森山直太朗インタビュー|20年の歩みの先に見えた「素晴らしい世界」

森山直太朗が3月16日にメジャーデビュー20周年を記念したアルバム「素晴らしい世界」をリリースした。

2002年10月リリースのミニアルバム「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」でメジャーデビューを果たした森山。2003年に「さくら(独唱)」が大ヒットして以降も、コンスタントにライブ活動を続け、他アーティストへの楽曲提供や役者仕事など精力的に活動を行ってきた。

音楽ナタリーでは、20周年という大きな節目を迎える森山にインタビュー。デビュー作「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」と「素晴らしい世界」の不思議な類似点や、制作秘話、思い出の地からスタートさせる全国100本にも及ぶ20thアニバーサリーツアー「素晴らしい世界」にかける思いなどについて話を聞いた。

取材・文 / 秦野邦彦撮影 / 笹原清明

「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」と「素晴らしい世界」は似ている

──森山さん自身が“新章の幕開け”とお話しされていた「すぐそこにNEW DAYS」(2020年7月配信のシングル)を含む約4年ぶりのニューアルバム「素晴らしい世界」が完成しました。そのお話の前に、今年はデビュー20周年のアニバーサリーイヤーということですので、森山さんのデビューアルバム「乾いた歌は魚の餌にちょうどいい」について少しうかがわせてください。

はい。

──2002年に「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」がリリースされた当時、氣志團の綾小路翔さんがレコメンドされていて私も手に取りました。ジャケットをイラストレーターの矢吹申彦さんが描かれていて。翌年そのアルバムに入っていた「さくら」が大ヒットしたわけですけれども、ちょっとこちらのジャケットをご覧ください。

森山良子「日付けのないカレンダー」ジャケット(画像提供:テイチクエンタテインメント)

森山良子「日付けのないカレンダー」ジャケット(画像提供:テイチクエンタテインメント)

はいはい(笑)。

──森山さんがお生まれになった1976年7月にリリースされた、お母様である森山良子さんのアルバム「日付けのないカレンダー」です。この中央に描かれてる赤ちゃんが森山さんですよね?

そうなんです。「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」のときは右も左もわからないままデビューが決まって。「ジャケットどうする?」と聞かれても全然わからないからどうしようと思っていたときに、ふと浮かんだのがこの「日付のないカレンダー」だったんです。全曲松本隆さんの詞で、演奏に細野晴臣さん、ムーンライダーズといった方々が参加された、かなりコンセプチュアルなアルバムで。今さら矢吹さんにこんなこと言ったら怒られるかもしれないけど、僕、子供の頃にこのイラストがずっと怖かったんです。今でもうまく言葉にできないんですけど、すごく牧歌的なのにどこか影がある、みたいな。ここに自分がいるという認識もないまま家のリビングに置いてあったので。子供ってイマジネーションが豊富だから、対象そのものの本質を自分の空想の中で広げてしまうんですよね。それで恐怖のほうが勝っちゃって。

──小学校に飾られている肖像画が急に怖く感じられるのと近い感覚ですね。

でも自分のルーツだし、母親のアルバムの中で一番好きな作品なんです。それで矢吹さんにお願いしたところ、二つ返事で「いいよ」と言っていただけたので、こういうジャケットになりました。今思えば異様ですよね。突然ロバがいたり(笑)。

森山直太朗「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」ジャケット(画像提供:ユニバーサルミュージック)

森山直太朗「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」ジャケット(画像提供:ユニバーサルミュージック)

──直太朗さんの指定だと思っていました。

僕からの指示は何もなかったんです。矢吹さんに僕のアルバムを聴いていただいて、できあがってきたのがこのジャケットで。このあとしばらく「星屑のセレナーデ」「さくら(独唱)」「夏の終わり」と矢吹さんシリーズが続くわけなんですけれども。

──このお話をさせていただいたのは、20年前の「乾いた唄は魚の餌にちょうどいい」と今回の「素晴らしい世界」には、どこかつながるものがある気がしたんです。

なるほど……今回の「素晴らしい世界」を作る前に「人間の森」っていうツアーがありまして。2019年の6月にそれが千秋楽を迎えたとき、いい意味で自分の限界を知ったというか、燃焼しきった実感があったんです。同時にこの先、自分が魂レベルでやりたいことともう一度向き合わないと、とてもじゃないけど次のステージには立てないなと感じて。それでデビュー以来一緒に曲を作ったり、プロデュースやライブの演出をしてくれていた御徒町凧とここで1回距離を置いて、表現者として、1人の人間として何がしたいのかをお互い1人になって考えたほうがいいかもねと話し合ったんです。そもそも彼は高校のサッカー部の後輩だったし、友人としては今後もずっと続く関係だと思うんですけど、僕自身は1人になったことで、御徒町と出会う前、自分の部屋の片隅でギターをポロロンと弾いて歌っていた感覚をもう一度掘り下げていきたいと思って。考え方だったり曲作りに対する姿勢だったり、原点に立ち返ろうとする日々が続いたんです。それがコロナになるちょうど1年ぐらい前かな。

森山直太朗

──そうだったんですね。

「素晴らしい世界」は僕が音楽を始めた頃と作り方がすごく似ていて、デビューアルバムのような距離感で、自分と1曲1曲との関係性がすごく密な味わいがあるんです。構想自体は2年以上前からありましたけど、去年の9月から本格的にこのアルバムの制作に取りかかる中で、何度も懐かしい気持ちになったんです。「ああ、この七転八倒は『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』を作っているときの感覚にすごく似てるな」という既視感。別にアルバムを作ることが夢でもない、ただ路上で歌ってただけの人間が「アルバムを作ろう」「ツアーをしよう」と周りから言われたときの、どうしたらいいのかわからない感覚。でも「このアルバムという1つの箱の中に今の俺の想像力とか思いをどうにか詰め込まなきゃ!」という気持ちに駆られて作っていた感覚と、今回の「素晴らしい世界」はすごくリンクするものがあるなというのは感じていたので、「どこかつながるものがある気がした」という感想にちょっとびっくりしました。

──1曲1曲に込められた「これが作りたい」という思いが2枚のアルバムに共通して感じられたんです。

やっぱりそうなんだ。僕はそこまで客観的になれないから。

──これまでの森山さんだったら「こういう感じの曲になるだろう」ということをなんとなく想像できたけれど、この「素晴らしい世界」はそれがちょっと見えないというか。「次にどんな曲が来るんだろう」という、デビューアルバムのときのようなワクワク感が感じられるんです。

そういうふうに感じていただけたのは、めちゃめちゃうれしいです。

森山直太朗
森山直太朗

我々の価値ってなんだ?

──森山さんが新しいことを始めようと思っていた矢先、コロナ禍に見舞われて世の中は大きく変わってしまいました。この2年間についてはどのように捉えていますか?

まだコロナが収束したわけではないので、あくまで途上の印象ですが、僕自身、例えば幸福とか、豊かさとか、価値について改めて考え直す時期だったので、時を同じくしてこういう状況になって、同じ時代を生きる人たちとこういう共有体験ができたことはすごく貴重だと思っています。とりわけ自分に関してはコロナに感染して、ひと言では説明できないくらい壮絶な経験をして。心身ともに追い込まれていく中で、うまく言えないけど、本当に大切なもの、自分にとっての本質を改めて感じる不思議な体験がたくさんありました。国によってはロックダウンする場所もあったし、日本でも緊急事態宣言が出ましたけど、社会全体の機能がストップして家に閉じこもらなきゃいけない、何もしなくていいとなったときにあなたは何を思いますか?という、ものすごく大きなクエスチョンを投げかけられた気がして。今まで社会的理由で後回しにしていた、自分自身にとって本当に大事なことはなんなんだということを考えざるを得ないというか。要するに社会とか人間っていう概念より、生き物としての倫理観みたいなもの。今まで効率や合理性優先でないがしろにされていたもの。「我々の価値ってなんだ?」そういうものを改めて見直す時間だったなって。

──なるほど。

実はこの答えはまだ出ていなくて。生に対する執着みたいなものを僕自身が忘れかけていたときにコロナに感染してしまったんです。死にかけたというと大げさだけど、本当に死を身近に感じるような体験で。そこを経て得られた、生の営みや身の回りにある景色がとても愛おしいという感覚。今年の初めにオフィシャルサイトに掲載した決意表明にも書きましたけど、圧倒的な闇とほのかな光がこの世界を形成していて、しかもその世界は外側ではなく常に内側に存在するものなんだという自分なりの答えにたどり着いたわけです。まだまだ見通しは明るくないし、人と人がいがみ合ったり、ソーシャルメディアで揚げ足取りや言葉狩りをしてるような陰湿な部分もあるけれども、それでもやっぱり「素晴らしい」と言い切ってしまえ、と。それを素晴らしいと思えるか思えないかは自分の内側にある問題なので。長くなりましたけど、この曲と出会えたことが自分にとってコロナの2年間における成果じゃないかなと思います。

森山直太朗

──アルバムタイトルになった新曲「素晴らしい世界」は、病床に伏したときの思いが反映された曲だったんですね。

そうです。ただ、コロナに感染したことがこの曲が生まれた入り口だけど、たぶんコロナに感染しなかったとしても自分の内側には絶対にあった肯定的な感覚だったんです。コロナ禍という環境を同時代の人と共有したこと。さらにはコロナに感染してフィジカル的に追い込まれて内省の時間が長かったことが、それを持ち上げたり促進してくれたなって。でも、それって今の日本とか世界で起きてる現象と同じで、淘汰されたものってたくさんあると思うんです。それが必ずしも本質的ではないとは言い切れないですが、これから先は自分たちにとって本当に必要なものが残っていくし、それをどう自分たちが選んでいくかすごく試されてるんじゃないかなと思います。

──コロナ以前と以降だと、今作の「すべては光と影で成り立っている」というテーマも受け取り方がまったく変わりますね。1曲目の「素晴らしい世界」は、ピアノの音やグリッチなど音作りにこだわった世界観に引きずり込まれる感覚を覚えました。

自分自身の意識とか存在もそうだったんですけど、ただ漂っているものを表現したかったんです。そうなったときに“歌う”という行為は自意識との戦いだったりもするので、それすらも忘れてしまうイメージで作りました。本当に別世界に行った感覚だったんですよ。ずっと悪夢にうなされて、どこまで行っても同じ景色にたどり着くみたいな無限ループの世界。あの世界を描きたいとなったとき、ミュートしたピアノで録ったんですけど、音は出てるけど決してきれいな音じゃない、叫びたいんだけどうまく大きな声が出ないみたいな、夢の中の世界を描きたくて、ああいう音色になったんです。

──この曲を聴いてまず、宇宙空間にひとり取り残される「ゼロ・グラビティ」という映画を思い出しました。

まさにそんな感覚でした。取り残されることが恐怖だったんです。コロナになると誰も近付けないし、当時は保健所もなかなか連絡がつかなかったし、病院も空きベッドがない。とにかく社会と断絶された場所にいたから。その分断の中で悪夢にうなされるんだけど、その先にあったのは誰からも連絡が来ない、すべてのしがらみから解放された世界だったという不思議な体験だったんです。「ゼロ・グラビティ」って、そういう話ですよね。僕は宇宙に行ったことないからわからないけど。前澤(友作)さんじゃないから。

──ははは(笑)。

でも、本当にそんな感覚。無重力の中、ただ母体の中で眠る胎児のような感覚でいました。だからこそ「素晴らしい世界」って思えたんですよね。すごく観念的な話だから、説明がめちゃめちゃ難しいんですけど。

──おっしゃっていただいていることは伝わります。胎児としての最初の感情が「素晴らしい世界」なら、生まれ出てお母さんに抱かれたときの言葉が「愛してるって言ってみな」になるのかなと。「愛してるって言ってみな」は一転してハンドクラップも入るダンサブルなナンバーですが、伝えたいメッセージは「素晴らしい世界」の延長線上にあるもので、それがさらに力強い言葉になっているなと感じました。

この曲も10年ぐらい前からあった曲なんですけど、自分にしてはちょっとポップかなとか、誤解を与えるかも、みたいに変に考えすぎてしまってリリースできなかったんです。だけど「素晴らしい世界」という曲ができたとき、同じかちょっと遅れたタイミングで、なぜかこの曲が自分の中でずっとループしていて。これはもしかしたら「愛してるって言ってみな」って曲を歌ってみろと言われてるのかなと思って。この2曲が自分の中でふっと浮かび上がってきたときに、今回のアルバムの1つの軸ができたと確信して、そこから制作が具体的に進行していくことになるわけです。

──核になるものを見つけられたと。

そうですね。

──その時点で今作がデビュー20周年のアルバムになるという意識はあったんですか?

少なからずあるんですけど、それほど大きくはなかったです。結局20周年って、“たった今”を積み重ねたものじゃないですか。たった今の自分が感じてるものとか、捉えてる世界を表現することでしか作れないなという感覚ではあったので、1曲を作るのと同じような速度と熱量でアルバムを作るというか……うまく言えないけど、アルバム自体が1つの曲のような感覚で作りました。なので、僕自身は集大成ですとは言わないけど、ほかの人からこれを「集大成ですね」と言われても全然不思議ではないし、そうだろうなとも思う。だから20周年はあくまで景気づけであって、僕個人にとっても本当に“たった今”を切り取った1つの通過点であるという感覚のほうが強いですね。