駆け抜けた10〜20代の記憶
──それまで以上にロックバンド然とした環境で作られた、ということですよね。デビュー当時のLAZYはアイドル的な要素が強くて、レコーディングも芸能活動の合間を縫うように行われていたそうですが。
井上 とにかくリリースサイクルが早かったので、しょっちゅうスタジオに行ってましたね。
高崎 シングルの場合は、スタジオに行ってみると、すでにできあがったオケが用意されてることもあった。もちろん全部がそうだったわけじゃないですけどね。そういう時代だった、ということです。
井上 当時はちょうどポリフォニックシンセが出た頃でもあって、革命的にいろんな音が出せるようになって。宇宙船が登場するSE1つ作るのに、8時間くらいかけて夢中でやってた記憶があります。
影山 レコーディングのトラック数も24チャンネルの頃だよね? 順番が前後するけど、「Rock Diamond」(1979年9月発表のアルバム)のレコーディングでハワイに行ったときに、それまで16チャンネルだったのが24になって、すごいなと思ってたんだけど。今や僕らのまわりのミュージシャンで、ぶっといアナログのテープで録ったことのある人なんてほとんど皆無ですからね。
高崎 むしろ、今だからこそまた16で録ってみたい気もする(笑)。しかも当時はミキサー卓のフェーダーもすべて手動だったから。
影山 そうそう。今と違って、記憶されたデータに基づいて自動的にセットされるような感じではなかったから。
高崎 そこで樋口さんは常にドラムのフェーダーを上げてた。「それ、上げすぎやろ!」というくらいに(笑)。樋口さんに限らず、みんな自分の音を目立たせたいもんやから(笑)、そういうことが多々あったな。
──当時の逸話として、皆さんがだんだんレコード会社や事務所の大人たちの言うことを聞かなくなり、スタジオにも関係者たちが徐々に来なくなった、というのを聞いたことがあります。
高崎 そうなんですよね。伊集院さん、水谷さんはずっといてくれたけども。メインのディレクターみたいな人も、最初のうちはスタジオの前の坂道をゼエゼエ言いながら登って来てくれてたけど(笑)、「イチ抜けた」みたいな感じで来なくなって。結局、それまではいろんな助言に従いながら演奏してたけど、だんだんみんな、自分のスタイルでやるようになっていたから。
──そういった個々の自我が出ているのも「宇宙船地球号」の魅力の1つだと思います。実際、制作前に「ハードロック宣言」をしていた時点で、こうした作品像というのは思い描けていたんですか?
高崎 うーん、それはどうかな。さっきも話に出た「Rock Diamond」というアルバムのときに、初めて「みんな絶対に何曲ずつ書いてくるように!」みたいなことを会社側から言われて、そのあたりからみんな作詞、作曲を始めるようになったんですよ。当初はもちろんできなかったし、ちょっと嫌々やるような感じというか、まさに宿題をこなすような形での作業でもあったけども。ただ、そういうことをやっていかないと、結局はアイドル時代にやってきたのと同じことの繰り返しになるだけだとわかっていたし、成長もできないと思ったからね。だからこそみんながんばれたんだと思う。だから、あのアルバムの頃からは、芸能の仕事が終わって帰ってきたら、思い付いたリフを録り貯めたりするようになってたんです。まだきちんとした作曲ができていたわけじゃないけど、そうやって個々にアイデアをまとめるようになってきてた。
──つまり「Rock Diamond」やそれに続く「LAZY V」(1980年4月発表のアルバム。1978年発表のライブアルバムが2作目としてカウントされているため、スタジオ第4作でありながら「LAZY V」と銘打たれている)が、「宇宙船地球号」へと向かううえでの過渡期というか、皆さんのミュージシャンとしての転機になっていたわけですね?
影山 そういうことになりますね。LAZYって、そもそもはDeep Purpleみたいなバンドがやりたくて上京したはずだったのに、それがいきなりアイドルバンドとしてのデビューになって、それから慌ただしい日々が続いていって……。結局、当時のLAZYの4年間の活動というのは、そこから初心に戻っていく過程だったと思うんです。同時に思うのは、このアルバムを作り得たのは、タッカンと樋口さんの情熱があったからこそだということ。2人の「本格的にハードなものが作りたいんだ!」という思いが、事務所の社長をなぎ倒し、レコード会社のディレクターも説き伏せることになった(笑)。そうやって作ったものが結果的に最終作になったというのも、なんだかとても象徴的な流れだったと思いますね。とにかくこのアルバム(「宇宙船地球号」)では、アイドル色を完全に排除しようとしていたから。
井上 そう。だからこそジャケット写真はおろか、裏ジャケにもメンバーの顔写真が一切ないくらいだし。
影山 それもすごい話だよね。アイドルなのに顔を出してないというのは(笑)。
高崎 しかもこのアルバムジャケットがまた素晴らしいじゃないですか。
──ええ。アルバムの内容ももちろんですけど、このアートワークもすごく象徴的で、多くの人に記憶されてきたはずです。LPで持っていたい、と思わせるものでもありますし。
影山 そうなんですよ。まさに僕らが少年期に好きだったLP、買い漁っていた洋楽の名盤とかに通じるものがあるんですよね。このサイズ感といい、A面とB面があるっていう世界観といい。しかも作品自体にちゃんとコンセプトがあって。
──このアートワークを担当された生頼範義さんは残念ながら2015年に亡くなっていますが、「スター・ウォーズ~帝国の逆襲」や「ゴジラ」シリーズのポスターなども描かれていた方ですよね。
高崎 そう。すごい方なんです。やっぱり素晴らしい芸術というのは40年とかそういった長い月日を経ても枯れないものだし、今見てもほんまに素晴らしいと思えるんですよね。
還暦でもがんばるから、お前らもがんばれよ!
──それは、この作品に詰め込まれている音楽についても同じことだと思います。そして、皆さんの当時なりの理想がこうして形になったことによって、各々にとっての「本当にやりたいこと」がより鮮明に見えてきた。
井上 そういう部分はありましたね。今回の配信に向けて練習するために改めて聴き込んでみたら、わりと無茶なピアノのアプローチをしてたりする部分もあるんです。それはたぶん、自分の好きなものをなんとかしてここに反映させたいという思いからだったろうし、逆に言えば、そこで自分自身、そこまでハード&ヘビーな方向に行きたいわけではないことも明確になったわけですよね。
──当時の井上さんは音楽的にはデヴィッド・フォスター的なAORへの傾倒が強まっていた時期でもあったはずですしね。そうして各自のビジョンがクリアになっていたからこそ、この作品を経たうえでの解散という答えも自然に出てきたんだろうと思います。もちろんファンは突然の終焉に驚いたはずですが、解散自体は円満なものだったんですよね?
影山 基本的にはそうなんですけど、実はその少し前から樋口さんがバンドを代表して事務所サイドにいろんなことを言うようになっていたんですね。それで、事務所側から嫌われだして、ちょっと追い出されそうになっていたことがあった。そこで「追い出されるんやったら、俺らも一緒に付いていくよ」みたいな感じではあったんですよね。年齢的にも樋口さんはみんなより2歳ほど上だったし、リーダーという立場だったから、生活面のこととかも含めていろいろ事務所に交渉してくれてたんです。そのために1人だけ悪者扱いされて追い出されるなんてことになるのは、僕らとしても納得できなかったし。
高崎 活動が続いていく中で、いろんなミュージシャンとの付き合いも増えてきて、「普通はこうやで」というような話も樋口さんは聞いてたわけですよ。
井上 しかもまだ10代だった4人とは違って樋口さんだけ20代になっていたから、その先の音楽人生についての考え方も、より真剣だったんだと思いますね。
──そうした時代の気持ちが詰まったこのアルバムの世界が、発表から40年以上の月日を超えて今回再現されることになるわけです。それこそ配信の場合、長年のファンの皆さんばかりではなく、LAZYのライブを観たことのない人たちの目にも届きやすくなると思うんですが、そうした人たちに着目してほしいのはどういった点でしょうか?
高崎 やっぱり、今のLAZYが持ってるロックスピリットというものを感じてほしいですね。若い頃から抱えてきたロック魂が年齢と経験を重ねてきて、当時よりもずっと巨大化してるわけです。そこを感じてもらえたらうれしいですね。変わらない部分と、熟成された部分とを。
井上 若かりし頃に一生懸命作ったアルバムを、こうして60歳を過ぎて再現するというのは、普通に考えればなかなか難しいことだろうと思うんです。ただ、実際に一緒に音を出してみても、みんなしっかり再現できているし、ええ年をしてよくやってると思うんですよね(笑)。そういう意味では、同じぐらいの世代の人たち、それこそ定年を迎えるような年齢の人たちにとっての励みになったらうれしいし、「これからも皆さん、変わらぬスピリットを持って生きていきましょう!」ということが伝えられればいいなと思ってます。
影山 うん。まさにそういうことだと思う。僕の場合も40年前に比べれば、もしかしたら声だって衰えてるのかもしれない。だけどそれを補うものが今はあるはずだし。例えば昔バンドをやっていて、「DREAMER」をコピーしてたというおっちゃんたちにもぜひ観てほしいし、「おお、今も現役でこんなにがんばってはんねや!」と思わせたい。そんな血が騒ぐような、ガッツのあるパフォーマンスをしたいですね。もちろん若い世代に向けても、「還暦でもがんばるから、お前らもがんばれよ!」みたいな気持ちです!