結成から8年を経て1stフルアルバムをリリース
──そして「RE:SOUZOU PROJECT」がスタートしたタイミングでピアニストのSYUTOさんが加入されました。
SYUTOがバンドに入って最初にやった作業は、「RE:SOUZOU PROJECT」の一環でイカ臭い歌詞カードを袋に詰めることでした(笑)。
──(笑)。SYUTOさんの第一印象はいかがでした?
ピアニストって、バンドをやりたいヤツが少ないと思っていて。特にクラシック出身だとソロプレイヤーとして活躍したい人が多いし、そうじゃなくてもコンポーザーやプロデューサー志向だったり。でも、SYUTOはクラシック出身なのに「俺、パンクバンドやりたいんすよ」と言ってて。それだけで面白いと思ったし、どこかで何かが外れた人なんでしょうね(笑)。
──しかも、加入したタイミングで普通のバンドから逸脱したことをやったのに、それすらも飲み込めたという。
逆に言えば、バンドらしい活動なのかもしれないですけどね。よくわからない閉ざされたコミュニティの中でよくわからないことを積極的にやる、という(笑)。
──そして、結成から8年の月日を経て、ようやく1stフルアルバム「NEW MOON」が発売されました。「NEW MOON」収録曲で、ベスト盤のDISC 1にも1曲目として収められている「Mr. Good Morning」は、バンドサウンドとピアノの音色の美しさが絶妙にマッチしていました。
そうですね。パンクとピアノをどう合わせるかを模索した結果だし、バンドとして1つの到達点になったと思ってます。だからこそベスト盤でも1曲目にしましたから。
──バンドとしてはテンションがアガったタイミングではあったと思いますが、その先にベーシストのKYOHEIさんの脱退が待ち受けていたという。
「どうした、LAID BACK OCEAN!?」となりますよね。KYOHEIが「僕はデザイナーになりたい」と辞めることになって。
──KYOHEIさんはデザイナーになったんですか?
デザイン事務所に就職して、本当にデザイナーになりました。やっぱり、最初は「なんだよ」と思ったりもしたけど、実はベストアルバムのデザインはKYOHEIが手がけてるんです。
──そうだったんですか!
これだけ長くやっていると喧嘩別れということもないし。それぞれの人生があって、それがいろんなところで交差していくのは美しいなと思ってますよ。
思い付いたことは全部やってみたい
──そして、そんなバンドにベーシストとしてSHOUYAさんが加入しましたよね。
はい。でも、ホントのことを言うと、ベースを入れずに4人でいいかなと思った時期もありました。
──KYOHEIさんが脱退したタイミングでベースレスの編成でツアーも行いましたよね。
やりましたね。思い付いたことは全部やってみたいから(笑)。鍵盤を2台にして、SYUTOの左手がベースの役割を担うアレンジに変更してみたら、成り立ったんです。ただ、ちょっとこじんまりしちゃうところもあって。Twitterでベーシストを募集してみたら、すぐに20人ぐらいから応募があり、その中の1人がSHOUYAでした。彼自身の熱量がすごく高かったし、メンバーが新しく加入するときってバンドに思いっきりエンジンがかかるんですよ。それをもう一度体験してみたくてお願いしました。
──現体制のメンバーがそろっての1発目、4thミニアルバム「DEFY」(2019年7月リリース)はクラブミュージックをも飲み込んだような、壮大なサウンドでした。
SHOUYAが跳ねる感じのベースを得意としているんですよ。そこにSYUTOが作ってくるミドルテンポの曲がハマって、新しいところへ向かっていったと思います。ピアノとロックの共存の一歩先みたいな感じというか。
──そして、2020年は新型コロナウイルスの影響で閉塞感のある1年でしたが、引き続き「RE:SOUZOU PROJECT」を進めていましたね。思うような動きができなかったとは思いますが、実際の心境としてはどうでしたか?
新型コロナウイルスが広まる前からもともと、「RE:SOUZOU PROJECT」の第3弾をやることが決まっていたんです。当初の予定としては、CDを購入してくれたファンの元へ、メンバーやスタッフで直接商品を届けに行こうとしていて。
──数として10や20じゃないわけですけど、現実的に可能だったんですか?
はい。1000件ぐらいだったけど、スケジュールもしっかり組んでましたし。配送料と、旅費や滞在費といった直接届けに行く経費を比べたら、意外とトントンぐらいで。
──ちなみに、そこに人件費は入ってるんですか?
まったく入ってない! だって、そこはバンドだから、リハに入ってもギャラなんて出ないじゃないですか(笑)。
──確かに(笑)。しかし、その企画は頓挫してしまった、と。
人が集まらないようにはできるけど、ファンは全国各地にいるから、その地方の人たちを不安にさせるようなことはしたくなかったんです。ただ、緊急事態宣言下においても、積極的にオンラインを活用したり、なんとかやれることをしようと「RE:SOUZOU PROJECT」を進めていたから、モチベーションは高かったですね。クリエイティブに関する炎が途絶えることはなかったし。
──その時期からベスト盤のリリースも視野に入っていたんですか?
そうでしたね。もともとは、2020年11月ぐらいでゼリ→の期間限定の活動が終わって、12月からはLAID BACK OCEANの10周年イヤーをスタートさせるつもりだったんです。だからベスト盤も想定してたし、そこへの流れはスムーズでしたね。むしろ「時間があるから新録もできるじゃん!」って。今のバンドを表現するにはそのほうがいいだろうし。
──本来ならばゼリ→からLAID BACK OCEANへ切り替えることができたと思うんです。ただ、ゼリ→の活動が延長戦に入って、10周年イヤーを突き進む中でアイドリングしっぱなしのゼリ→がずっと脇にある状態。そこに関してはいかがですか?
いや、それもいいんじゃないかと思ってて。さっきも少し話したけど、俺はLAID BACK OCEANで変わりたかったんです。でも、活動をやっていく中で変われないし、よくも悪くも歴史をなくすことはできないと気付いて。その答えが出たからこそ、ゼリ→を復活させたところもあるし。そこは完璧に地続きになりましたね。だから、どちらも登場人物は一緒というか。
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LAID BACK OCEANの1つの到達点