたのでしょうか?

さまざまな価値観が急速に移り変わる中、青年時代に憧れたカメラマン、藤原新也先生のことを思い出したんです。彼がインドを放浪なさったときの「メメント・モリ」という写真集の中に、人間のちぎれた足をくわえている犬の写真があって。

──「ニンゲンは犬に食われるほど自由だ。」というキャプションでも有名な写真ですね。

あれは相当ショックだった。一見おぞましい写真、しかしそのひと言が添えられていることで、どこか肩の荷が降りるような感覚もある。藤原先生は過去に「時代がどう変わろうとも、僕は変わることはない」とお話ししていて、その言葉に強く感銘を受けました。世間の価値観が揺らいでも、僕は僕であり続ける。そこには人を潰し合うのではなく、お互いに尊重しようとする心意気も感じる。僕も時代がどう変わろうとも、どんな歌を作って誰に届けるのか、どんな生き方が好きなのかを考え、自分自身の価値観を信じていきたいです。

──常に自分の考えを反芻し、それを信じていく。

さらに時代が変われば変わるほど、「こういう歌を書きたい」という思いは強くなっています。だけど自分が体験したことだけでは「それはお前のことだろ」と思われてしまい、人の心には届かない。そこで“普遍”というひと手間を加えることで、歌ができあがるんです。今回のアルバムではこの手段を積極的に取り入れることで、曲を作ることができました。

──長渕さんはただ希望を歌うのではなく、挫折や弱さもないがしろにせずに触れることで、言葉の説得力を生み出してきました。

正義と悪が表裏一体であるように、人間は強さと弱さ、どちらも必ず持ち合わせているんです。苦しみを乗り越えるためにはその弱さを殺し、強さに変換しないといけない。その姿は涙が出るくらいに愛おしくて美しいものです。例えばマラソンランナーだと1等賞の人が喝采を浴びるけど、僕はくたくたになりながら最後まで走り抜いた人にこそ拍手を送りたい。

──決して1位を獲ることだけが重要ではないと。

まさにそう。ほかには、ある強者が、ふと秋に舞うひとひらの枯葉を見て、過去のことを思い出して泣き崩れてしまう瞬間があったとします。そこにはもろさゆえの美しさ、「苦難を乗り越えてきた」という説得力がある。僕はそういうことを見つめ、歌にしたい。

──自身の弱い部分を包み隠さずオープンにすることは、抵抗のあることですよね。その姿をありのままに示していることも長渕さんらしさの1つです。

僕は歌によって潰れたこともあるし、生かされたこともあった。その連続なんですね。歌は僕にとって生きる場所だからこそ、心の中にある弱さ、苦しみを乗り越えようとする瞬間にフォーカスしてきました。そしてどの曲にも、ファンはしっかりと反応してくれる。僕はファンによって生かされ、ファンのために生きているとも言えます。