私はたまに物を壊したくなるけど
──面白いですね。アルバムの中でいうと、そういう表現の仕方を感じるのは「優しく」ですね。この曲、6分半近くあって、長いじゃないですか。
やっぱり長いって感じますか? まあ、長いですよね(笑)。
──これはもともと構成として長くするつもりだったんですか?
あの曲こそ、“イライラ”の要素を取り入れて作りました。不快な気持ちが脳裏にこびりついてダラダラと続いてくことって、日常的にあるじゃないですか。そのムードをアウトロで表現したかったんです。それまで無表情に曲が続いていたところから、ふつふつと不快感を思い出したかのような雰囲気にしたくて、鳥居くんにギターで表現してもらいました。でも、レコーディングのときに「どのくらいイライラすればいい?」と言われて、「鳥居くんって普段どんなふうにイライラするの?」って聞き返して(笑)。やっぱりイライラの仕方は人それぞれじゃないですか。「私はたまに物を壊したくなるけど」とか、そういうやりとりを踏まえて何回か弾いてもらったあと、「長めに弾くからいいところを使って」と言われたんですが、最後のテイクが全部素晴らしかったので、結局すべて使いました。それで長くなったんです。
──新鮮でしたよ。今は曲の構成から考える人が多いから「結果的に長くなっちゃった」ということがあんまり起こらないんですよ。だから、こういうタイプの“長さ”はひさびさに聴いた感覚があります。音楽的な指示の代わりに感情をキーワードにして作ったというエピソードを聞くと、その理由の片鱗がわかった気もします。それもバンドという形式の中で生まれた“mei eharaメソッド”というか。
本当はもっと音楽的な知識を共通言語にして伝えるべきかもしれません。でもメンバーが何人かいる分、私が表現したいことを全員で謎解きしてくれるから助かりますね(笑)。
物語を伝えていく姿勢
──その一方で、シティポップ的な要素を感じさせる構成の「歌の中で」のような曲も今回生まれています。ただ、ポップなだけじゃなく、言葉に感情を宿してるのがmeiさんらしいというか。それもどっちかというと前向きな感情じゃない。不穏さをポップに表現できてるのが面白いなと感じます。そこは「Sway」のときとはまた違ったストーリーがあるんでしょうね。
私は日本語とメロディの相性をとても重要視した歌詞の作り方をしているんですけど、最近までは言葉で何かを伝えようとはしていなかったんです。「Sway」のときは、(辻村)豪文さんにプロデュースしていただくにあたって「この曲にはこういう映像やイメージがあります」とこと細かく文章に起こして伝えたりはしたんですけど、完成した曲を聴いた人に私が持っている映像やイメージを、言葉を通じて提示したいとは思っていませんでした。でも今回は今までとは逆で、言葉と曲のアレンジによって、私が思い描く映像的なものを基礎にして聴き手が風景やシーンを各々想像しやすい音楽にしたいと思っていました。
──それはあらかじめ決めていたんですか?
いえ、そういうアルバムをはじめから意識していたわけではなかったと思います。でもなぜそれに気が付いたかというと、取材で「歌っているときはどんな気持ちですか?」という質問を受けたからなんです。今までの私は、作った曲をライブで歌うとき、言葉を歌として発することよりも、メロディや音と声の表現に注力していて、歌詞のことはおざなりだったと思うんです。でも、今回のアルバムに入っている曲をすでにいくつか弾き語りで披露しているんですが、そのときはすごく言葉を意識して歌っていると思います。読み聞かせじゃないですけど、言葉を伝えようとする姿勢が新しい曲にはあったなと気が付いて。
言いたいことは“人と人との付き合い”だな
──「昼間から夜」も、そういう意味で歌詞を眺めると情景的ですよね。それに曲のタイトルも「今ここにいて私は大丈夫」というニュアンスではなく、常に移ろいでいる状態を表現しているものが多い。
今回のアルバムに入っている曲のほとんどが、人間関係か、人が時と共に変化してしまうことについて歌ったものなんです。学生時代から仲のよかった友達と離れ離れになったり、SNSとかくだらないもののせいで誤解が生まれて疑心暗鬼になって、疎遠になったり決別したりすることがここ数年多かったんです。カクバリズムに入ったことで環境が変化したり、交友関係も変わったり、ネガティブな意味でもポジティブな意味でも、いろいろなことがありました。私も自分自身の人間性に変化があったと実感していますし。そういう中で“対人”を意識した歌詞を自然と作っていきました。それから、「Sway」を出したあとで角張さん(カクバリズム代表)が「meiちゃんの曲は一人称が多いから、誰か他者の存在を感じられるような曲も作ったらどうかな?」とおっしゃっていて。そのことについても課題として考えていたというのもあります。
──それが、アルバムタイトルの「Ampersands」にもつながっている?
はい。もう会わなくなった人たちと過ごした時間を忘れられるわけでもないし、傷付いたことや他人を傷付けて自分に幻滅したこと、後悔みたいなものとも一生付き合わなくちゃいけない。だから、最初はアルバムタイトルを「Blotch」にしていたんです。“シミ”とか“傷跡”というような意味です。でも、ちょっと英語的にあまりイメージがよくないという意見もあって、いろいろ考えたときに「単純に言いたいことは“人と人との付き合い”だな」ということで“&”という意味で「Ampersands」にしました。
──このアルバムの最後のピースになったのは?
「鉄の抜け殻」です。
──ああ、やっぱり。ラフにエア録りしてる音の質感的にも、あれはグッと来ますよね。
かなりギリギリに作りましたね。いろいろ曲は作っていたんですけど、結局、あまり深く考えずにパッとできた曲を入れようと思って。あの曲ができたのは、去年の9月あたりです。カフェで弾き語りライブをすることになっていたんですけど、その日の朝にぎっくり腰になってしまって、悲しみながら作った曲です(笑)。バスでカフェに行くまでの間に歌詞も仕上げて。でも、ぎっくり腰の歌じゃないですよ。レコーディングの時点ではアレンジもちゃんとしたかったんですけど、タツくんが「これはみんながいるザワザワした雑音のある状態で録ったほうが面白い」と言うので、そうしました。レコーディングの最終日まで「これ、やっぱり録り直したほうがいいんじゃ」とうじうじ思っていたんですけど、いろんな方に聴いてもらったら「あれがよかった」と言われました。
──「Ampersands」が人間関係のアルバムなら、最後に雑踏にまみれていくような演出にも感じるし。パッとできて、パッと録った曲かもしれないけど、あとあと大事になる気がしますね。
私も結果的によかったのかなと思っています。
近すぎず遠すぎず
──もちろんこの作品は配信もされましたが、フィジカルとしてはCDとアナログLPで発売されました。自分の音楽がさまざまな形を持って世に出ていくということについては、どう感じてますか?
私はそもそも物が好きだし、曲を作る以外でも音の深みを出すための作業が大事だとこれまでも地道に感じ取ってきたので、ジャケにしても音にしても、パッケージにすることでどうなるか、そのすべてのことにこだわりたい気持ちは常にあります。
──「Ampersands」は、バンドメンバーのよさを作品に封じ込めた作品でもあると思いますね。
そうですね。すごく満足しています。早く次回作もやりたいなと思っています。メンバーは全員ほぼ初対面みたいなものだったんですけどね。でも最終的には近すぎず遠すぎず、いい距離感で仲良く楽しく音楽をやれています。1stアルバムから2年半、制作を始めるまで時間がかかりましたが、今やれることを全部詰め込めたと思います。聴いた人からは「びっくりした」とか「歌い方変わった?」とか言われましたけど。
──そういえば、歌い方、変えました?
変えたつもりはないです。でも、バンドをやり始めてから、以前と同じ歌い方だと自分の声が全然聴こえなかったので、無意識的に変えたのかもしれない。歌い方ひとつにしても、自分のテンションで作りたい曲もこれから変わっていくだろうから、自分の気付かないところでいろいろ変化はあるのかもしれないですね。
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「Ampersands」に影響を与えた4つのモノ