音楽ナタリー Power Push - 宮沢和史
「音楽」を経て見つめる未来
次の世代のために席を空けておく
──しかし、そのステージから一度降りることが、どうしても必要だったんですね。
そうですね。そうやってきちんとけじめをつけてみると、新しい扉が開いたような感覚になりました。これまで見てこなかったもの、そして「時間があったらやりたい」とは思ってもやれなかったようなことがたくさんあって。音楽だけをやっていたらそういうものに触れることはできなかったから、正直これからが楽しみですね。音楽家になるのが夢でしたが、これからはただ音楽を演奏したり歌ったりするためだけに人生を費やそうと思ってはいないので。これまでの日々で脇に置いてきたことを今、やり始めることができていると思っています。
──今までできなかったことをするための助走段階、ということですか?
やっぱり勉強をしないとね。プロの音楽家をやっていると、インプットをする時間よりも放出する時間のほうが圧倒的に多いんです。ため込めるときにためて、それを一気に出す……僕の場合はしばらくギターを抱えてブラジルに行って、ガツンとやられて帰ってきては曲を作って、それを皆さんに届けるというようなやり方でしたが、それにしたって、ブラジル音楽の背景を細かく勉強する時間は全然足りなかった。だから、今は吸収する時間ですね。方々で講演を頼まれたり、5月から沖縄県立芸術大学で授業も持っているんですが、人に向かって何かを話すには、その何倍もこちらが勉強しなければならない。大変ですが、楽しいですよ。
──作品を作っては出して……というサイクルの中で活動してきたのとはまた違うやりがいがあるんでしょうか。
そうですね。これまではバンドでもソロでも、常に光を浴びてステージの一番前に立たせてもらってきた。その喜び、充足感、そうしたものは抱えきれないほど皆さんからいただいたと思っています。今、この時代には楽観視できる要素は1つもなくて、若い人たちがすごく閉塞感にとらわれている気がします。欲望や希望の形も変わってきて、僕の世代からは彼らが考えていることが想像もつかなかったりもする。だから、これからはなるべく近くに行って彼らのことを知りながら、僕が光を浴びるのではなく、彼らに光が当たっていくことにつながるような活動をしたい。
──歌ではない形で次の世代に伝えるべきことがある、ということですか。
これまでは「言葉ではなくて音楽で伝えるんだ」というスタンスだったので、講演とか講義のようなものはなるべく断ってきたんですけど、いざそういうことをやってみると、人数は限られているけど、僕がこれまで見てきたものや感じてきたことをダイレクトに伝えられるし、その形で伝えるべきことは確かにあると思いました。歌ってCDにしたり、メディアに乗せて無差別に放つだけではなく、直接手渡すという選択肢もあるな、と。その中で、自分が歌う必然性があるなら腰を上げてそのうち歌うかもしれないし。衣装を着てヘアメイクをして、光を浴びながら歌うのもいいんですけど、今はそれより、僕の分の席を若い人のために空けておいて、彼らが閉塞感から脱して、光の射すほうに向かうための力になりたいと思っています。
今のままのことを続けるのはやめよう
──そのための活動に移るタイミングが、なぜ今だったんでしょう? 年齢だけが理由ではないですよね。
たくさんの人が「ミヤ、なんで辞めるんだよ! まだまだやれるだろ」「衰えてるわけじゃないし、自分のペースでやれるよ」と言ってくれるんですけどね。ただ僕が今やりたいことは、自分が衰えてからではできないんです。その力が残っていて意欲も燃えているうちに、次のことをやっていきたいと思ったんです。
──そうした気持ちになってきたのは、いつ頃からですか?
ここ3、4年くらいかな……。いろいろな要素はありますが、やっぱり東日本大震災が大きかったですね。語弊はあるかもしれませんが、あの震災ではたくさんの人が涙を流しながらも、一方では、バブルの余韻や感覚を引きずったままだった日本の意識が変わる最大のチャンスだったと思うんです。僕も背筋が伸びましたし、「今までのやり方では、この国はもうやっていけないんだ」ということにみんなが気付くチャンスだった。でも、この国は何も変わらなかった。1年経ったらもう前と一緒で。「これは……ダメだな」と思ったんです。「今のままのことを続けるのはやめよう」と。あのとき、自分が当然来ると思っていた明日なんて一瞬でなくなり得ることを痛感したし、2万を超える人の未来があっという間になくなるのを目の当たりにしてしまったからには、今後は自分の信じることをさらに濃密にやっていくしかない。そう考えたら、マイクが少し重く感じてきたんですね。
──それは、未来に対する責任感ということなんでしょうか。
そんな大層なことはできないし、僕の未来に対する責任感には誰も期待していないかもしれませんけどね。ただ、すごく特別なことをしなくても、0.1mmでも何かを動かすことがその後の世界を作ることにつながるのだとしたら、僕がやれることはまだあるなと。そして、特に沖縄に対してはそれを強く感じていましたから。
沖縄への思い
──そこでまた沖縄へと気持ちが向かっていったのは、いったいなぜなんでしょう?
僕がデビューする頃までは、やはり内地と沖縄で心理的な距離感はすごくあった。だけど、音楽シーンの門は1990年代にすごく開かれた印象があったんですね。ネーネーズやBEGIN、ディアマンテスがメジャーレーベルからデビューして、喜納昌吉さんが逆にメジャーから沖縄に帰ってきて。一方BO GUMBOSやZELDA、ソウル・フラワー・ユニオンの中川(敬)といった内地のミュージシャンも、ときを同じくして沖縄に傾倒していった。僕らも沖縄の人たちも門が開いた瞬間を見た、その体験がやはり僕に大きな影響を与えているんです。
──日本に「返還」されて20周年前後のタイミングですね。
そうですね。その強烈なインパクトが、「島唄」を作る動機になった。ヤマトと沖縄の歴史、過去に起こってしまったことを変える術はもうないけど、僕たちが沖縄の心を理解することによって、未来は何か変わるんじゃないか。そうしなければいけないという宣言だったんです。だからと言って、沖縄の人たちとすぐに肩を組んで仲よくなるようなことはなかった。「宮沢さん!」と声をかけてくれたり、温かく迎えてくれる人もいたけど、沖縄の音楽の伝統を守り続けている方々からは厳しい目を向けられていたときもありました。ですが、「島唄」20周年の映画を作った2012年頃から、それが変わってきたような気がして。ようやく普通にしゃべれるようになってきたというか、向こうも「いろいろあったけど、あんたはまだ沖縄に来てくれてるね。通りすがりじゃないんだね」という感じで見てくれるようになって。そこで、「今なら沖縄のために何かできるんじゃないか」と思ったんです。
──そこに至るまで、20年かかったわけですか……。
もともと僕は沖縄の民謡がきっかけで沖縄を好きになったので、あの素晴らしい音楽文化のための貢献を何かの形でできないかと思いました。それで植樹や、民謡の記録活動を始めるうちに、「今なら沖縄の人も協力してくれるし、もっとこうしたことに力を注ぎたい」と思うようになって(参照:宮沢和史「MUSICK」インタビュー)。沖縄は僕の目を開いてくれて、そこからブラジルにまで至る旅の出発点になってくれた場所でもあるし、20年以上「島唄」を歌わせてもらって、あの歌のおかげでたくさんの人と出会えたから、その恩返しをしたくなったんです。僕がこの先ステージに立って歌えたとして、長くても20年。だけどその20年を超えて、それこそ自分の命の長さもはるかに超えて残っていく文化や価値のために、できることをしようと。それは決して片手間でできることではないので「バンドを辞めて、音楽活動も休もう」という決断をしました。
──宮沢さんがそこまで沖縄の民謡に惹かれたのはなぜなんでしょうか?
僕の美意識にぴったりなんですよ。レゲエやブラジル音楽といった中南米の音楽にも感じることですが、悲しみや美しさに対する感受性、光を求める心がとてもシンプルに表されていて。虐げられ、4人に1人が死んだとも言われる戦争のような逆境を経験しながらもたくましく生きてきた、その歴史の風のようなものが、あの音楽の中にはまだ吹いていて、一度も止まっていない。歌われる1つひとつのシーンということだけではなく、そこに込められた沖縄の品や美学、そして琉球王朝の頃から連綿と続いてきた文化そのものの物語に、僕は感動しているんだと思うんです。そうしたものを内地の僕らはだいぶ捨ててしまったし、欧米化の中で売り払ってきた。だけど、沖縄にはまだそれが残っていて、博物館の標本としてではなく、今もリアルな文化として生きている。沖縄の若い人の間でもだんだん古い言葉がわからなくなってきたりしていて、このまま残っていく可能性としてはかなりレッドゾーンに近いということは肌で感じますが、その未来に対して少しでも力になりたいですね。
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宮沢和史(ミヤザワカズフミ)
1966年山梨県甲府市生まれのシンガーソングライター。THE BOOMのボーカリストとして1989年にデビューし、2014年に解散するまでに14枚のオリジナルアルバムをリリース。一方でソロ名義で5枚、GANGA ZUMBAとしてアルバムを2枚発表している。2015年12月には過去のナンバーや新曲、新録のセルフカバー曲などをパッケージしたベストアルバム「MUSICK」を発売し、2016年1月に歌手活動の休止を発表。同月に休止前最後となる全国ツアー「宮沢和史 コンサートツアー 2016『MUSICK』」を開催した。6月には同ツアーのファイナル公演の模様を収めた映像作品「Miyazawa Kazufumi Concert Tour 2016 MUSICK」をリリースしている。