「ギターがすごくうまい、雲の上の人」「なんか外国人みたいだな」
──改めてLOVE PSYCHEDELICOのキャリアについて振り返りたいのですが、結成は2人が青山学院大学に在学中だった1997年ですね。
KUMI はい。同じ音楽サークルの先輩後輩でした。
NAOKI もともとは僕がKUMIを誘って、バンド形態で活動していたんです。それが解散したりして、2人組になったのが1997年。
──お互いの第一印象って覚えていますか?
KUMI 確かVan Halenの曲で速弾きをしていました。だから第一印象は、単純に「ギターがすごくうまい、雲の上の人」でした。
NAOKI ホント?(笑)
KUMI 私はそう思ってたよ(笑)。先輩だったし。
NAOKI 僕のほうも、KUMIの第一印象はよく覚えてますよ。最初に歌ったのはサークルの部室じゃなくて、渋谷のレンタルスタジオだったよね。
KUMI うん。そうだった。
NAOKI バンド内で互いを褒め合うのも気持ち悪いですが(笑)、歌い出した瞬間「うわ、すげえ」って驚きました。いろんな洋楽バンドの楽曲をカバーしたんですが、歌い方も発音も大学サークルのレベルではなくて。ベタな感想ですけど「なんか外国人みたいだな」と(笑)。当時はプロになるなんて想像もしてなかったけれど、この人と一緒にバンドをやりたいなって、すぐに思いました。
──では、2つの歯車が噛み合った瞬間というか、自分たちが作る音楽に特別な何かがあると感じたのは?
KUMI バンドで活動していた時期にはまだなかったですね。その後、バンドが解散して。もうライブができないから、2人でデモテープを作ろうという話になって……そうやって曲を作り始めてからかな。
NAOKI それが1997年頃なのかな。
KUMI で、最初に作ったのが「LADY MADONNA ~憂鬱なるスパイダー~」。そのときは「なんかすごいのができた」と思いました。自分たちの曲なのに、「これ、一体誰が作ったんだろう?」みたいな。
NAOKI 最初はホント、そんな感じだったよね。もともとバンドでやっていたオリジナル曲が原型なんですけど、当初はもうちょっとブルージーな曲調で。歌詞も英語詞で今とは違っていて。それをもとに2人で新しくデモを作った際、初めて日本語のリリックを混ぜたんだよね。それも「試しにちょっとやってみようか」くらいの感覚で、何か狙ったわけじゃ全然なかった。
KUMI 次が「I mean love me」。今から思うと、当時はスキルとかまるでなかったけど。自分たちの頭の中で鳴っている音楽、感じているものが次々と形になっていくのがとにかく楽しかった。
──なるほど。
NAOKI あと当時、ROLANDからVS-880というデジタルハードディスクレコーダーが発売されたんですよ。それまでは4trのカセットMTRを使っていたので、ピンポン方式で多重録音すると音がどんどん劣化しちゃうんだよね。
KUMI リバーブが深くなって、混沌としてくるんだよね。
NAOKI そうそう!(笑) その点、デジタルハードディスクレコーダーは多重録音しても音がクリアだし、テープに比べてノイズも格段に少なかったので。
KUMI 自分たちのイメージしているものを、かなり再現することができた。自分たちがデモ音源を作り始めた時期に、ちょうどそういう機材が学生でも入手できるようになったのは、すごく大きかった気がします。
NAOKI もちろんその時点では、自分たちが数年後メジャーデビューするとは想像もしてなかったけれど。当時VS-880に録った素材は、2000年の1stアルバム「THE GREATEST HITS」でそのまま使っています。
2人になって楽曲至上主義に
──「LADY MADONNA ~憂鬱なるスパイダー~」の完成度は、今聴いてもすごいですね。最初に作った曲とはとても思えないくらい。サークルのバンド活動から2人組ユニットに移行して、何がよかったと思いますか?
NAOKI そうだなあ……1つ思うのは、バンドをやっているとメンバー全員が参加できる曲を無意識に書いちゃうんですよね。「今回はアコギとピアノ主体の弾き語りだから、リズム隊はお休み」みたいなことは、なかなか言えない、友達だから(笑)。2人でデモを作り始めてからは、そのストレスが消えて。いわば楽曲至上主義になれたのはよかったんじゃないかな。
KUMI だからこそ、頭の中のイメージを形にできた。
NAOKI でもそれも、偶然と言えば偶然なんですよね。僕たちとしては、そのデモ音源を聴いて理解してくれるメンバーを探して、またバンドを組みたいと思ってたんです。ところがそのカセットテープがたまたまレコード会社の手に渡って、「この音源をそのままCDにしませんか」とオファーをいただいた。
──それで2000年4月の「LADY MADONNA ~憂鬱なるスパイダー~」を皮切りに「Your Song」「Last Smile」と立て続けにシングルがリリースされて。翌2001年に出た1stアルバム「THE GREATEST HITS」はいきなり200万枚の大ヒットを記録します。そのことに対しては驚きました?
NAOKI 1stアルバムに収録した曲の大部分は、デビュー前にデモで作っていたものだったんですね。学生時代は安いマイクを使っていたので、ボーカルとアコースティックギターのトラックだけ録り直したりもしたんですけど、残りはほぼそのまま世に出ることになった。それもあって最初はあまり現実感がなかったというか。スタッフと一緒にCDショップを訪れて初めて、「あ、俺らのCDが本当に並んでるよ」くらいの感じだったんですよね。
KUMI 楽曲そのものは自分でもすごく気に入っていたので、何かしら伝わるものはあるはずだって思ってました。ただ、それがCDとして流通する際には、LOVE PSYCHEDELICOという1つのパッケージになって世の中に出ていくわけで。そんな温度差のようなものは感じていました。
NAOKI 最初に言ったように、もともとCDデビューすることを目標にしていたわけでもなかったので。自分たちの楽曲を多くの人に聴いてもらえるのは素直にうれしかったけれど、結局よく状況を把握してなかったんだと思う。プロのミュージシャンとして活動を続けていくことに対して。
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人生から音楽が消えることはない