ナタリー PowerPush - 坂本美雨
複雑なハーモニーで描きだされた みずみずしい「HATSUKOI」
世界との関係性を考えて作った作品
──苦労の末に描き出した愛の歌たち。ご自身ではどう感じてますか?
思ったほど恋愛の曲ばかりにはならなかったですね。親子愛とか、大きな愛とか、いろんな形が出てきました。根源的なものを描いてみたいと思ってたんですよ。恋愛の気持ちにしても、たぶんもっと深いところにはその人を好きになる大きな理由があるんだろうなって考えたり。そこに近づいてみたいっていう思いがあったんです。だから、あなたのことが気になる、逢いたいっていう気持ちをストレートには書かないようにして。単純にそういう手法が好きなんですよね。
──“愛”っていうワード自体、ほとんど出てこないですもんね。
そうですね。それを言っちゃったら1行で終わっちゃうから(笑)。例えば、このコーヒーカップのことを描くとしても、その形のことをずばり言うんじゃなくて、周りのことを表現することによってコーヒーカップの形が浮かび上がってくるっていう芸術のありかたが好きなんですね。歌詞だけじゃなく、いろんなことに対して思うことなんですけど。もちろん、はっきり「コーヒーカップ!」って言ってものすごく説得力がある人もいっぱいいると思うんですけど、今の自分はそうじゃないかなって。
──各曲はそれぞれ物語として独立していますけど、特定のワードでリンクしていく感じもあったりして。アルバム1枚としてすごく心地良く聴けました。
“世界”って言う言葉は何回か出てきますね。あの曲に使ったしなぁって脳裏を一瞬よぎったりはするんですけど、あえて使ったりしました。今回は少し客観性が出てきたというか、この世界の中でどう生きて、どういう人をどう愛すか、どういう守り方をするかみたいな、世界との関係性っていうことを考えてましたね、自分の中で。
──3月11日以降、ものすごく意味を持って響いてくる内容ですよね。
かもしれないですね。今の状況を想定して書いたわけではないですけど、そういうことを一人ひとりが考え直したときだと思うので。自分自身にも当てはまることが多いなってあらためて思いました。「Precious」という曲で歌っていることは、震災後にますますそう思えるようになりましたし。
ひとつのコード進行に対して何通りものメロディが成り立つはず
──歌に関してはどうですか? 美雨さんならではの広がりのある世界が、声によって表現されている印象ですけど。
自分の声を使って今までに見たことのない景色を作れたかもしれない、とは思ってます。同時にまだまだ足りないところとか、技術的にできてないところもいっぱい見えてきて、うわーって思うんですけど(笑)。
──今回、声という部分でのトライって何かありましたか?
ブルガリアンポリフォニーのように、当たってる音同士のハーモニーっていうのがおもしろかったですね。すごく好きで、やってみたかったことだったので。「Interlude -Lacryma Dancer」とか「Everything is new」でやってるんですけど。
──当たってる音っていうのは、不協和音ってことですよね?
そうですね。普通にピアノとかで弾くとものすごい不協和音になるんですけど、人の声になるとドレミファソラシドっていう音を全部一斉に鳴らしても不協和音にならないんですよ。それがブルガリアンポリフォニー。楽器だと成り立たないのに声だと成り立つっていうのが、子供の頃から楽しいなって思ってたんです。これからも多用していきたいんですよね。あともうひとつ、独立したメロディが輪唱みたいに重なってくる手法も、何回か使ってますね。いわゆるAメロ、Bメロ、サビ、落ちサビみたいな構成じゃない曲の作り方が楽しかったです。
──それが一番顕著なのは「Ring of tales」ですよね。それぞれ違った歌詞の乗った3つのメロディが同時に鳴るという。面白いですよね。
歌っててもすごく楽しいですね。もともと、私はどんな音楽を聴いてても、自分なりのメロディをコーラスでつけちゃうクセがあって(笑)。ひとつのコード進行があったら、そこには何通りもメロディがあって、それは共存しても成り立つはずなんですよ。しかも、それが自分の声なので成り立たないはずはなくて。ただ、それひとつひとつに違う歌詞をつけて歌ってるのはあんまりないとは思うんですけどね。音楽っていろんな形があってもいいものなので、もっともっと自由に作りたいなって思ってます。
CD収録曲
- Joy
- Ring of Tales
- Precious
- Interlude ? Lacryma Dancer
- Let You Go
- True Voice
- Accidental Merry-go-round
- Silent Dancer
- Everything Is New
- Eyjar
坂本美雨(さかもとみう)
1980年生まれの女性シンガー。1997年1月に「Ryuichi Sakamoto featuring Sister M」名義でデビューを果たし、1998年から本名での本格的な音楽活動を開始する。透明感あふれる歌声が高く支持されており、1999年発表のシングル「鉄道員」は映画「鉄道員(ぽっぽや)」の主題歌に起用。2006年5月にはアルバム「Harmonious」をリリースしている。現在は音楽活動の他に、コラムや映画評の執筆、翻訳、ラジオDJ、ジュエリー・ブランド「aquadrops」のプロデュースなども行っており、多方面で活躍中。父は坂本龍一、母は矢野顕子。