音楽ナタリー Power Push - ろん

人気歌い手とプロデューサー恩田快人、それぞれが考える「J-POPの魅力」

恩田快人インタビュー

自分が好きな人はみんな1960年代のガールポップに影響を受けていた

──ろんさんから「そばかす」をカバーしたいという話を聞いて、第一印象はどうでしたか?

恩田快人

もちろんうれしかったですよ。ミュージシャン冥利につきますね。というのも、自分自身、影響を受けたミュージシャンの作品を今でもずっと聴き続けているので。僕の作った曲が、同じように若い世代の人に興味を持ってもらえて、歌ってもらえるのはすごく光栄に思います。

──恩田さんご自身が影響を受けた音楽というと?

70年代からのハードロックやヘヴィメタルは大好きだし、すごく影響を受けました。80年代のMTVの影響も大きい。マドンナ、マイケル・ジャクソン、シンディ・ローパー、Motley Crue、Guns N' Roses……、そのあたりは全部好きですね。と同時に、日本の音楽、山下達郎さんや松任谷由実さんもすごく好きで。で、自分が影響を受けたいろんなもののルーツをたどっていくと60年代に突き当たるんです。

──1960年代のどのあたりでしょう?

実は60年代ってガールポップの時代だったんですね。そのことを僕が知ったのは、Twisted Sisterという80年代のヘヴィメタルのバンドがきっかけで。彼らがアルバムで「リーダー・オブ・ザ・パック」という曲をカバーしている、そのオリジナルが60年代のThe Shangri-lasというグループだったんです。不良の女の子の3人組で、キュートで切なくて、すごくカッコいいんですよ。実は、The Shangri-lasやThe Ronettesのような60年代のガールポップって、メタルやパンクやグラムロック、山下達郎のようなミュージシャンも含めて、自分の好きな人たちみんなに影響を与えていたんですね。

──なるほど。恩田さん自身もカバーをきっかけに好きな音楽のルーツを知ったと。

そうですね。自分の好きなパンクやハードロック、ヘヴィメタル、グラムロックなど、いろんな音楽の要素を全部吸収したものを90年代的なセンスでやろうと思って作ったバンドがJUDY AND MARYだったんですけれど、実はそのルーツにはThe Shangri-lasがあった。そのことにはずいぶん後から気付いたんですけれどね。

JUDY AND MARY結成の裏側

──そもそもJUDY AND MARYは恩田さんのソロプロジェクトとして始まったという話を聞いたんですけれども。

そうです。最初のインディーズ盤は、バンドのアルバムというより僕のソロアルバムみたいなイメージで作りました。

──始めた当時はどういう意図があったんでしょうか?

その頃の僕は27歳で、JUDY AND MARYは3つ目のバンドだったんです。当時はJACKS'N'JOKERのベーシストとして活動していて。でも、いわゆるブレイクを果たした状況ではなくて、何かを成し遂げたいという思いがあった。自分のアイデアを形にしてみたいと思っていたんです。ちょうどそのときに、「いつかギラギラする日」という映画のロケがきっかけで、函館で当時19歳だったYUKIちゃんに出会ったんですよ。

──YUKIさんの声を最初に聴いたときの印象はどうでしたか?

すごくキュートだし、ハスキーな感じもあるので、切ない歌もすごく似合うと思いました。だから、ガールポップの切ない感じをパンク少女のスタイルで歌ってくれたらいいなと思って。YUKIちゃんからは、友達のGLAYが東京に出ていって活動しているし、自分も上京したいんだけれどバンドメンバーが見つからない、みたいな相談を受けたんですよ。で、誰か紹介してほしいという話だったんですけれど、すぐに自分の曲を歌ってもらおうって思いました。

──最初のアルバムのときには持続的なバンドとしてやっていくイメージはなかったということなんですよね。

なかったです。YUKIちゃんと(五十嵐)公太くんと、そのときのギターの(藤本)泰司くん、みんなにギャラを払って、自分のソロアルバム1枚きりのつもりで作ってましたね。YUKIちゃんにも「これを自分の名刺代わりにしてね」って言って。ほかのメンバーにも「もしまたやりたくなったときは、契約取れたらまた誘うから。さようなら、ありがとう」って言って。

──でも、それでは終わらなかった。

JACKS'N'JOKERの活動に戻っても、夜にベッドに入ると新しい曲のメロディがどんどん湧いてくるんですよ。で、今と違ってあの頃はパソコンとかスマホの時代ではないから、曲を作ってファイルでやりとりなんてことはできないし、バンドを掛け持ちするなんてことも難しかった。だからバンドにも「次のベーシストが見つかったら辞めさせてください」という話をして、自分が作ったインディーズ盤の音源とライブ映像をソニーのSD事業部っていうところに送って、それでメジャー契約することになったんです。

大人になったYUKIちゃんにもう一度はじけてもらった「そばかす」

──その時点で、JUDY AND MARYがポップスとして広く聴かれていくものになるだろうという確信はどれくらいありましたか?

大ブレイクするとか、老若男女に届くとか、そういうことは想定してなかったですね。でも、ライブハウスにバンドを観に来るような人たちにアピールできればいいなとは思ってました。「夢を追い続けるすべての心若き人に捧げます」っていうコンセプトでバンドを始めたんです。だから、10代や20代、30代以上でも「何かを成し遂げたい」と思う人にアピールするような音楽は作りたいと思っていたし、ベストを尽くせば届くんじゃないかと思ってました。

──「そばかす」という曲はどういうきっかけで作られたんでしょうか。

恩田快人

3枚目の「MIRACLE DIVING」というアルバムを作り終わったときに、確かソニー・ピクチャーズが初めて手掛けた「るろうに剣心」というアニメのタイアップ曲をお願いしたいという話が来たんです。そこで急遽作ることになったんですね。タイアップありきだったし、スタッフの皆さんから「JUDY AND MARYらしい、はじける、パワフルで楽しい曲を」とも言われて。1週間くらいすごく悩みました。

──この曲ができたときにはどんな手応えがありましたか?

JUDY AND MARYの1stアルバムはインディーズ時代の曲がほとんどで、その頃は19歳から20歳の、不器用なパンク少女としてのYUKIちゃんが歌っていたんですね。で、そこからメンバー全員が曲を持ち寄って、JUDY AND MARYの4人の魅力が詰まっているものを体現しようと2ndを作った。それがリスナーの皆さんにも共感してもらえた感触があって。「Over Drive」や「ドキドキ」が入った3枚目の「MIRACLE DIVING」を作った頃には、バンドもかなり成長してきていた。同時に、YUKIちゃんも大人っぽく歌うようになってきていたんですね。そこで「そばかす」では、もう一度YUKIちゃんにパワフルではっちゃけた、元気な感じを出してほしいって、歌入れのときにお願いした記憶がありますね。この曲が入った4枚目の「THE POWER SOURCE」は、みんな脂が乗ってきたというか、プレイヤー的にもバンド的にも、いろいろ試行錯誤してきたことが結実した1枚だと思いますね。

ろん J-POPカバーアルバム「ろんかば -J-POP ZOO-」2015年8月26日発売 / Warner Music Japan
初回限定直筆サイン入りストラップ同梱盤 [CD+グッズ] 2808円 / WPCL-12183 / Amazon.co.jp
通常盤 [CD] 2376円 / WPCL-12172 / Amazon.co.jp
収録曲(カッコ内はオリジナルアーティスト)
  1. RPG(SEKAI NO OWARI)
    produced by 亀田誠治
  2. そばかす(JUDY AND MARY)
    produced by 恩田快人、鳥海剛史
  3. 午前8時の脱走計画(Cymbals)
    produced by ミト(クラムボン)
  4. スピカ(スピッツ)
    produced by ジミーサムP
  5. First Love(宇多田ヒカル)
    produced by keeno
  6. ESCAPE(MISIA)
    produced by フルカワユタカ
  7. ブルーバード(いきものがかり)
    produced by 鈴木Daichi秀行
  8. ENDLESS STORY(REIRA starring YUNA ITO)
    produced by おさむらいさん
  9. JOY(YUKI)
    produced by ジミーサムP

<ボーナストラック>

  1. スイートマジック(2015 Summer ver.)
    produced by Junky
ろん

ろんニコニコ動画を中心に活動する歌い手。初めて動画を投稿した際にイギリス・ロンドン在住だったことから「ろん」と名乗るようになった。2010年5月に投稿した動画「おちゃめ機能 歌った」で一気に注目を集め、6月には自身初のミリオンを達成。同動画は2012年3月にニコニコ動画「歌ってみた」カテゴリ史上初の600万再生となり、2015年8月の時点で再生数は1040万を超えている。2011年11月に初のソロアルバムとなる「EXIT TUNES PRESENTS ろん BEST -ひっしに歌ってみた編-」を発表。2015年8月にはJ-POPカバーアルバム「ろんかば -J-POP ZOO-」をリリースする。キュートかつ愛らしい歌声で中高生を中心に絶大な支持を集め、Twitterのフォロワー数は22万人を超える。

恩田快人(オンダヨシヒト)

兵庫県神戸市出身のベーシスト / 音楽プロデューサー。1982年にヘヴィメタルバンド・PRESENCEを結成し、1990年にヘヴィメタルバンド・JACKS'N'JOKERに加入した。その後、映画「いつかギラギラする日」の撮影で出会ったYUKIとともに1992年にJUDY AND MARYを結成し、同バンドのリーダーを務める。JUDY AND MARYは「Over Drive」「そばかす」などの大ヒット曲を飛ばし、「NHK紅白歌合戦」への出場や東京ドーム公演などを行う国民的人気バンドとなるが、2001年に解散。その後はWhiteberryなどのプロデュースや、さまざまなアーティストへの楽曲提供、辻仁成率いるZAMZA N'BANSHEEへの参加など、多方面での活躍を見せている。