Lucky Kilimanjaro「Kimochy Season」インタビュー|熊木幸丸が最新アルバムで描く“変化”と“季節の移ろい” (2/3)

海外アーティストのライブから受け取ったもの

──「掃除の機運」は「君がいないこの部屋 / さよならも言えないまま / どこか知らない誰かのもとへ…」という、メソメソした心情をつづった冒頭の歌詞が印象的でした。

90年代のフュージョン込みのポップスを意識していて、そこをサンプリングし直すみたいな感じで作った曲ですね。メソメソした感じでさよならを歌う失恋の曲ではあるんですけど、心の中を一旦掃除してリセットしましょう、ということを歌ったハウスミュージックになっています。

──サンプリングし直すという発想が面白いですね。つまり、90年代風の失恋に対する気持ちを歌った曲も、2020年代にやったらこうなるでしょという。

そうですね。今のトーンだったら、そんなにメソメソしてられないでしょうって。もちろん、メソメソしてもいいんですけど(笑)、失恋の悲しい気持ちを捨てちゃってすっきりしたいときってあると思うんですよね。それを軽快なポップスとして表現したいなと。

熊木幸丸

──この曲にはブラスの音も入ってますが、どんなイメージからできたんですか?

去年ジェイミーXXのDJを観たときに、サックスのサンプルを使ったハウスを途中で入れていて、すごくカッコよかったんですよね。それを聴いて酔っぱらって帰ってきたあと、さっそく自分でも試してみました。翌日聴いたら軽快でいい曲だったので、このまま形にしようと思って制作した曲です。

──昨年は現場で音を体感することも増えてきた1年だったと思いますが、2022年にリスナーとして心に残っている音楽はなんですか?

やっぱりダンスミュージックの肉体性を感じる瞬間は、すごく刺さりました。特に「TONAL TOKYO」で観たジェイミーXXや、「フジロック」で見たボノボは、僕の作品作りに生きています。今面白いダンスミュージックって、こういうものなんだなと思いましたね。

──昨年のボノボは5年ぶりのアルバム「Fragments」のリリースもありました。彼は抒情的でロマンチックな音楽を作る人ですよね。

そう、抒情的。僕はエモーショナルなものがすごく好きなんです。ちゃんと泣けるものというか、自分が最高だと思えるものはそういうところにあるんだろうと思います。あと、もともとフォー・テットが好きで、ボノボにはフォー・テットに通じる部分を感じるんですよ。彼の音楽には、繊細さとダンスミュージックの力強さがいいバランスで出ている。有機的な感覚と無機的な感覚の融合性、その新しいバランス感覚を感じますね。

──なるほど。

ボノボは先日DJでのアクトも見てきたんですけど、バンドとはまた違ったことをやっていて、バンドの有機性を理解したうえで、それをダンスミュージックに落とし込んでいた。それは僕がやっている「バンドでいかにダンスミュージックを表現するか」というところにつながることでもあって、とても感動しました。

未来を感じさせる別れを歌わないといけない

──作品の話に戻ると、「またね」はアルバムのちょうど真ん中にあるというのもありますが、今作の中心にあるような曲に感じます。

この曲はアルバムの最後のほうにできた曲でした。別れは非常につらいものではあるけど、どこかでちゃんと未来を感じさせる別れを歌わないといけないな、とは常々思っていたんですよね。別れの先にきっと何かがあるよね、と。そこに美しいものやいいことだってある。少しでもそういう成分を感じてもらえたらいいなと思って書きました。なので「またね」は別れについて書いた曲ですが、変化を乗りこなすというところで、非常にこのアルバムを象徴している曲なのかなと。

──イントロも象徴的で、すごく気持ちのいいシンセが鳴っています。また、クラシックなダンスミュージックの匂いも少し感じる曲だと思いました。

そうですね。Roland TB-303のベースを使っているし、クラシカルな要素を感じる曲だと思います。そのうえで、いかに新しいポップスとして打ち出すかというところのバランスを意識しました。僕は日本で音楽を聴いていて、日本で生活している、そういう文化の人たちに対してどうやってダンスを届けるのかを考えているので。みんなが歌えるもの、だけど踊れるものっていう、そのバランスは意識しましたね。

──「咲まう」は弾き語りで成立するような、非常に歌が映える曲です。

「Kimochy Season」はジャンルとしてのダンスミュージック性が大きく出たアルバムだと思っているんです。そもそも僕は、あらゆる音楽が踊れるものだと思っています。なので、こういうゆったりとした時間の動きに対しても、ちゃんと自分の心が踊れるっていうことを、僕が提案しないといけない。そして牧歌的な要素だけではなくて、ある種マシーン的な感覚もあるというか。モヤっとしたシンセの音が入っていたりとか、ちょっと新しいアコースティック感を出したくて。そこはジェイムズ・ブレイクやブラッド・オレンジにすごく影響を受けているところで、その意味でも浮遊感を大事にしました。

熊木幸丸

悲しい感情をダンスにしたい

──「千鳥足でゆけ」は、ハウスミュージックに日本の祭囃子が出会ったような曲だと感じました。

ヒップホップやジャズ由来のハウスミュージックの感覚を大事にした曲ですね。ドランクビート感というか、ハウスのグルーヴとは少し違う、バウンスするグルーヴを意識しています。そこでなおかつ、酔っ払っているようなグルーヴに仕立て上げました。

──「踊るよ良いよ酔いよ良い」というフレーズがいいですね。

僕はお酒が好きなんですけど、お酒を飲んでいるときが一番やらかしちゃうんです。それって本来シラフのときには起こり得ない変化が起きるときだとも思っていて。そういうある種恥を感じながらも外側に動き出す状態というのが、人生には必要だと思うんですよね。毎日そういうふうに踊ってみましょうよ、という楽曲です。

──次は冒頭でお話しされた「ファジーサマー」、そしてそのカップリングとしてリリースされた「地獄の踊り場」へと続きます。後者はブレイクビーツに体を持っていかれるような曲ですね。

ドラムンベースやジャングルと呼ばれる音楽をジャズ的に解釈しているというか。ドラムンベースよりももう少しもたつくようなイメージ。そういう速度をあまり感じられないような曲にしました。

──というのは?

この曲で考えていたのは、人生の谷の部分をいかに踊るか、というところ。明るい気持ちになるために踊るのではなく、いかに暗い状態を味わえるか。そうやって暗い状態にどうやってアプローチするのがいいのかって考えたとき、ズルズルした感じで踊りたいと思ったんですよね。それが2022年夏のLucky Kilimanjaroのトーンというか、悲しい感情をダンスにしたい、そういう気持ちが顕著に出た楽曲なのかなと。

熊木幸丸

──悲しみを受け入れるということですね。

そうです。やっぱりつらい時期って相対的に訪れるものだと思っていて、ずっと明るくいるというのは難しいものだから。それならつらい時期に何をするかという手札を持っておいたほうがいいと思うんです。「ファジーサマー」や「地獄の踊り場」は、元気になるための曲ではないものを書きたいと思いました。

──そうした2曲を経て、光が見えるような「闇明かし」へとつながります。

「闇明かし」は自分の実体験からできた曲です。僕は自分で歌詞を書くし、曲のアレンジもするし、プロデュースもするから、孤独な作業の中でどんどん自分の内に閉じこもってしまうタイミングがあって。そういうときは妻でありメンバーであるmaotakiさんに相談してみたりする。自分がいっぱいいっぱいになって無理なときに、それを無理って伝えることが大事だったんだなって感じたんですよね。自分の弱さを外に出すのは非常に怖いことだけど、お互いの弱さをどんどん出していこう、そうやって理解し合ったところでみんなで踊ろうということを思って書きました。