ナタリー PowerPush - 坂本美雨
初ベストアルバムまでの15年
やっと目覚めてきた
──このアルバムに年代順に収められた24曲を聴いていると、美雨さんの音楽性が時代とともに変化していることがよくわかります。
前半のワーナー時代、「in aquascape」(1999年)までが教授(坂本龍一)の曲で。そこから教授のもとを離れようとしていろんな人とコラボレーションするんです。
──離れようとしてた?
そうそう。事務所も離れて。アルバム1枚は出したし、ずっと彼のプロデュースでっていうことは私も彼もそもそも考えてなかったんです。それでいろんな人とやり始めて、すごくいい曲はできたしシングルはたくさん出たんだけど、なかなかそれが1枚のアルバムにまとまらない時期っていうのがあって。結局「THE NEVER ENDING STORY」(2005年)まで5年くらい空くんです。
──アルバムにまとめられなかったのはなぜですか?
いろんな人と化学反応を起こして、自分の声でいろんなジャンル、いろんな人を紡いでいきたかったんだけど、やっぱり自分の歌が弱かったんだと思う。説得力がなかった。アルバムにしようと思って曲を並べてみるとなんだか雑多な感じで、1曲1曲がバラバラに聞こえてしまって。
──でも制作スタイルとしては今につながるものですよね。自分のやりたいことを仲間たちと一緒に作っていくという。
そうですね。この頃から自分が出会った音楽仲間とやっていくのがすごく楽しくなってきたんです。「朧の彼方、灯りの気配」(2007年)っていうアルバムはROVOのメンバーが参加してくれて、エンジニアには益子樹さんを迎えて、それ以来ずっとエンジニアリングは全部益子さんに頼んでいて。その前の「Harmonious」というアルバムから森本千絵ちゃんとタッグを組み出したり、おおはた(雄一)くんともそれぐらいから一緒にいるようになってユニット「おお雨」を結成したり。そういう音楽的パートナーとの出会いが25、6歳のときにワーッとあったんですよ。で、やっと目覚めてきた(笑)。
音楽をやめようと思って母親に相談
──多くの出会いがあったその時代から現在までは地続きですか?
えっと、このDISC 1とDISC 2でまたパキッて分かれますね。DISC 2はデイヴ・リアン(Shanghai Restoration Project)との3部作になってるんですが。2008年に「Zoy」っていうアルバムを出して、そのあとやりたいことがよくわかんなくなってやめようかなと思ってたんですよ。
──えっ?
もういいかなって思ってた。歌うこと自体は大好きだったけど、この業界で踏ん張るっていうエネルギーがなくなってしまって。それでうちの母親(矢野顕子)に「ちょっと次やりたいことが浮かばなくて……」って一度勇気出して相談してみたんですよね。そしたら「やめれば?」って言われて。
──そんなにズバッと(笑)。
母親にそんなふうに相談するの初めてだったんですよ。そしたら「やめれば?」だったから「そうですよね……」って数カ月落ち込んで(笑)。
──やめようと思ったのはそもそもどうして?
なんだか自分がこうやって歌ってきても全然人の役に立ってないと思って。だから例えばスタバの店員になっておいしいラテを作って、これから働きに行く人に朝おいしいラテを1杯手渡すとか、そういうことのほうがよっぽど世の中の役に立つんじゃないかと思ってた。でも歌をやめるなら、最後に何か人を元気付けられるもの、ポジティブなものを作ってみたいと思って、それで当時iTunesで見つけたShanghai Restoration ProjectにMySpaceからメッセージを出して「一緒にやりませんか?」って伝えたの。
──それがアルバム「PHANTOM girl」(2010年)になるんですね。
デイヴはニューヨークに住んでたんだけど、会ってみたら同世代で性格もよくて。そのときニューヨークのカフェで2人で話して「次が最後だと思う。最後に明るいアルバムを作りたいから助けてくれ」って言ったんです(笑)。
──本当に最後のつもりだった?
うん、そう思ってた。
──デイヴと出会って、新しい音楽人生を歩み出そうという気持ちにはなれなかった?
うーん、デイヴと最初に話したときはやっぱりそこまでは思えなかった。でもそこから作り始めたら楽しくなってきて、バーッと開けたんですよね。だからその勢いで3枚作れた。
──確かに「PHANTOM girl」でずいぶん印象が変わりましたよね。
転換期ですよね。自分の内省的なぐちゃぐちゃから音楽の中へ逃げ込む、救いを求めるみたいな時代が終わって、もっと外に出たいと思ってた。人に向かって手を伸ばせる歌い手に変わりたいと思ってたんです。
──素の自分を歌に出すことに抵抗はなかった?
それはありましたよ。だから本当に徐々にだと思う、その変化は。いきなり自分を出せたわけじゃなくて。やっぱり歌への意識が変わったんですよね。
──どういうことでしょう?
自分自身が歌だっていうことに気付いたというか。やっと歌が自分の体になった。体が楽器になってきた。ミュージシャンが本気で楽器を鳴らしたときにその人自身が出ちゃうと思うんですが、歌は呼吸そのものだからなおさら、何を歌っても自分。そういう“歌う楽器”になってきたんだと思う。
- ベストアルバム「miusic ~The best of 1997-2012~」
- [CD2枚組] 2013年6月26日発売 / 3360円 / ヤマハミュージックコミュニケーションズ / YCCW-10200
DISC 1
- The Other Side of Love
- 鉄道員
- The letter after the wound
- in aquascape
- 15分
- sleep away
- The Never Ending Story(new vocal ver.)
- 彼と彼女のソネット
- オーパス&メイヴァース
- Swan Dive
- あかりの気配
- おだやかな暮らし
DISC 2
- Phantom Girl's First Love
- Far Across The Sky
- Our Home
- Ring of tales(Lily Star Fiddle Remix)
- Precious
- True voice
- Everything is new
- あなたと私の間にあるもの全て愛と呼ぶ
- I'm yours
- 雨とやさしい矢
- 永遠と名づけてデイドリーム
- The Other Side of Love(afteryears ver.)
坂本美雨(さかもとみう)
女性シンガー。1997年1月に「Ryuichi Sakamoto featuring Sister M」名義でデビューし、1998年から本名での音楽活動を開始する。透明感あふれる歌声が高い支持を集め、1999年発表のシングル「鉄道員」は映画「鉄道員(ぽっぽや)」の主題歌に起用された。2010年からはニューヨーク在住のプロデューサー「Shanghai Restoration Project」とともにエレクトロニカポップ路線のサウンドを追求し、同年5月にアルバム「PHANTOM girl」、2011年5月に「HATSUKOI」を発表。2012年8月のアルバム「I'm yours!」ではKREVAとのコラボレーションでも話題を集めた。現在はおおはた雄一とのユニット「おお雨」としても活動中。父は坂本龍一、母は矢野顕子。