花開いたストリートピアノの文化に向けて
──個人的にアルバムの中で特に気になった新曲が「LovePiano Blossom」でした。まらしぃさんのライブでもよく披露されている「LovePiano」という楽曲の続編的な位置付けでしょうか?
もともと「LovePiano」は、ストリートピアノの先駆けとなるようなヤマハさんの取り組みであるLovePiano(2017年に始まった誰でも自由に弾けるピアノを街中に置く施策)のテーマソングとして作らせてもらった曲で。今回、渋谷にヤマハさんの新たな施設・Yamaha Sound Crossing Shibuyaがオープンするにあたってまた声をかけていただいたときは、なんだか特別な喜びがありました。今、ストリートピアノが日本で流行している理由の1つにLovePianoが関わっていることは間違いなくて、僕も携わった取り組みが花開いたという意味を込めて「Blossom」という言葉を添えています。
──この取材の前に、渋谷に新たに置かれたLovePianoを見に行かれたそうですね。新たなLovePianoはいかがでしたか?
カラフルなグランドピアノなので視覚的にも楽しくてテンションが上がるし、新たな機能として“自動演奏”ができるようになっていて。MV撮影で「LovePiano Blossom」を弾かせてもらったのですが、どうやらそのときの僕の演奏をピアノが覚えてくれて、僕がいなくても僕の演奏をそのまま再現してくれるらしくて。ただ譜面を覚えるだけじゃなくて、打鍵の強弱を含めて僕の演奏を忠実に再現されるそうなので、それも楽しみです。
──まらしぃさんはストリートピアノ文化の広がりをどう捉えていますか?
僕自身はストリートピアノでたくさん弾くようなプレイヤーではありませんが、ピアノ自体は大好きなので、この盛り上がりは大歓迎です。街中でピアノが鳴るという敷居の低さは、ピアノの魅力を広く伝える意味ですごく可能性のあるものだと感じています。
3日連続で弦が切れたレコーディング
──アルバムにはこの4年でまらしぃさんが発表してきたさまざまな楽曲を、グランドピアノで生レコーディングし直した音源が収録されています。レコーディング時にピアノの弦が何度も切れたとX(Twitter)の投稿で見かけましたが……。
そうなんです。スタジオを3日間押さえて、調律師さんにもずっと見てもらえる環境を整えていただき、グランドピアノを思いっ切り弾かせてもらうレコーディングだったんですが、ピアノの弦が何度も切れるという珍しい体験をして。ピアノの弦が切れることって、せいぜい2年に1回ぐらいしか遭遇しないんですよ。3日連続で弦が切れるなんて初めてで、調律師さんも驚いていました。
──まらしぃさんのタッチが強いから弦が切れたということですか?
ピアノの弦が切れる理由はいくつかあるようですが、力が強かったり、全体重を乗せたりすれば切れるようなものでもないらしくて。調律師さんに言われたのは「まらしぃさんのタッチは強いわけではなく速い」ということでした。自分のタッチが速い自覚はなかったけど、ピアノを弾くときの強弱、メリハリは意識して弾いていたので、自分の弾き方に関して新しい一面を知ることができました。
──「新人類」や「スマート???」「むげんのチケット」など、収録曲の原曲はかなり情報量の多いボカロ曲です。それらの楽曲をグランドピアノ1台で再現することの難しさはありませんでしたか?
アニソンやボカロの曲をピアノのソロで演奏するというのは自分の活動の原点でもあるので、そこまで深く考えず、いつもやっていることを自分の曲でやっただけとも言えますね。もちろん、ポケモンの鳴き声が入れられないとか、友達と作った自慢のフレーズが拾えないとか、歯がゆいことはありますが、それはそれ、これはこれとしてピアノアレンジは割り切っていつもの流れでレコーディングしています。
一期一会の音を奏でる“生音”へのこだわり
──「KAGUYA」「七彩」は、ここ数年のツアーのテーマ曲として制作されたものです。まらしぃさんがツアーのたびにテーマ曲を用意している理由はなぜですか?
僕にとってライブはチャレンジの場でもあり、楽しい瞬間でもあり、緊張する場でもある、すごく特別な空間で。その時々で何か思い出になるようなものを作るのがけっこう好きなので、何度もツアーを重ねていく中で皆さんの記憶にも残りやすくするために、なるべくツアーのテーマ曲を用意するようにしています。来年1月に始まる「marasy piano live asia tour 2025」のテーマ曲は用意できていませんが、今回はここ4年で発表してきた楽曲をまとめた「Piano monkeys」の曲を惜しみなく弾くのが今回のツアーのテーマになるのかなと考えています。
──4年の軌跡を「Piano monkeys」という言葉でまとめたことにはどういう意図があったのですか?
僕には「ピンクの猿」というアイコニックな存在がいますが、こうしてアルバム全体を見るといろんな曲が入っていて、もし曲を猿に例えたとしたら、おとなしい猿や気性の激しい猿、いろんな猿が詰め込まれているなと思ったんです。ジャケットアートワークにはいろんな色の猿がいるし、ツアーの都市ごとにご当地の猿のイラストを描いてもらって。猿尽くしのツアーになりそうです。
──今回のツアーには海外公演も含まれています。人気絶頂のタイミングで海外公演を行うアーティストは多数存在しますが、まらしぃさんのように数年ごとに海外でライブをする機会に恵まれているネット発のアーティストは珍しいと思います。
確かに、言われてみればそうですね。おそらくですが、ピアノが言語を必要としないことと、世界共通で親しみやすい楽器だからかもしれないですね。それに、海外のライブをコーディネートしてくださる方がタイミングよく声をかけてくださるようなご縁も少なからずあると思います。
──海外でのオーディエンスの反応はいかがですか? 日本と違うと感じることはありますか?
自分が想定しているよりもいろんな日本のカルチャーのことを知ってくれている感覚がありますね。アニソンはもちろん、ボカロ曲も、ゲームの曲も盛り上がります。それに僕のオリジナル曲を弾いても「ワッ」と盛り上がってくれるので、すごく気持ちよく演奏させていただけています。盛り上がるときは盛り上がるし、じっくり聴いてくれるときは本当に耳を澄ませるように聴いていただくような“メリハリ”は、海外のほうが顕著な感じがしますね。
──来年の「marasy piano live asia tour 2025」を含めて、最近のまらしぃさんのライブはマイクやPAシステムを通さない“生音”で行われるものが増えています。まらしぃさんの生音へのこだわりはどこからきているのでしょうか?
少し前まではけっこうマイクを通してスピーカーから音を出す形でライブを行っていましたが、コロナ禍以降、少し考え方が変わって。スピーカーから音を出すのは、会場に来てくれたすべてのお客さんに対してなるべく平等に音を届けることに近い。逆に生音のライブというのは、コンサートホールにあるいいグランドピアノで、ちゃんと設計されたホール空間に響く音をそのまま聴いてもらうもの。この場合、もちろん席によって聞こえ方が異なることはありますが、何も脚色しない生のピアノ音色のほうが、聴いた人の記憶により残るのかもしれないな、と考えるようになりました。なので最近はなるべく生音でライブをするようにしています。
──座席によって聞こえ方が変わるのはもちろん、会場の大小や会場にあるグランドピアノのメーカーなどでも聞こえ方が変わるということですよね。
そうですね。さすがにグランドピアノはツアーに帯同させられませんから。会場の材質や形、天井の高さ、椅子の素材でも響き方は変わると思います。仮に同じ曲を弾いたとしても、会場が違ったら全然違って聞こえることもあると思います。今回のツアーはけっこう本数がありますので、足を運べそうだったら2公演以上観ていただいても面白いかもしれないです。例えば広い会場と、ちょっと席数が少ない会場で音を比べてみるとか。
──ごまかしが効かない、演奏者1人にすべて委ねられるライブに重圧を感じることはないですか?
むしろこのスタイルのほうが自分に向いているとさえ思っています。演奏がよかったときの要因はもしかしたら僕じゃないかもしれないんですよ。会場が素晴らしかったのかもしれないし、ピアノがよかったのかもしれない。でも何かが起きて悪い演奏になってしまったとき、その責任は全部自分にあるわけで。誰かのせいにすることもないし、それを改善すれば次はいい演奏になる。そのわかりやすさが僕にとっては心地いいのかな。
公演情報
marasy piano live asia tour 2025
- 2025年1月18日(土)北海道 札幌コンサートホールKitara 小ホール
- 2025年1月31日(金)大阪府 ザ・シンフォニーホール
- 2025年2月2日(日)大分県 iichiko音の泉ホール
- 2025年2月5日(水)東京都 サントリーホール 大ホール
- 2025年2月8日(土)神奈川県 神奈川県立音楽堂
- 2025年2月9日(日)静岡県 GRANSHIP 静岡県コンベンションアーツセンター 中ホール・大地
- 2025年2月11日(火・祝)愛知県 愛知県芸術劇場 コンサートホール
- 2025年2月15日(土)新潟県 長岡リリックホール コンサートホール
- 2025年2月16日(日)長野県 松本市音楽文化ホール メインホール
- 2025年2月22日(土)福岡県 FFGホール
- 2025年2月24日(月・振休)宮崎県 都城市総合文化ホールMJ 中ホール あさぎり
- 2025年3月7日(金)徳島県 あわぎんホール
- 2025年3月17日(月)東京都 銀座 ヤマハホール(※まらしぃオリジナル曲のみの特別公演)
- 2025年3月22日(土)台北 新北市藝文中心演藝廳
プロフィール
まらしぃ
2008年よりニコニコ動画の“弾いてみた”カテゴリなどで活動しているピアニスト。ボカロPとしてもオリジナル曲を投稿している。2010年にDMEから1stアルバム「V.I.P(Marasy plays Vocaloid Instrumental on Piano)」をリリースした。2013年にはトヨタのハイブリッドカー「AQUA」のCMソングの演奏を担当し、CMでオンエアされた「チョコレイト・ディスコ」「千本桜」のカバーはいずれも大きな話題を集めた。2019年3月からはアジアツアー「marasy piano live asia tour 2019」を開催し、日本国内ならず中国各地でもライブを行った。2021年3月には東京・日本武道館にてグランドピアノ1台による単独公演「marasy piano live in BUDOKAN」を開催。2021年7月にボカロカバー集「V.I.P X marasy plays Vocaloid Instrumental on Piano」をリリースした。2024年11月に約4年ぶりとなるオリジナルアルバム「Piano monkeys」を発表。2025年1月より海外公演を含むコンサートツアー「marasy piano live asia tour 2025」を行う。