ナタリー PowerPush - マキタスポーツ

アルバム「推定無罪」完成インタビュー

これまでの音楽遍歴

──これまでの音楽遍歴を教えてほしいのですが、音楽にまつわる記憶で一番古いものは?

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はっきり覚えてるのはジュリーですね。沢田研二。衣装とかギミックがすごかったじゃないですか。もう毎回楽しみにしてました。「わあ、なんかバーボン飲んでる。バーボンといわれるお酒の小瓶を飲んでる。いいのかな、あんなことして。噴いた!」みたいな。「帽子飛ばした!」「パラシュート背負ってる!」とか。なんかそういうところで見てました。

──そのあと自分のお小遣いで初めて買ったレコードは?

僕が最初に買ったの、もう渋いですよ。あんまり知らないと思うんですけど、町田義人さんの「長距離ランナー」っていうシングル盤。79年発売なんで、9歳のときですね。町田義人さんは「野性の証明」っていう角川映画の主題歌「戦士の休息」を歌って、それがヒットしたんです。で、「あの歌が欲しい」と思ってレコードが置いてある近所の本屋で、町田義人っていうだけで買って、家帰って聴いたら全然違う歌だったという。ものすごくがっかりしました(笑)。

──その後はどんな音楽に触れていったんでしょうか?

80年に聖子ちゃんがデビューするんですよね。そしたらやっぱり聖子ちゃんですよ。みんな思ったことなんでしょうけど、聖子ちゃんは最初からやっぱり曲がいいって思いました。よくわかってないくせに。俺なんか子供ですよ。まだ10歳ですけど、ビタッと来た感じがありました。当時はトシちゃんやマッチもいたんですけど、なんか男のアイドルを男が応援するっていうこともちょっとなかった時代だったと思うんですよ。

──チェッカーズの頃になると、男の子も女の子もみたいな感じになりましたけどね。

吉川晃司とかチェッカーズくらいからですよ。男の子も女の子もみんなが好きになるのは。その頃は中学生なんで、QUEENとか、もう当時すでに懐メロになっていたTHE BEATLESとか、THE BUGGLESとか、洋楽も聴くようになってました。ハードロックとか。価値観がちょっと揺らいだのがMTVですね。日本の芸能と次元が違いすぎて。だって「ザ・ベストテン」とかで吉川晃司が水浸しになって歌ってても、もう洋物のビデオクリップの視覚的な面白さにはかなわないなって。バク転でプールに飛び込んですげえって思ったけど、それよりもa-haとかのクリップを観たりするほうが断然カッコいいって思ってましたもん、あの当時は。

──ただ、並行して日本の音楽も聴いていたんですよね?

そうですね。中1くらいになると、佐野元春とか浜田省吾とか、ベストテンの出演を断った人たちに興味がいくようになって。「この人たちはなんかあの芸能界の人たちと違う」って(笑)。で、中2になるとギターを買うんですよ。当時フュージョンが流行っていて、スクェアとかカシオペアとか聴いてたんですけど、カシオペアが大好きだったので、ギターの野呂一生さんが使ってたヤマハのSGを買って。でも超ハイテクバンドなんで、自分には弾けないんですよね。できないから、「ヤンソン」見ながらフォークソングとかを練習してました。

──中学生の頃、すでに作詞作曲ものまねのルーツみたいなことをやられていたんですよね?

はい。ギターを弾き始めたんだけど、なんだかよくわからないっていうときに、兄貴の友達がテープで録った長渕剛さんのラジオ番組を聴かせてくれたんですよ。その番組の中で、長渕さんが「ボブ・ディランふうのギターの弾き方」とか、「吉田拓郎さんだったらこんな感じ」とか、「井上陽水さんだったらこんな感じ」とかっていうことをやられていて。それを聴いて初めて音楽って面白いなって。今にして思えばそれはアレンジの面白さなんですけど、これだったら俺もできるって思ったんです。で、中3や高1の頃には友達の前で作詞作曲ものまねの原型みたいなことをやるようになってました。

バンドとお笑いをうまくミックスしたい

──お笑い芸人としてデビューして、作詞作曲ものまねをやりはじめたのはいつ頃ですか?

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浅草キッドが主催していた「浅草お兄さん会」っていうライブでピン芸人としてデビューしたのが28歳ですから、その1年後の29歳くらいの頃ですね。当時、ずっと相方を探しながら、見つからずに仕方なくずるずるとピン芸人としてやっていたんですけど、ある人から中野の民家みたいなところで単独ライブをやってくれって言われたんです。で、何したらいいのかなと思って、とりあえず特技のギターを使ったネタをやろうと。でも替え歌とか絶対にやりたくなかったんです。もうそれだけは絶対すまいと思っていて。なんかそうじゃない感じのオリジナルの歌ネタとかできたらいいんだけど、すぐっていうわけにはいかなかったから。それで、「あっ! そういえば俺も子供の頃やってたな」と思い出して。で、慌てて好きだったアーティストとか思い浮かべながら、まとめてササッと作ったんです。浜省(浜田省吾)とCharaと桑田さんと……何曲か作ったんですよね。そしたらそれがすっごくウケたんです。

──そこからずっと作詞作曲ものまねを続けることになったんですか?

いや、いったんそのライブだけですぐにやらなくなって。そのあとは、当時にしてはすごい無謀だったんですけど、30歳のときに新宿のJAMっていうライブハウスを2日間借りたんです。そこではバンドのメンバーを集めてオリジナルの曲とかもやるようになっていて。今回のアルバムにも入っている「お母さん」っていう曲はその当時作った曲です。バンドとお笑いを僕が思う形でうまくミックスしたいと前から思っていて、そういう曲を作り始めたのがその頃ですね。今振り返ると13年前になります。

マキタ学究 J-POPの軌跡
#1 ヒット曲の法則 ゲスト:Bose(スチャダラパー)
#2 ヴィジュアル系のビジネスモデル ゲスト:真矢(LUNA SEA)
#3 作詞作曲ものまね講座 ゲスト:いとうせいこう
マキタスポーツ アルバム「推定無罪」完成インタビュー
ニューアルバム「推定無罪」 / 2013年8月21日発売 / [CD2枚組] 2500円 / ビクターエンタテインメント / VICL-64053~4
ニューアルバム「推定無罪」
DISC1
  1. マキタスポーツのテーマ
  2. 芸人は人間じゃない
  3. お母さん
  4. SOUND LOGO 1
  5. SOUND LOGO 2
  6. コーヒー★ギュウニュー【作詞作曲ものまね】
  7. サンボマスターはお湯に語りかける~美しき日本の銭湯~【作詞作曲ものまね】
  8. SKIT サンプリングおじさん(「ラッパー」編)
  9. 俺はわるくない(BAND ver.)
  10. SKIT サンプリングおじさん(「青春歌謡」編)
  11. はたらくおじさん
  12. Oh!ジーザス
  13. SKIT スパッツ
  14. SOUND LOGO 3
  15. みそ汁(独唱)【作詞作曲ものまね】
  16. 袋とじ【作詞作曲ものまね】
  17. SKIT サンプリングおじさん(「韓流」編)
  18. オーシャンブルーの風のコバルトブルー~何も感じない歌~
  19. SKIT サンプリングおじさん(「NEWS」編)
  20. 1995 J-POP
  21. オレの歌
  22. SOUND LOGO 4
  23. 歌うまい歌
  24. SKIT サンプリングおじさん(「頑張ったって…」編)
  25. 浅草キッド(アンコール)
DISC2
  1. 十年目のプロポーズ
  2. SKIT
  3. 十年目のプロポーズ(Feat.スチャダラパー ver.)
  4. 十年目のプロポーズ(カラオケ)
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マキタスポーツ

1970年1月25日生まれ、山梨県出身。1998年にピン芸人としてデビュー。2012年に本名の槙田雄司名義で書籍「一億総ツッコミ時代」を発売したほか、映画「苦役列車」では俳優として第55回ブルーリボン賞新人賞を受賞した。