「Mt.FUJIMAKI 2019」特集 藤巻亮太×曽我部恵一対談|共鳴し合う思いと歌

20代の頃は「粉雪」に引っ張られていた

曽我部 子供の頃ね、テレビの歌番組で演歌の皆さん、例えば都はるみさんや石川さゆりさんの歌を聴いているのがすごく気持ちよかったんです。技術の先にあるものを感じたというか。自分もそういうところまで行ってみたいなって。楽曲を作ったときの心の在り様も大事なんだけど、演歌の方々は自分で詞を書いていないし、自身の原体験とは何も関係ないところで歌ってるわけじゃないですか。

藤巻 そうですね。歌うことに対して、全神経と体力を注ぎ込んでいるというか。

曽我部恵一

曽我部 それが目に見えますからね。ロックバンドは真逆ですよね。真逆って言うと大袈裟だけど、僕らは「この曲は、こういうときに作ったんです」って言いたがるじゃないですか。まあ、それも悪くはないんだけど。

藤巻 確かに「曲を作ったときのことを言わなくちゃいけない」と思っているかも。僕も弾き語りツアーをやっていて、同じようなことを考えていたんです。選曲は曽我部さんと逆で、毎回変えていて。10年ぶりくらいに歌う曲もあったんですけど、MCで「この曲はこういうときに生まれました」と話していたんです。その中で気付かされたのは、「どういう思いで自分が作ったか」よりも、「目の前で聴いてくれる人たちにとってどういう物語になるか」ということのほうが大事だということ。独りよがりな場所に収めるのではなくて、「僕はこう思って作ったけど、皆さんはどうですか?」みたいな。

曽我部 それなんだよね。自分と全然関係ない人に歌を聴いてもらって、1人ひとりの物語になって。それを持って帰ってたり、心の中に置けることが、歌のすごいところだから。自分が音楽を好きになったのも、まさにそういうところなんですよね。

藤巻 僕も同じです。曲を作っていて、自分のことばかり見ていると、どんどん狭いところに入り込んでしまう気がして。それは他者という存在が抜けちゃってるからだと思うんです。以前、「人のために何かやってるときは、余計なこと考えないでしょ」と言われたことがあるんですけど、まさしくそういうことだなと。なんていうか、音楽には人を縛っているものをほどく作用があると思うんです。

曽我部 ホントだね。

藤巻 僕自身もほどかれた経験があって、そのおかげで今も音楽を続けている部分があるので。でも、ずっと音楽をやっていると、いつの間にか、また自分で自分を縛り始めてしまって。

曽我部 自分もそうでしたよ。サニーデイ・サービスを始めて、認知してもらって。それはもちろんうれしいことなんだけど、そうすると「裏切らないようにがんばろう」という気持ちも出てきて。「こんなことやったらヘンかな」って余計な心配をして、できないことが増えちゃうんですよ。でも、みんなが感動したのは「こいつら、自由にやってていいな」ということだったりするんですよね。

藤巻 なるほど。

曽我部 もともと僕はパンクロックをきっかけに音楽を始めたから、その影響もあって。その前The Beatlesとかが好きだったんだけど、「All You Need Is Love」とか、学校の先生でも言いそうなことを歌ってるじゃない?(笑) パンクは全然違っていて、Sex Pistolsなんて「お前ら全員、大嫌いだ」って叫びながら登場した。僕はそのことに感動したんですよね。「歌というのは『I love you』みたいなことを歌うものだ」と思ってたのに、「“I hate you”って言っていいんだ!?」って。つまり、心の中にあるものを外に出す行為がアートなんだってわかったんです。

藤巻 そうですね、確かに。

曽我部 だから自分も「自由に好きなことをやっている姿を見せ続けよう」と思ってるんですよね。「これをやったらファンの人はどう思うだろう?」という考えを絶対に持たないようにして、そのときに思い付いたこと、やりたいことをやるという。ただ、完全にそう思えるようになったのは、30代半ばくらいからですね。独立したこともあって、「もういいや」って(笑)。

藤巻 その話、すごく勇気をもらえます。レミオロメンでデビューして、幸運なことにかなり早いタイミングでブレイクさせていただいて。

曽我部 すごかったよね。

藤巻 でも、20代の頃は「粉雪」に引っ張られることも多かったんです。今考えると、それは誰かに押し付けられたのではなくて、自分自身が勝手に作っていた虚像だった気がして。ソロになってからは、自分を縛っていたものをもう一度解き放とうとしていたし、それが原動力にもなっていたんです。曽我部さんと同じように「好きなことをやろう」という気持ちもあります。面白がることもテーマになっているし、「これが得意」とか「これが苦手」とあまり言わないで、とにかくやってみようって。

曽我部 いいと思う。人間の脳の大部分は使われてないという話だし、やってみることでどんな才能が出てくるかわからないからね、ホントに。「お芝居やりませんか?」とか「映画に出ませんか?」という話も、僕はすぐに「はい」ってやっちゃうんですよ(笑)。やったもん勝ちだからね、はっきり言って。うまくいってもいかなくても、「やった」というプラスには勝てないから。

左から藤巻亮太、曽我部恵一。

やる理由は1つあればいい

藤巻 フェス(Mt.FUJIMAKI)をオーガナイズすることも、そうかもしれないです。フェスをやるって、やっぱりリスクがあるんです。やらない理由を探せばいっぱいある(笑)。

曽我部 理由を探すのもうまいしね(笑)。

藤巻 そうですね(笑)。周りの人も心配してくれるし……。でも、やる理由は1つあればよくて、それを貫くほうが強いんじゃないかなって。「Mt.FUJIMAKI」は、巡り合わせの中で形になった部分もあるんです。自分としては、まず、地元への思いですよね。20代の頃は自分のことしか考えられなかったし、外に出て成功したいという気持ちが強くて。でも、30代になってから、「18歳まで育った場所から受け取ったものがたくさんある」「最初から育んでもらったんだな」ということに気付いて。そこからですね、地元に対して自分にできることがあったら、ぜひやってみたいと思うようになったのは。ルーツに向き合うことで、発見できることもたくさんあったし。

曽我部 素晴らしいと思います。故郷に錦を飾ること自体がすごいですよ。僕は香川県出身なんですけど、そんなことさせてもらえないですから(笑)。まあ、それは冗談として、地元側からも認められたということですから。

藤巻亮太

藤巻 ホントに認めてもらえるまでには、もっと時間がかかると思っているんです。自分の中でも、「山梨のためと言いながら、私利私欲が隠れてないか?」「独りよがりになってないか?」と問うことも大事かなって。

曽我部 すごいね、それは。さっき藤巻さんも言ってたけど、バンドをやり始めると「こんなところにいられねえよ」という故郷に対する気持ちが出てくるんですよね。だけど、こうやってお互いに雪解けするときが来るんだなって。

藤巻 これも人に言われたことなんですけど、若い頃は打破するエネルギーで進めると思うんですよ。

曽我部 否定のエネルギーですよね。

藤巻 はい。「飛び出してやる」「壊してやる」というモチベーションから始まるんですけど、打ち破るものを、生まれ育った地元からもらっていたと思うんです。

曽我部 東京で生まれ育っていたら、また違うのかも。自分の子供は東京生まれ、東京育ちのせいか、素直なんですよ。そんなに屈折もしてなくて。

藤巻 それは何よりです(笑)。僕の地元はすごい田舎だったから、それがコンプレックスだったんです。

曽我部 僕もそうですよ。藤巻さんの学生時代は、ネットもギリギリない世代ですよね。

藤巻 ないですね。大学のときに初めて携帯電話を持ったので。

曽我部 ネットがある世代だと、また違うんでしょうけどね。

藤巻 そうですね。地元にいたときは、CDショップもチャリンコで遠くまで行かなくちゃいけなかったし。今はそれもいい思い出です。風景や食もそうですけど、「Mt.FUJIMAKI」を通して、県外の人たちに山梨のよさを伝えられたらいいなと思ってます。