ナタリー PowerPush - Lyu:Lyu
リスナーを受け止め“すれ違いを愛する”
有田&純市の語るプロデューサー・コヤマヒデカズ評
──お2人は、コヤマさんがプロデューサー的な存在となることについては、どういうふうに感じました?
有田 すんなり受け入れられる感じでしたね。必然的にやるべき人間が決まっていたというか。で、今回は本人が「納得いく曲を持ってくるからそれまで待っててくれ」っていうんで、信じて待っていて、実際に上がってきたものを聴いて納得させられた感じですね。1つ1つのフレーズにちゃんと理由があって、聴けばその理由がわかるものが上がってきた。ただ、俺も純市も、そのフレーズをなぞるだけというプレイはしたくないので、俺はLyu:Lyuというバンドにおけるドラムのスペシャリストとして、純市はベースのスペシャリストとして、コヤマの持ってきたデモをもとにフレーズとサウンドのイメージをさらに考えて作っていくっていうやり方をしてみました。
純市(B) デモの完成度が高かったし、曲の方向性がわかりやすかったんですよ。だから、デモを超えるために自分の中でどうアプローチするか、それだけイメージしてやれました。
有田 だからコヤマがイニシアチブをとる、このやり方でやってみてよかったですね。
コヤマ 今までは、2人がやっていることに口は出さないっていうのが自分の基本的なスタンスだったんですよ。むしろ、2人が出したものをどう生かせるかということを考えていて。このバンドに至る前、今までいろんなバンドをやってもうまくいかなかったのは、自分の器の小ささや視野の狭さも原因としてあったと思うんです。今とは比べものにならないくらい超絶ワンマンのバンドで、メンバーが自分のデモと違うことをやるのが一切許せなかったこともあって。それでバンドがうまくいかなくて解散することもたくさんあった。だから、このバンドを始めたときには、もうそういうのはやめようと思って。でも、今回レコーディングのときには、音作りに関しても、もう少し積極的に話すようになったとは思います。それは2人からの「そうしてくれ」という話もあってのことでしたけど。
いつまでも残り続ける強度の音楽
──今作の制作にあたっては、まず楽曲の方向性を明確にすることが重要だったわけですよね。コヤマさんとしては、曲を作るにあたってどういうことを考えたんでしょう?
コヤマ 去年1年間のお客さんとか周囲の反応や感想を見て、もっと素直になっても大丈夫なんだって思ったんです。自分の中では、前のフルアルバムのときに空っぽになるまで出し尽くしたつもりではあったんですけど、「もっと出しても大丈夫だ」って思えた。それは音楽的にも、歌詞の内容にしても、今まで踏み込んでいたつもりで心の中のどこかでブレーキを掛けていたようなところがあったんですけど、そこを「これはもっと取っ払っちゃっても大丈夫なんだ」って思えるようになった。だからもっとアクセルを踏んでみた部分はすごくあると思います。
──ほんと、アクセル踏んだアルバムだと思います。例えば「メシア」みたいな曲って、言い方を選ばず言ってしまうと、痛い曲だと思うんです。そういう曲を歌うときって自意識が邪魔をすることもあると思うんです。「何こんな痛いことを歌ってるんだ、俺」みたいな。でもそういう自意識をアクセルを踏んで突破している感があって。
コヤマ ああ、そうですね。そこに至るまでにいろんな曲を書いては自分でボツにして、歌詞を書いては消し、書いては消してみたいな作業を繰り返してきたんです。その中で、10代の頃に聴いてた音楽、好きな曲を改めて聴いてみたんですけど、いつまでも色あせてないんですよね。「やっぱりこの人たちは間違いない」みたいなことを再確認することもあって。そうやって風化しない強度を持った音楽っていうのはいったいどういうものなんだろうっていうことを考えたんです。
──それはどういうものでした?
コヤマ そういう音楽を聴いてた当時って、今にして思えばかわいらしい悩みだったかもしれないですけど、当時の自分にしてみれば人生の終わりのような悩みがたくさんあったんですよね。そのときに「この曲がなかったら、あのバンドがいなかったら、俺はあそこでダメになってたかもしれない」って思うことが本当にたくさんあったんですよね。そのときの自分にとって、そのバンドが唯一の理解者だった。今になっても自分の頭の中に残ってるのは、みんなそういうバンドで。いつまでも残り続けるような強度のある音楽って、やってる本人も奇をてらわずに素直に全部をさらけ出してる人たちばっかりだったんですよね。
──自分もそういうものであろうと思った。
コヤマ そうです。俺もそういう音楽からいろんなものをもらって音楽をやっている以上、自分も「ここまで言ったらダメかな」とか、そういう自意識との葛藤を乗り越えないといけないと思って。もちろん、今でもすごくあるんです。頻繁に「こんなこと書いてて何になるんだろう」とか思いながら歌詞を書いていて。でも、結局それを越えた先にしか、聴いた人の頭の中にいつまでも残ってるような曲は作れないと思った。だから、もうアクセルを踏もうって、腹をくくったんです。
自覚的に木片を研ぐ
──歌詞に関してはどうでしょう? 僕の印象では、例えば「先生」や「ドッペルゲンガー」のように、小説に近い情景描写の言葉が増えた印象もあります。実際、書き方って変わりました?
コヤマ 言葉の選び方に関しては、少しずつ自由になってるような感覚はまずありますね。で、自分が書いたものに対して客観的に見ている視点みたいなものが、前よりもあるような気も確かにします。前までの自分の歌詞っていうのは、まさにその渦中にいて、自分もその渦の中に呑まれている最中みたいなところがあって。呑まれているのは今も全然変わりなく、相変わらずの毎日なんですけど、ただ、自分がいったい何を書いていて、どうしたらもっとそれが伝わるのか、そういうことを前よりも考えられるようにはなったかもしれないです。
──より刺さるものを目指した?
コヤマ そうですね。今までの歌詞っていうのが、例えば……折れた木の破片のような、とにかくささくれだって攻撃力はあるんだけれども、別にそれは決して俺が研いだものではない。そういうものだったような気がするんです。それに対して今は、どこをどういうふうに研いだらもっと切れ味がよくなるだろうかということを考えられるようになってきた。それはあると思います。
- ミニアルバム「GLORIA QUALIA」/ 2014年4月30日発売 / SPACE SHOWER MUSIC / PECF-3087
- [CD] 1700円 / PECF-3087
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収録曲
- メシア
- Seeds
- 先生
- ランララ
- 初めまして
- ドッペルゲンガー
- 彗星
Lyu:Lyu(リュリュ)
ボーカロイドプロデューサー・ナノウとしても知られるコヤマヒデカズ(Vo, G)と、純市(B)、有田清幸(Dr)による3ピースロックバンド。2008年、コヤマが同窓生の純市、有田に声をかけて結成。2009年よりLyu:Lyu名義で活動を開始し、2010年、1stミニアルバム「32:43」をリリース。オリコンの「ネクストブレイクアーティスト」に選出されるなど、アグレッシブなサウンドと絶望的な言葉の中に希望を垣間見せる詞が話題を集める。2011年には2ndミニアルバム「太陽になろうとした鵺」を、2012年には3rdミニアルバム「プシュケの血の跡」を発表し、「SUMMER SONIC2012」の大阪公演にも出演。そして2013年3月、1stフルアルバム「君と僕と世界の心的ジスキネジア」をリリースした。同年には配信限定曲「Seeds」、シングル「潔癖不感症」を発表し、東京・渋谷club乙-kinoto-やLIQUIDROOM ebisuでワンマンライブを行うなどバンドとして精力的に活動する一方、コヤマが小説「ディストーテッド・アガペー」をWebで連載するなど、多方面で活躍。そして2014年5月、4thミニアルバム「GLORIA QUALIA」をリリースした。