今年、結成30周年を迎えるLUNA SEA。その原型であるLUNACYを作ったのが幼なじみでもあるINORAN(G)とJ(B)だが、この組み合わせの対談はLUNA SEA史上、実はあまり例がない。音楽ナタリーではLUNA SEAの結成30周年の記念日である5月29日に両A面シングル「宇宙の詩 ~Higher and Higher~ / 悲壮美」がリリースされることを記念して、ソウルメイトとも言える2人のみでLUNA SEAについてじっくり語り合ってもらった。
取材・文 / ジョー横溝 撮影 / 緒車寿一
今思えば運命としか言いようがない
──LUNA SEAは、INORAN(G)さんとJ(B)さんがやっていたLUNACYに、真矢(Dr)さんとSUGIZO(G, Violin)さんが入ったところから運命の歯車が動き出したわけですが、真矢さん、SUGIZOさんが入ってきたときのことは覚えていますか?
INORAN(G) LUNACYも真矢とSUGIZOがやっていたバンド(PINOCCHIO)も地元の神奈川でライブをやっていたので、真矢のこともSUGIZOのことも知っていたんです。なので、加入したときにはじめまして的なものではなかったんですよね。
──LUNACYへの引き抜きはどちらから声をかけたんですか?
INORAN それは覚えてないなあ。
──Jさんも覚えてないですか?
J(B) そうね。
──どういう経緯で2人はLUNACYへの加入が決まったんですか?
J 互いのバンドで活動しているうちに自然と近付いていった感じだと思いますよ。あの頃はバンドをずっとやっていく熱を持っているやつらがそういなかった時代だったので。自分の夢に向かって走っていくやつらって、まあ奇特な人種だったの(笑)。やっぱりバンドで食っていこうと決めるのは勇気もいるし、周りには無謀だと思われていただろうし。そういう現実が自分らの周りにはあって、その中で、1人消え、2人消え……「消え」って言うとネガティブに感じるかもしれないけど、それまでバンドや音楽をやっていた仲間がどんどん自分たちの人生を歩んでいく中で、真剣に音楽をやろうと思っているやつらの集まりになっていったという感じですね。
INORAN 10代の終わりって高校から大学に進んだり、就職したりする時期なわけです。その中で音楽の道を選んだというか、音楽しかなかったやつらなんだよね。それが今の4人であって、RYU(RYUICHI / Vo)だったんですよ。みんな片手間でバンドをやる、ロックをやるとかが嫌な人たちだったの。大学行きながらとかさ、別に大学行くのが悪いわけじゃないけど、何かをやりながらバンドをやることができない連中だった。それしかできなかった人たち……俺の周りにまずJがいて、SUGIZOがいて、真ちゃんがいて、RYUICHIがいたっていう感じです。
──どこかで読んだ記憶があるんですけど、もともとはLUNACYに真矢さんが入ろうとして、真矢さんが「SUGIZOも一緒じゃなきゃ嫌だ」と言ったとか?
J 確かに、最初は真矢くんに声をかけたんだよね。真矢くんはSUGIZOと同じバンド(PINOCCHIO)をやっていたんだけど、真矢くんを誘ったときに「SUGIZOとも一緒にやりたいんだ」と真矢くんがリクエストしてきたんだ。真矢くんには楽器4人編成のバンドのビジョンがあったみたいで、それで「SUGIZOも一緒に」と言ってきて「あ、ツインギターか」と思ったし、その瞬間にものすごく可能性が広がると思ったのを覚えているな。
──INORANさんはツインギター、つまりもう1人ギタリストが入ってくることに関して戸惑いはありました?
INORAN それはなかったなあ。俺はもともとあんまりギターギターしてないから(笑)。
──真矢さんとSUGIZOさんが加入し、楽器隊が4人となった当初のLUNACYはどんな感じだったのですか?
J 当然オリジナルを作り始めて、ライブハウスに出始めて。RYUICHI加入前のボーカルと一緒に活動していたんですよ。そのライブハウスでRYUICHIと出会って。ちょうどたまたま前のボーカルが辞めたいという話をしていた頃で、なんかすごいタイミングだったよね。
INORAN RYUのいたバンドも解散するタイミングで。今思えば運命としか言いようがない。
会話ではなく共感することで歩みを進めた
──誰がRYUICHIさんに声をかけたか覚えていますか? 想像するに、LUNACYのオリジナルメンバーだったJさんかINORANさんだったんじゃないかと……。
INORAN RYUがドーナツ持ってきたんだよね(笑)。
J 2個だけね(笑)。
──その2個は誰と誰用だったんですかね?
INORAN・J わからない(笑)。
INORAN そこを詮索するのはやめときましょう(笑)。その答えはRYUが墓場まで持って行く秘密ということで。
──秘密というより、お金がなくて2個しか買えなかったとか?(笑)
INORAN 確かにその可能性が大だね(笑)。
──だって当時は音楽で食えてないですよね?
J 全然食えないですよ。食えないというか、現実的な話で言うと、バイトしてそのすべてがリハーサルスタジオ代に消えていったりとか、機材に費やしたりしていたから。もっと言うとその当時って、例えばバイク、ファッション、女の子にモテたいとか、そういう男子が求める世界とは180°反対側の世界にいたからね、俺たち。でも俺たちにとってはそれらすべてよりLUNACYのほうが刺激的だった。
──Jさんは当時、どんなアルバイトをしていたんですか?
J 楽器屋さん。あとは造園屋さんとか。けっこう俺、バイトはいろんなのやったなあ。
──INORANさんは?
INORAN もちろんバイトはやりましたよ。楽器屋さんはもちろん、測量のバイトもやったし。ちょっと昭和の話ですけど、髪が長いと普通のバイトはできなかったのね、(神奈川県秦野市の)田舎だし。当時は髪が長いと基本的には日雇いのバイトしかできなくて、マクドナルドでは働けなかったから。
J そうね。対人の仕事はダメだった、その時代はね。ちょっと風体が悪いということで。
──そんな夢に向かって駆け出し始めた時代、LUNACYのオリジナルメンバーであった2人はどんな話をしていたんですか?
INORAN 2人でかあ……。Jとはガキの頃からの友達で一緒にいる時間が一番長いんだけど、一緒にいたときに何を話していたかと聞かれると覚えてないんだよね。と言うのも、2人のときに別に熱い話をしていたわけじゃなくて、感性や気持ちのエネルギーみたいなものをお互いに交換していた感じだったから。言葉を交わさなくても通じ合えたし、刺激し合えたし、同じ方向、同じ未来を見ていることはわかっていた。
J そうだね。音楽というものをベースにいろいろなことを2人で重ねて見ていた感じだよね。バンドを組んだり曲作りをしたりしていく中で、見据える世界というか、見据えている先が、だんだんと自分たちの中で絞られてくるわけですよ。そうなったときに、そこにたどり着くにはどういったものが必要かとか、もっと言えば、果たしてそれがクールか、クールじゃないかとか。自分たちの価値観の中で何を表現していくかを、言葉を交わすというよりも瞬間瞬間の共感みたいなもので選んでいた感じがすごくするかな。音楽においてそういう部分は大事だと思うんだよね。いくら理論武装してもステージでは通用しない。実際、理詰めせずともすごい音楽やバンドを俺たちは知ってた。それは自分たちを取り巻いている日常とは全然違う、世界のレジェンド級のバンドの話だったんだけども、そこにどうやって手をかけるか、飛び込んでいくか、何が必要で何が必要じゃないかをいつも俺たちは音を出しながら模索していたよね。
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「TIME IS DEAD」の思い出