長渕剛のニューアルバム「BLACK TRAIN」が8月16日にリリースされた。前作「Stay Alive」からおよそ5年ぶりとなる本作はスケール感あふれる表題曲をはじめ、先行配信シングルとして発表された四つ打ちのダンスチューン「Loser」、シリアスな語り口で歌われるバラード「Can you hear me?」など、長渕のさまざまな魅力がたっぷりと込められた作品となった。今回音楽ナタリーではアルバムの発売を記念し、長渕へのインタビューを実施。2015年に富士山麓にて行われたオールナイトライブから現在までを振り返ってもらいつつ、ニューアルバム制作時のエピソードや、2016年12月放送の「FNS歌謡祭」で披露され話題を呼んだ新アレンジ版の「乾杯」についてなど、さまざまなトピックに関して語ってもらった。
取材・文 / 高橋拓也
「何者であるか?」を探し求めなければ、生きている意味がない
──2015年に富士山麗でワンマン(参照:「お前らが主役だー!」長渕剛、ふもとっぱらで富士山&日の出を望む)が開催されましたが、このライブはおよそ10万人の観客を迎えて9時間以上にわたって行われ、長渕さんのこれまでの活動の集大成となるような公演でした。あのライブ以降も、長渕さんは止まることなく音楽活動を続けてきましたね。
常に音楽をやり続けるってことは、自分自身がいったい何者であるのかを探し続けることだ。職人さんとか絵描きとか、いろいろなクリエイターがいる。彼らが情熱を失わずに活動を続けられるのは、「やりたい」とか「描きたい」というのではなく、自分自身を探してるからだと思う。記録を更新していくアスリートと同じだ。
──なるほど。
100mのランナーだと、わずかコンマ何秒の自己新記録を更新していきますね。自己更新という過去から追い上げられて、なおかつ他人の記録にも攻められる。その板挟みの中で自分を探し当てて生きていこうとする。あとは彫刻を手がけてらっしゃる方にも似てる。彫るってことは、自分自身の内面を彫っていき、邪心や雑念を取り除くようなものなのではないのかな。大っ嫌いな自分自身っていうのは、自分が一番わかっている。「俺ってけっこうイケてんじゃん?」「こんなところが素敵なんだよな」と思うことって、自分の体で言えば足の裏のかかとぐらいの、ほんの少しの自信でしかないんだよ。
──ほとんどが嫌な自分、ということですね。
そう。僕はギターにしがみついて何十年が経った。いつも時代と対峙するときに襲われる恐怖感や不安感、恐れと戦っている。時代というのは自分自身に押し寄せてくる敵のようなもので、その敵に向かって自分がどう切り込んでいくか、どうガードすればいいのか考えていくのが大切だ。時代に対して問題を提起する方法も、文学だったりいろいろなカテゴリがある。僕の場合はたまたまギターであり歌であった。それしかないことの強みと恐怖が常に背中合わせである中、「いったい自分は何者であるか?」と探し求めていく。僕はそれを死ぬまでやり続けていくんです。そうしなければ、生きている意味がない。
──富士山麗で行われたライブも、時代と対峙することの一環だったということでしょうか?
あのライブでは「本当にこの国に“連帯”は存在するんだろうか?」という疑問を多くの人々に突き付けたかった。震災を機に、僕たちはとんでもない不安と混沌を叩き付けられ、そして仲間のいない孤立感、国に裏切られた失望感にも駆られた。「この先どうやって生きていくんだろうか?」といった不安から、もう一度仲間たちと一緒に、1つの目的意識に立ち向かおうとした。そこで「一緒に朝日を見る」という目的を掲げて、それに懸けたんだ。
──オーディエンスと一体になることに挑んだわけですね。
人の思いが積み重なっていけば、きっと太陽が昇るだろうって信じた。実施するまでには2年以上の歳月が掛かったが、あの日見た太陽は初日の出と同じように、僕にとっては希望のともしびであった。「もし朝日が出なかったら、私は消滅してしまうだろう」という覚悟のもとに、あの祭典は行われたんだと感じてる。そして最終的に陽は昇った! 僕たちはこれから少しずつ、充足感に満たされていくはずなんだ。
衝動が生まれたとき、歌え
──「BLACK TRAIN」は前作「Stay Alive」から5年半ぶりのアルバムになります。
何年ぶりかというのは僕自身まったく興味はない。60年ぶりとかだったら「へえ、そんなに経ってから何をしたんだろう」って思うかもしれないけど、あまりそういうことは考えてない。同年代の人間とは同窓会みたいに懐かしがって会いたくないし、勝手に生きようぜって思う。それからショービジネスの世界にいるとメジャーレコード会社との契約に縛られて毎年レコードを生産し続け、ツアーをやって、経費を賄うためにグッズを作り……というサイクルにも興味はない。大事なことは、今自分が書きたいもの、みんなに聴いてほしいものを作ること。その思いはギターを持った10代の頃から何1つ変わっていない。歌いたくないもの、歌えないものを別に無理に歌う必要はない。
──自身が伝えたいこと、伝えるべきことを歌う……ということでしょうか。
叫びたい、我慢ならないっていう衝動が生まれたときに歌うべきなんだ。商業的に自分の作品を作り続けることは30代でやめた。「これを書かなきゃいけない」「こういう歌が必要なのだ」というふうに作家性が湧き立ってくれば曲は成立するだろうし、時代という額縁に投石することができる。それがどんなふうに波紋を起こすかということは、当然作家としては大事なことなので。何かが起きなきゃ意味がないわけだ。
「長渕のキャラってこうだろ?」と決め付けられるのが一番嫌だ
──アルバムの表題曲「Black Train」はスケール感あふれる楽曲ですね。アルバムの幕開けを壮大に表現しているように感じました。
「Black Train」の歌詞には得体の知れない自分と得体の知れない時代、その2つの関わりが描かれている。音楽の世界では自由になれるんだから、自分の額縁を最初から小さな枠にはめるのはすごく嫌。僕にはいかにとんでもないこと、ぶっ飛んだことをやれるかっていう発想しかない。「アイツすげえな」「バカじゃね?」「ヤベエな」っていうふうにいろんな評価を受けるけど、常に感性を研ぎすませて「とんでもないことやろうぜ」という姿勢を音楽の中に忍び込ませて、額縁のない世界にどう自分を映し込んでいくか、いつも考えて生きるべきだ。
──だからこそ、今回の「BLACK TRAIN」も自由度の高い作品になっているんですね。四つ打ちのダンスナンバー「Loser」からは特にその姿勢を強く感じました。
何ごともトライ&エラー。だから新境地だとかそういうことは全然意識してない。ただただ「面白いことをやろう」という姿勢で作った。何十年も活動していると「長渕のキャラってこうだろ?」って勝手に決め付けられたりするのが一番嫌だな。僕自身はまったくそう思わないわけです。
──新しいアイデアは、どれも直感なのですか?
そう。音楽を作っていくとき、僕は譜面も楽器も一旦捨ててからスタートする。自由自在になるってことは、今この瞬間で思い付いたメロディを歌うようなこと。楽器に縛られるとコードに縛られる。メロディラインは鼻歌でも出てくるもの。それが一番自由だな。
──「ガーベラ2017」には、普段使用されている革鞄を叩く音も入っているそうですね。
昔よくやったんだ。あとは自分の腿を叩いて音を出してみたり。
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レコーディングスタジオに絨毯やソファーを入れる
- 長渕剛「BLACK TRAIN」
- 2017年8月16日発売 / UNIVERSAL GEAR
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初回限定盤 [CD+DVD]
4320円 / POCS-9167 -
通常盤 [CD]
3240円 / POCS-1621
- CD収録曲
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- Black Train
- 嘆きのコーヒーサイフォン
- Loser
- かあちゃんの歌
- マジヤベエ!
- ガーベラ2017
- 愛こそすべて
- 自分のために
- 誰かがこの僕を
- Can you hear me?
- 初回限定盤DVD収録内容
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- メイキング&インタビュー
公演情報
- TSUYOSHI NAGABUCHI NEW ALBUM「BLACK TRAIN」 ONE NIGHT PREMIUM LIVE AT 日本武道館
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2017年8月22日(火)東京都 日本武道館
- 長渕剛(ナガブチツヨシ)
- 1956年生まれ、鹿児島出身の男性シンガーソングライター。1978年にシングル「巡恋歌」でデビューを果たし、1980年にシングル「順子」が初のチャート1位を獲得。その名を全国に浸透させた。以後「勇次」「ろくなもんじゃねぇ」「乾杯」などのヒット曲を次々と発表。1980年代前半からは「家族ゲーム」シリーズ、「とんぼ」などテレビドラマや映画にも出演し、俳優としての活動も行う。2004年8月には桜島の荒地を開拓して作った野外会場でオールナイトライブを敢行し、7万5000人を動員。さらに2015年8月には静岡・ふもとっぱらにて10万人を動員する野外オールナイトライブ「長渕剛 10万人オールナイト・ライヴ2015 in 富士山麓」を実施し、成功を収めた。2017年8月には自身24作目となるオリジナルアルバム「BLACK TRAIN」をリリース。同月22日には本作の発売を記念したプレミアムライブを東京・日本武道館で行う。