作家デビュー20周年を迎えたマシコタツロウが、初のオリジナルフルアルバム「CITY COUNTRY PRESENT PAST」を2023年1月18日にリリースする。
マシコは2002年10月にリリースされた一青窈の「もらい泣き」で作曲家デビュー。以降、中森明菜、郷ひろみ、EXILE、SMAP、Kinki Kids、嵐、関ジャニ∞など、さまざまなアーティストに楽曲を提供してきた。
音楽ナタリーではマシコの20年の歩みを振り返るべく、「もらい泣き」を筆頭に数々の作品を共作してきた武部聡志との対談をセッティング。師弟のようであり、また戦友のようでもある2人に出会いの印象や、貴重な共作秘話、そしてマシコの新作「CITY COUNTRY PRESENT PAST」についてじっくりと語ってもらった。
取材・文 / 大谷隆之撮影 / 須田卓馬
武部さんの第一印象は「この人、コワッ」
武部聡志 改めまして、20周年おめでとう。一青窈のデビュー曲「もらい泣き」を一緒に世に出してから、もうそんなに時間が経ったんだね。本当にあっという間ですね。
マシコタツロウ ありがとうございます! 武部さんとはこの20年間、途切れることなくお仕事させていただいてきたので、お顔を見るとそのときどきのたくさんの記憶がわーっとよみがえりますね。なんだろう。「あっという間」感と「いろいろあったな」感。2つが同時にやってくるというか(笑)。
武部 なるほどね。最初に会ったとき、タツロウはいくつだっけ?
マシコ えーと……23歳ですね。まだデビュー前の一青窈に誘われて、苗場にユーミン(松任谷由実)さんのライブを観に行ったんです。そのあとの打ち上げで武部さんを紹介してもらったんですけど、第一印象は「この人、コワッ」って感じで。
武部 うそうそ(笑)、全然怖くないでしょ。
マシコ いやいや、当時の僕からしたら、あのユーミンのライブの音楽監督で。しかも終演直後、アドレナリン出まくりの武部さんですから(笑)。そりゃもう迫力ありましたよ。そのとき、武部さんから「僕は仕事以外ではピアノは弾かないからね」と言われたんです。文脈は忘れちゃいましたが、いきなりプロの厳しさを突き付けられた気がして。ガツンと響いたのを覚えています。
武部 そこは今も変わらないな。ささやかな僕のポリシー。もちろん、誰もがそうすべきだって話じゃないんですよ。どこでもカジュアルにピアノを弾けて、その場を楽しくできるプロの方もおられる。ただ僕はわりと職人気質というか。仕事として音楽をやってきた意識が強いから。
マシコ すごくわかります。
武部 この仕事って、ときどき趣味の延長みたいに思われたりもするじゃない。遊び心は大事だけど、でもやっぱりプロ意識がないと続けられない。そういう姿勢は作品の端々ににじみ出ると思うんだよ。初対面でも、そこはタツロウに伝えたかったのかもしれない。
マシコ その意味では、20年ずっと背中を見てきました。
──そういえば亡くなった作曲家の筒美京平さんも、ジャズピアニストとして抜群の腕を持ちながら、人前ではほとんど弾かれなかったそうですね。
武部 京平先生に関してはね、僕自身、鮮烈な思い出がありまして。若い頃、アレンジャーとして気に入ってもらって、たびたびご指名をいただいたんです。プライベートでもよく食事に連れていってもらって、自分としては少し距離が縮まった気持ちでいたわけ。で、あるとき自分のプロデュース案件で、先生に曲をお願いしたんです。そしたら「こんな甘い企画で私に発注するの?」とピシャリと言われて。
マシコ おお……。
武部 「武部くんがどんなビジョンを持っていて、作曲家に何を求めているのか。ちゃんと説明できないなら受けません」と。自分が甘かったと猛省しました。
マシコ 私が武部さんから受け取ったのも、まさにその感覚に近いです。
武部 たぶん僕も、わりと早い段階で感じていたと思うんです。タツロウはバトンを託せる相手だなと。僕たち世代が築いてきた音楽を受け継いでくれるという予感みたいなものがあった。だから一緒に作業していても楽しかったし、ときには厳しいことも言った気がします。僕のほうもタツロウからいろいろ吸収させてもらったしね。作曲のアプローチだったりトラックの作り方だったり。
マシコ そんなふうに言っていただいて、ちょっと光栄すぎます。
タツロウは普遍的な音楽を作れる作家になる
──武部さんは、20歳も歳が離れたマシコさんのどこに惹かれたのでしょう?
武部 やっぱり曲ですね。その世界観が先人たちへのリスペクトにあふれていた。しかもそれが、独りよがりじゃなくてね。アーティストの個性を生かしつつ、どうすればリスナーに届くかというところまで見据えていると感じたんです。最初の一青窈プロジェクトもそう。タツロウは一青に対して単に友人としてではなく、彼女の書く詞やパフォーマンスを真剣に考えた曲作りをしていましたから。そこは世代を超えてすごく共感できました。
──なるほど。
武部 あと、これは本人のキャラクターも大きいけれど、タツロウの書く曲は基本的に優しいのね。メロディに聴く人を包み込む独特の力がある。だから単純に流行りを取り込んだサウンドじゃなくて、普遍的な音楽を作れる作家になるだろうなと。そう思ったんですね。
マシコ 武部さんとお仕事していてすごくうれしいのは、デモを作り込みすぎると怒られることなんです。「ごちゃごちゃやらずに持ってこい!」みたいな感じで。
武部 そうね。「俺のやることなくなるだろ!」と(笑)。
マシコ それって要するに、僕のメロディを尊重してくださってるわけじゃないですか。逆にこちらが「武部さん、こういうの好みじゃないかな」というメロを投げると、ドンピシャのアレンジを一発で返してくださる。一青の初期の楽曲なんて、まさにその典型だったと思います。
──どういうことでしょう?
マシコ 当時の僕は、まだ音楽的な素養も乏しくテクニックも未熟だったので。頭の中になんとなく「昭和歌謡」とか「アジア」みたいなキーワードはあっても、それを明確な形に落とし込めなかったんです。今にして思えば、ふわっとしたイメージでメロを紡ぐしかなかった。その意図を巧みに読み取り、アレンジを通して完璧に具現化してくださったのが武部さんでした。
武部 音楽で往復書簡っぽいやりとりができる相手は、意外に少ないんですよ。タツロウとは確実にそれができる。最初にメロディのモチーフをもらって、僕がアレンジの叩き台を投げると、それをさらに膨らませたメロが返ってくる。そうやって互いの音楽性をリスペクトしながらキャッチボールができるから、やっていても楽しいんでしょうね。
マニアックのマの字もない、真摯なセルフポートレート
──マシコさんのポップな職人技は、2023年1月にリリースされる20周年記念アルバム「CITY COUNTRY PRESENT PAST」にも凝縮されていますね。オリジナルのフルアルバムは初めてですが、何かきっかけがあったのでしょうか?
マシコ この仕事を始めたときは正直、20年も活動できるとは思ってませんでした。なので、僕なりにがんばったかなという感慨もありましたし。いろいろあるけど、これからもなんとかやっていこうと(笑)。再確認も含めて、1つの区切りとしてアルバムを作ったというのはありますね。あと、これは皆さん同じかもしれないけど、僕もコロナ禍を通じて「自分はいったい何者なんだろう」と自問自答した期間があって。その回答じゃないですけど、僕にはやっぱり音楽しかないと。2年間溜め込んだ鬱憤をぶつけたかった。モチベーションとしては、その2つが大きいかな。
武部 確かに自分探しの旅というか、生い立ちからプロのキャリアまで、人生を振り返っている印象が、このアルバムにはあるよね。「CITY COUNTRY PRESENT PAST」というタイトルも、まさにそんな感じがする。
マシコ そうなんです! 自分の中で「都会、田舎、現在、過去」は、ぜんぶつながっているイメージなんですよ。1つの場所、ある一瞬だけ切り取って楽曲にしても、それは自分じゃなくなっちゃう。自分の故郷やこれまで暮らした街はどんどん変わっていくでしょう。でも、そこで過ごした記憶や出会った人々の上に今現在の日常があり、私という人間がいるわけで。いろんな場所と時間軸が混ざり合った感じを、アルバム1枚を通して出してみたかったんです。
武部 その意味では、すごく真摯なセルフポートレートだよね。でもそこにはやっぱり、20年で培ったプロの技がどうしたって見え隠れするわけで(笑)。
マシコ あ、そういう感じ、ありました?
武部 うん。全体のアルバム構成1つとってもそうだよね。たとえば導入部の「区画整理できないマイハー」や「オレンジの逆光」は軽快なメジャー7thコードが基調になっていて。おそらく少年時代のタツロウが憧れていたであろうシティポップの匂いがするでしょう。王道のヒットチューンっていうのかな。
マシコ そうですね。せっかくソロアルバムなんだから、最初はマニアックで趣味性の高いものでもいいかなって思っていたんです。私みたいな職業作家が、ソロで意外とアーティスティックな作品を出すって、それはそれでカッコいいなと(笑)。でも、いざ作り始めてみると「このメロディなら誰々に歌ってもらえばヒットしそうだな」とか、どうしてもポピュラリティを意識してしまって。結局、マニアックのマの字もない、ポップな仕上がりになっていた。でも、それにガッカリしたわけでもなく。むしろ「俺は根っからの作家体質なんだ」と再認識できて、気分的にはすっきりしました。
武部 すごくわかる。でも必ずしもポップなだけじゃないんだよな。例えば常磐道をモチーフにした「JB Freeway」なんて、地元の北関東を茶化しつつも温かく描いていて。タツロウ本来の持ち味であるコミカルなセンスがとってもよく出てますし。アルバム後半は「ハッピーエンド」みたいに、ブルージーでより本質的な、それこそ桑田佳祐さんを思わせるコードワークも入ってきて。終盤には「手紙」という切ないバラードに移っていくでしょう。
マシコ うわあ、すごい聴き込んでくれている!
武部 な、ちゃんと聴いてるだろ(笑)。真面目な話、ポップな曲から泣かせる曲までバランスよく入っていて、しかも向き合うべきところはちゃんと自分と向き合っている。シンガーソングライターのあるべき姿だと、僕は思いました。
マシコ 誰に褒められるよりうれしいです。ちなみに「JB Freeway」は少しだけ、ユーミンさんの「中央フリーウェイ」にインスパイアされてるんですよ。
武部 はいはい。
マシコ あの曲のモチーフって中央自動車道じゃないですか。なんの変哲もない国道が、ユーミンの眼差しを介するとあんなにおしゃれでアーバンな曲になる。だったら私の地元・茨城にも、みんな大好き常磐道があるじゃないかと。
武部 「日本のアウトバーン」って歌詞がいいよね(笑)。
マシコ あれは苦肉の策で。ユーミンが歌う中央道には、「調布基地」みたいに印象的なスポットが出てくるでしょう。でも常磐道って利根川くらいしかないので。結局、道の走りやすさを訴求するロックンロールになってしまった(笑)。気持ちだけは200マイルで、楽しく走ろうよと。
──「手紙」は、飾りのないピアノとアコギの響きが印象的でした。
マシコ あれはもともとデモのつもりで録ったピアノを、アレンジャーがそのまま使ってくれています。要は曲が生まれた瞬間のピアノなんですね。それを生かすギターを添えてくれた。今の時代、必ずしも生演奏がベストだとは思わないけれど、「手紙」に関しては言葉が伝わるように、最少の編成にしました。
武部 それが絶妙にハマったよね。歌詞もスッと入ってくる。
マシコ ありがとうございます。40代も半ばになり自分も家庭も持った中で、ラブソングの表現ってすごく悩むんですよね。誰かに提供するならともかく、自分がリアリティのないストーリーを歌っても意味がないなと。でも音楽を作っていくうえで一番伝えたいものは、言葉にすると月並みですけど、やっぱり人を思うやるせなさや切なさだったりするので。それを年相応に、できるだけ素直に書いたのが「手紙」という曲ですね。
──歌メロも美しいですね。シンプルで覚えやすく、しかもマシコさんの声の音域にぴったり合っている気がしました。
マシコ 例えば「手紙」がアイドルへの提供曲だったとしたら、たぶんこのサビじゃプレゼンを通らないんですよ。インパクトが弱すぎて。
武部 そうだね。そうかもしれない。
マシコ 逆に言うと、そこは等身大というのかな(笑)。変にフックを作ったり、無理に高いキーで歌い上げても仕方ない。今の自分が歌って一番違和感のない、ごくシンプルなメロディにしています。
武部 「手紙」に限らず、自分を見つめるのって恥ずかしい作業だったりするじゃない。タツロウは今回、その孤独な創作過程をあえてやったんだと思う。アルバム1枚を通して聴いて、すごくそう感じました。結果こんなに素晴らしいポップチューンが生まれた。歳の離れた仲間として勝手に喜んでます(笑)。
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「もらい泣き」のほろ苦い思い出で名前をカタカナ7文字に