森山直太朗「さもありなん」インタビュー|映画「ロストケア」主題歌に込めた“普遍の優しさ”

森山直太朗から新曲「さもありなん」が届けられた。松山ケンイチ、長澤まさみが共演する映画「ロストケア」の主題歌として書き下ろされたこの曲は、善悪や是非という価値観を超えた“普遍の優しさ”をテーマにした楽曲だ。

新曲のリリースにあわせ、音楽ナタリーでは特集を展開。映画の世界に寄り添い、森山自身の経験や思いを反映した「さもありなん」の制作、現在行われているアニバーサリーツアー「素晴らしい世界」の手応え、そして会場限定CDとしてリリースされた弾き語りベストアルバム「原画Ⅰ」「原画Ⅱ」についても語ってもらった。

取材・文 / 森朋之撮影 / 笹原清明

「papa」と呼び合った「ロストケア」

──新曲「さもありなん」は、映画「ロストケア」の主題歌です。献身的な介護士が実は多くの老人を殺めていた、というストーリーの映画ですが、直太朗さんは脚本を読み、いくつかのシーンを観て、この曲を書き下ろしたそうですね。

はい。松山さんが演じる介護士の斯波宗典と、長澤さんが演じる検事の大友秀美の会話劇が中心の脚本だったので、最初は「どうやって映画として描くんだろう?」と思ったんです。舞台ならワンシチュエーションならではの一体感、緊張感があるだろうけど、映画でどう表現するんだろう?と。でも、松山さんと長澤さんの鬼気迫るシーンを観させてもらって、衝撃を受けて。松山さんの父親役の柄本明さんの迫真の演技も素晴らしくて、ジャンルの垣根を越え、1人の表現者として感化されたところもありましたね。監督の前田哲さんともお会いして、「悲観的だったり、救いのないまま終わりたくないんです」という話をしていただいて。エンドロールでは父と子の信頼が感じられる映像が流れるので、そこでかかる楽曲をお願いしたい、と。

──すごく高いハードルですね。

そうなんですよ。そのときのことを思い返してみると……話があさっての方向に行っちゃいますけど、去年の3月に出したアルバム「素晴らしい世界」に「papa」という曲があって、自分としては珍しく主観で書いた曲なんですよ。幼少期に父親と母親が離婚して、子供ながらにそのことに対して理不尽だなと思って。僕は母についていったので、父との関係は希薄になったし、その衝撃を解消できないまま大人になった。自分自身を肯定する力が弱いこともそうですけど、人格形成にもとても影響があったと思っているんです。でも、ある人と話していたときに、いきなり「お父さん、好きだった?」と聞かれたことがあって、面食らっちゃったんですよ。もちろん父とはわだかまりもあったし、「ああいう人間だからな」と自分なりの思いもあったんだけど、「好きだった?」と聞かれたときに、「うん、好きでした。大好きだった」と答えたんですよね。一緒に過ごせた時間は短かったかもしれないけど、とっさに父を「好きだな」と思えたことは自分にとってすごく大きくて。そのことを踏まえて「papa」という曲ができて、自分の気持ちに踏ん切りをつけられました。そのときの経験と「ロストケア」のエンドロールの映像がつながったんですよね。しかも、この映画の主題歌の話をいただいたのが、「papa」を作っていた時期と重なっていたんです。なので自分としては、この曲を“書き下ろし”と言っていいのかどうか……そもそも自分には主題歌を書き下ろす技術がないので。

森山直太朗

──いやいや、そんなことないでしょう。

いや、本当に。AIちゃんに提供した「アルデバラン」(NHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」主題歌)も、「いつか曲を書いてくださいよ」という口約束を僕がずっと覚えていて、勝手に作っちゃったところもあったし。歌手ありきというか、“歌う人がより輝く”という作り方ならいいんだけど、映画のエンディングのために点と点を結び付けるように曲を書くことはできない。ただ、「ロストケア」は「papa」と呼び合っていると感じたし、もう少しだけ映画のストーリーに寄せながら作ったのが、「さもありなん」ですね。

「曲はずっと前からここにあった」

──「さもありなん」は、「もっともなことだ」「当然のことだ」という意味ですが、この言葉を題名にしたのはどうしてですか?

「さもありなん」という言葉自体が1つの肯定のような気がしていて。あまり日常では使わないですけど、この言葉がなぜかふっと湧いてきたんですよね。こういう趣や艶っぽさのある言葉が古語にはたくさんあって、無意識にキャッチアップしているというか。言葉の意味を誰かに問いかけているわけではなくて、自分たちの無意識の中にあるであろう、普遍の優しさみたいなものにアクセスしている感覚なんです。

──現実的な善悪や是非を超えた、“普遍の優しさ”ですね。

斯波くんにも彼のお父さんにも、それぞれに育ってきた過程があるし、個々の背景があって。「ロストケア」には介護の問題、貧困や社会の分断というテーマも描かれているけど、斯波くんが人を殺めてしまったのは、みんなが持っている人間の性(さが)みたいなものかもしれないなと。もちろん争いはよくないし、差別を望んでいる人も恐らくいない。だけど人間というものは、危機的な状況、劣悪な環境に置かれると、そういう選択をしてしまう性質を持った生き物なんだなと。

森山直太朗

──そう考えると、行動だけを断罪しても意味がない。

そうですよね。物事にはいろんな側面があるし、白と黒だけは語れないので。そこに至るまでの道筋というものがあるんだから、結果だけ見てとやかく言うのは、ある種のエンタメとしては楽しいかもしれないけど……自分たちを高め合ったり、絆を深め合うためにはあまり意味がないのかなと。必要なのは、善か悪を決めるのではなくて、互いの違う部分にも寄り添って、見守ることだと思うんですよね。

──現実は“白か黒か”では決められないですからね。その間のグラデーションこそがリアルだし、エンタテインメントの中にも、そういう表現がもっと増えたらいいなと。

今はエンタメが飽和していて、即物的な楽しさがないと目立たないし、どうしてもポップでキャッチーで下世話なものに偏りがちな気がするんです。もちろんそういうものがあってもいいけど、普遍的な問題やテーマを扱ったものもあったほうがいいと僕も思います。ただ、利便性が高い表現はそろそろ頭打ちになってくる気がするんですよね。時間をかけないとわからないこと、答えが出ないこともあるじゃないですか。例えば「これはおかしい」と怒りを持ったとしても、丁寧に検証すれば少しずつ解明できるだろうし、「ここが反省点だな」ということがわかるかもしれない。それを「効率が悪い」と言われると身も蓋もないけど、もう少し時間を使って物事を考えることができたらいいなと思う。曲もそう。リリースから1カ月で評価を決めるのではなくて、4年くらいかけて検証してもいいんじゃないかな(笑)。ちょっと長すぎるかもしれないけど、物事の性質によっては、理解したり、咀嚼したりするために必要なペースがあると思うので。もう1つ、「ロストケア」に関して言えば、大切なのはコミュニティの在り方なのかなと。

森山直太朗

──コミュニティというと?

この映画の斯波くん、大友さんの気持ちや行動も“さもありなん”だと思うんだけど、悲しい気持ちを招かないための環境をどれだけ作れるかが大事な気がして。斯波くんは勤務先の介護センターや利用者の皆さんには、お手本のような素晴らしい介護士だと思われていた。でも、彼の本当の気持ちを聞いてあげられる人は1人もいなかったし、どこかに分断があったと思うんです。その原因は介護や高齢化社会の問題だけではないし、もちろん「こんな猟奇的な人がいました」という話でもない。あなたが誰かの話を聞いてあげることが救いにつながるかもしれないという、原始的な人と人との関係を問うてる気もするんですよ。

──まさに普遍的なテーマですね。「さもありなん」に対して、何年先の人が聴いても何かを感じるような楽曲にしたいという思いもあったんですか?

もちろんそれは理想としてはあります。でも「こんな曲にしてやろう」と力んだり、思惑があると、どうしても邪念が生まれるし、作品の純粋性が損なわれるんですよ。「曲はずっと前からここにあった」というのかな。閃くとか降りてくるのではなくて、邪念がなくなったときに「そこにあったことに気付いた」という感じがあるんです。そうやってすくい上げた曲の鮮度をどう保つかは、また違った視点が必要なんですけどね。作品を疑うことも必要だし、危機感や緊張感も大事なので。そういう姿勢で曲と向き合った結果、いろんな人に長く、深く聴いてもらえる状況になっていくのかなと。