「TIME IS DEAD」の思い出
──最初はどうやってオリジナル曲を作ったんですか?
J 俺、最初に作ったのが「TIME IS DEAD」なんですよ。
──LUNA SEAの代表曲の1つ「TIME IS DEAD」がJさんの初オリジナル曲!
J そうなんだけど、オリジナルって何?から始まったんだよね。自分たちの曲って何?そもそも曲って何?何があったら曲なの?って、もうそのレベルですよ。俺の周りにはいろんなバンドがいたし、時代的にパンクロックもハードロックもメタルのシーンもあった。さらにはMTVも放送されてたし、大メジャーのバンドもいたし、アンダーグラウンドのバンドもいて、その中で自分が「おっ!」と思うバンドを聴いて、観て、答えを探すところから始まった。「このバンドはイントロがねえなあ」とか、「このバンドは1曲7分ぐらいある」とか。はたまた「このバンド、1曲5秒で終わってるよ。これでも曲と言っていいんだ」とか。とにかく試行錯誤しながらオリジナル曲にたどり着いたね、俺は。
──できた曲をどうやってメンバーに伝えていたんですか?
J 口ずさんで伝えていたかな。
INORAN うん、口ずさんだり、カセットに録音したりして伝えていたね。
──「TIME IS DEAD」の場合は? カセットにメロを吹き込んでINORANさんに渡していた?
INORAN カセットで渡されたのかなあ……。そこは定かではないけど、昔は曲のパーツができて、そこにイントロとかを重ねていって、次にBメロを作って、その化学反応でまた新しいパーツが出てくる……そんな曲の作り方をしていたよね。今みたいに曲の方向性をわかったうえで作っているんじゃなくて、どっちの方向に行くか自分でもわからないまま曲を作っていた。それが若さだと思うし、その部分をすごく大事にしていたような気はする。
──なるほど。ちなみに「TIME IS DEAD」をJさんが書いたのは、SUGIZOさんと真矢さんが入る前ですか?
J ちょうど2人が入った頃だね。
──では「TIME IS DEAD」は、INORANさんが言っていた化学反応を楽器隊4人で生み出していったんですか?
J うん。そうだね。
──INORANさんの最初のオリジナル曲は?
INORAN 覚えてないです(笑)。Jが「TIME IS DEAD」を書いた頃には俺もオリジナル曲は作っていたとは思うけど、たぶん最初に書いた曲は世に出てないんじゃないかなあ(笑)。ボツになった曲もいっぱいあるわけだし。
──曲ができてはメンバーみんなでスタジオに集まって、1日何時間も過ごしたりしたと?
INORAN うん。みんなでスタジオにいたね。だってそれやるために生きていたんだもん。
1989年5月29日から30年
──そしてRYUICHIさんが加わった5人のLUNACYがこの世界に産声を上げたのが1989年5月29日、町田にあるThe Play Houseでのライブです。
INORAN 30周年のタイミングだから当時のことをよく聞かれるわけなんだけど、なんだかすごく試されている感があって(笑)。でも、実際のところけっこう忘れているんだよね(笑)。
──そもそも30年前のことなんてそんなに細かく覚えてないですよね。
J ひどいよねえ。みんな自分では覚えてないのに、人には聞くでしょ?(笑) 冗談は置いといて、5.29の5人での初ライブ以前にRYUICHIもバンドに加入していたわけだけど、このライブで「いよいよ始まったぞ」と。そういう気ではいたかな。俺だけかもしれないけど、LUNA SEAというバンドが世の中に対してどんなインパクトを残せるかって、それだけを考えていた。とにかくセンセーショナルであることを考えていたし、そんな気持ちでライブに臨んだと思う。
INORAN 今はみんな楽しむためにライブやイベントをやっていますよね? それは日本だけじゃなくて万国共通で。当時の俺たちはそうじゃなかった。刺激が楽しいとかじゃなくて、求めていたのは刺激そのものなんだよ。楽しむためとか、刺激の中に楽しみがあるとかじゃなくて、刺激なんだよね。そんな時代だった気がする。
──なるほど。そんな刺激そのものを求めていた5人での5.29の初ライブで、具体的に覚えていることはありますか?
INORAN ものすごく下手くそだったよ、バンド的には。
──でも5.29のライブで音を出した瞬間のことを5人全員が「これだ!」と異口同音で述べたというエピソードがファンの間では伝説として残っています。実際にステージで音を出した瞬間にピンときたんですか?
INORAN うん。だって見たことも聞いたこともないような世界にいるわけだし、自分の部屋のステレオで聴いたことのない音だったから。なんだか形容しがたいけど、初めて食べた味というか。調味料で言ったらさ、醤油でもソースでもない、マヨネーズでもない。洋食でもないし和食でもないしイタリアンでもない。「何?この料理」って。ピリっとするしさ、不思議ともっと食べたいってなるような。
──Jさんはどうですか?
J 準備はできたというか、役者はそろったという感じがしたね。自分たちが思い描いていた世界に手を伸ばせるバンドになったんだと。それ以前は、音楽の話をするにしても順序立てて話さなければいけなかったり、回りくどい世界だった。でも、もっともっとわかり合える仲間たちがいて、わかり合える環境があって、目指す世界がある。そこへ最短最速で上り詰められるバンドになれるという思いが5人そろったときリアルに感じられた。だから楽しかったよ。楽しかったけど、目的というか使命感が楽しさを上回っていたよね。5月29日にやったライブはそりゃすごかったけど、「俺たちが見ているところはここじゃねえんだ」と。それがその当時の素直な気持ちだったかな。当然それまでだってバンドもライブも続けて来ていたわけだし、それはそれで楽しかったけど、新しいスタートとしてその日を迎えられた感じだったよね。
上を目指すことが自分たちの存在証明だった
──それにしても、ライブハウスじゃなくてもっともっと大きいところに行けると思えた自信の根拠ってなんだったんでしょう? 今だったら、ヴィジュアル系というシーンでがんばればLUNA SEAみたいに武道館、アリーナ、ドームまで行けるという画が描けるけど、当時はそんな先例もないし、そんな道もまったくなかったわけで。
J なんなんでしょうね。
INORAN わかりません。
──答えてください(笑)。
INORAN あははは(笑)。拒否するわけじゃなくて、わかんないもんはわかんない。ただ、なんとなくではなかった。だって、刺激的な食べ物をなんとなくでは食べないでしょ? 確実に食べたいと思った。もっとやりたい、もっと上に行きたいと思ったんですよ。じゃあ、どうする? 曲を激しくする? これしよう、あれしようって。目標はあったけど、そこに到達するための確かな道はなかったから、自分たちで作っていくしかなかった。そうなると、人と同じことをやっていたらやっぱり一番にはなれないし。一番になろうと思っているかどうかは別として。二番煎じなんて嫌だしね。
──Jさんは「自分たちの目指すところはここではないはずだ」という自信はどこから来ていたと思いますか?
J 言葉にしづらいんだけど、自分たちの存在証明だったんじゃないかな。もっともっと上に行くことが。結局俺たちはバンドというもので自分たち自身を測っていた感じもするんだよね。逆に言えば、自分たち自身を表現して、その存在を証明できるものがLUNA SEAというバンドだったんだと思うし。実際、音楽的に何が長けていたのかというと、理論的なところで言ったらゼロに近いものだったかもしれない。だけど、みんなが熱狂する音楽を作り出していけた。それを可能にしてくれるのが音楽のすごさだと思う。テクニックでもスキルでもなくて。もっと言えば、求めれば可能になる世界だったんだと思う。さっきINORANが言ったけど、目の前に道はなかった。どうしたらそうなるかなんて確証もなかった。でも、だからワクワクしたんじゃないかなとも思うんだ。
──確かに。先が見えたら安心しますがワクワクはしないですからね。
J うん。その不安の中でギリギリの気持ちでいること、その楽しさはあったかな。だって、ゼロなんだよ? つまづいたって誰からも見向きされない世界だし。別にここで消えてしまったって誰にも迷惑かけない。だけどやればやっただけ塗り替えられる、評価される世界だなって。それは楽しいよね。