ナタリー PowerPush - May'n

生まれながらの歌姫 一直線のヒストリー

菅野よう子&シェリル・ノームとの出会い

──本名での活動を経て、2008年元日からはMay'nさんとしての活動がスタートしました。この時期と前後して菅野よう子さんと出会ったことはきっと大きな転機だったと思うのですが、最初はどのような出会いだったのでしょうか?

菅野さんのスタッフの方が、以前に私が歌うのを観てくださっていて。アニメ「マクロスF」のシェリル・ノームの歌を担当するアーティストを探しているときに「あの子もデモを録ってみよう」と声をかけてくださったのです。そのオーディションに参加したのがきっかけです。

──そのときの菅野さんの印象は?

菅野さんの音楽ってすごくとがったものも多いですし、きっと赤いヒールでカツカツカツ、みたいな感じだろうなと想像していたんです。「あなたできるの?」みたいなスパルタな感じのプロデューサーさんだと思っていたら、実際は「よろしくね」みたいな優しーい雰囲気で(笑)。すごくフランクに接してくださったので、私も一気に緊張がほぐれたというか。やっぱり既にデビューしていたとはいえ、アニメソングとの出会いも初めてだったし、お話の重要な位置を占めるキャラクターの歌声ということで、思った以上に緊張していたと思います。緊張せず、レコーディングが楽しい!と思えるようになったのは、菅野さんに出会ってからです。

──菅野さんの楽曲はポップでありながら、難解なものや激しいものも多いですよね。実際に歌う立場だったMay'nさんはかなり大変だったのでは?

そもそもシェリル・ノームは「銀河で一番の歌姫」という設定なので、それに見合うだけの楽曲を作りたいってことは菅野さんもおっしゃっていたんですよ。だから最初は本当に大変なプレッシャーでした。

──そうだ。そもそも「全宇宙1位のヒットソング」を歌うというプレッシャーが前提にあるわけですよね。

はい。私は元々低いキーで歌っていたので、まずハイトーンの楽曲を歌うことが大きな関門だったのです。このキーは出ないかもしれないってお話していたんですけど、菅野さんがどんどんどんどん自信をくれたというか。最初に歌った「射手座☆午後九時 Don't be late」も「絶対出るからまずは出してみな」って後押しされながら歌ううちに、自分でも知らなかったハイトーンがどんどん出てきて。「自分の実力は自分が一番よく知っている」なんて思っていたんですけど、菅野さんが「できるできる」って背中を押してくれたおかげでどんどん幅が広がって、知らなかった自分に出会えました。

──最初はまさか10代の女性が歌っているなんて思いもしませんでした。「全宇宙1位」という高い要求にMay'nさんが応えられているからこそ、「マクロスF」は説得力のある作品になったんじゃないかと。でも、アニメの展開が進むにつれどんどんハイレベルな楽曲がシェリルに叩き付けられてましたよね。

もちろんレコーディングまでにたくさん練習して挑むんですけど、菅野さんは毎回「なんだ歌えちゃったんだー。つまんない! じゃあ次はもっと難しい曲書こー」って、なぜか2人で対決しているような感じになっていって(笑)。前回以上に難しい曲がくると私もやっぱりうれしくて「じゃあこれを乗り越えてみせるぞ」ってがんばれたんです。どんどんどんどん力を伸ばしてもらいました。

自作曲では等身大の思いを歌に

──2008年は「マクロスF」とともにMay'nさんの名前が一気に広まりました。大ブレイクと言える状況だったと思うのですが、気持ちの上ですぐに対応できましたか? あのブレイク速度は、10代が普通に耐えられる重圧ではないと思うんですよ。

最初はとにかくびっくりの連続でした。それまではお客さん3人のライブハウスで歌うようなこともあったので、「どれくらいの人が私のこと知ってくれているんだろう」っていうのがすごくあったんですけど、May'nになって最初のフリーイベントには1000人ぐらいの方が集まってくれたんですよ。シンガポールに行かせていただいたときも、たくさんの方が私の楽曲を日本語で歌ってくれていて。本当にびっくりでした。

──そして2009年1月には、アルバム形態では初となるオリジナルミニアルバム「メイン☆ストリート」がリリースされました。この作品では、収録曲「BLUE」で初の作詞・作曲に挑戦していますよね。曲作りは元々やっていたんですか?

May'n

デビューしたあとですね。デビューという夢が叶ってもやっぱり思いどおりにいかないことはあって、「このままでいいのかな」って自分のアーティスト人生について考える時期に「今できることをちゃんとやろう」と歌だけじゃなくダンスなども必死でレッスンして。その頃に作詞作曲も始めました。当時の想いをしたためたのが、この「BLUE」という曲なんです。

──その後もMay'nさんは定期的に自作曲を発表されていますが、どれも等身大のMay'nさんがそのまま表れたような内容で。作家さんによる壮大に作り込まれた楽曲とのコントラストもいいなと。

はい。「BLUE」や「Phonic Nation」「WE ARE」はまさに日記のような感じで作った曲なので、歌詞もあまり比喩表現を使わずに、できるだけストレートに気持ちを書きました。いろいろな方の曲を歌わせていただく中で、例えばシェリル・ノームの楽曲だったらもう女王様になったような気持ちで歌いますし(笑)。自分で作る曲ならば、より等身大な、そのとき感じている想いをそのまま歌に込めたいなとは常に思っています。

ライブは自分が想像できないものをみんながくれる場所

──そして2010年1月には早くも単独の日本武道館公演(「May'n Special Concert 2010 at 日本武道館『BIG★WAAAAAVE!!』」)が実現しました。これはやはりアーティストとして、ひとつの大きな旗印なのではないでしょうか。

はい。やっぱり武道館はアーティストにとっての聖地ですので、プレッシャーはもちろん大きかったです。でも、ライブをすることがとにかく好きで、大きな会場で、たくさんの方に1日で会えるという喜びや楽しみがもっと大きかったですね。

──大きなステージに立つ緊張よりも、楽しさのほうが強い?

子供の頃から人前で歌うことがとにかく好きで、歌を聴いてもらうのが楽しい、気持ちいいっていうのが元々あったんです。May'nになってワンマンライブをさせていただけるようになってからは、みんなで作るライブがこんなにも楽しいんだ、みんなで歌うともっともっと楽しいんだっていうのをファンの皆さんが教えてくれて。ライブって本当に自分が想像できないものをみんながくれる場所なんです。どんなにリハーサルを重ねて綿密に作り上げても、結局はみんなが一緒に参加してくれることで、こちらの想像をはるかに上回る空間ができあがるんです。

──今年のワールドツアー「ROCK YOUR BEATS」は“より近い距離でのライブ”をコンセプトに、全国のライブハウスをかなり細かく回りましたよね。武道館のような大きな会場とライブハウスでは、やはりパフォーマンスも大きく変わってくるんじゃないでしょうか。

春の横浜アリーナ(「May'n Special Concert 2012『May'n☆GO! AROUND!!』at 横浜アリーナ」)は特にそうだったんですけど、広い会場では広いからこそできる演出をいっぱい盛り込んだ、エンタテインメント性の高いステージを目指しています。ライブハウスはダイレクトに想いを届けられる場所だと思うので、より感情的で熱いライブになります。でも国内外34公演のツアーを終えて感じたのは、どこでやっても音に賭ける想い、歌への想いは変わらないということ。みんなに伝えることを第一に考えてライブをしていきたいなっていうのは、今回のツアーで改めて強く感じました。

May'n (めいん)

1989年10月21日、愛知県名古屋市生まれ。幼い頃から歌手を目指し、中学生のときに「ホリプロタレントスカウトキャラバン」に合格しデビューのきっかけを掴む。2008年1月1日に本名から「May'n」へと改名し、同年4月より放送されたアニメ「マクロスF」で作中に登場する歌姫シェリル・ノームの歌声を担当。「シェリル・ノーム starring May'n」名義によるシングル「ダイアモンド クレバス / 射手座☆午後九時 Don't be late」が大ヒットを記録した。2010年1月には初となる日本武道館単独コンサートを開催。同年3月には初のアジアツアーを大成功に収めた。2012年3月21日には3rdフルアルバム「HEAT」が発売。5月には6thシングル「Chase the world」を発表した。10月11日には2カ月連続配信シングル第1弾「アオゾラ」、11月22日には第2弾「Mr.Super Future Star」をリリース。